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『杜少陵詩集』巻18~巻19

杜少陵詩集

巻18

18-1 《偶題》 杜甫

文章千古事。得失寸心知。作者皆殊列。名聲豈浪垂。騷人嗟不見。漢道盛於斯。前輩飛騰入。餘波綺麗爲。後賢兼舊制。歷代各淸規。法自儒家有。心從弱歲疲。永懷江左逸。多病鄴中奇。騄驥皆良馬。騏驎帶好兒。車輪徒已斵。堂構惜仍虧。漫作潛夫論。虛傳幼婦碑。緣情慰漂蕩。抱疾屢遷移。經濟慙長策。飛棲假一枝。塵沙傍蜂蠆。江峽繞蛟螭。蕭瑟唐虞遠。聯翩楚漢危。聖朝兼盜賊。異俗更喧卑。鬱鬱星辰劍。蒼蒼雲雨池。兩都開幕府。萬㝢插軍麾。南海殘銅柱。東風避月支。音書恨烏鵲。號怒怪熊羆。稼穡分詩興。柴荆學土宜。故山迷白閣。秋水憶黃陂。不敢要佳句。愁來賦別離。

《偶題》
文章は 千古の事。得失 寸心 知る。作者 皆 殊列なり。名声 豈に浪りに垂れんや。騒人 嗟(アア) 見えず。漢道 斯に盛んなり。前輩 飛騰して入り。余波 綺麗と為る。後賢 旧制を兼ね。歴代 各〻 清規あり。法は儒家より有し。心は 弱歳より疲る。永く懐ふ 江左の逸。多く病ましめらる 鄴中の奇に。騄驥 皆 良馬。騏驎 好児を帯ぶ。車輪 徒らに已に斵(ケヅ)り。堂構 仍ほ虧けたるを惜しむ。漫りに作る 潜夫の論。虚しく伝ふ 幼婦の碑。情に縁りて 漂蕩を慰め。疾を抱きて 屢〻 遷移す。経済 長策を慙ぢ。飛棲 一枝を仮る。塵沙 蜂蠆に傍ひ。江峡 蛟螭 繞る。蕭瑟として 唐虞 遠く。聯翩として 楚漢 危し。聖朝 盗賊を兼ね。異俗 更に喧卑なり。鬱鬱たり 星辰の剣。蒼蒼たり 雲雨の池。両都 幕府を開き。万㝢 軍麾を挿む。南海 銅柱を残(ソコナ)ひ。東風 月支を避く。音書 烏鵲を恨み。号怒 熊羆を怪しむ。稼穡 詩興を分かち。柴荊 土宜を学ぶ。故山 白閣 迷ひ。秋水 黄陂を憶ふ。敢へて佳句を要めず。愁ひ来りて別離を賦す

※●殊列:特殊な列にあること ●騷人:戦国・楚の地方の韻文(騒)を作った屈原、宋玉らの詩人 ●漢道:漢代の詩文の道 ●綺麗爲:六朝文学のことをいう ●江左逸:南朝の優れた文学者たち ●多病:自身の及ばざるを大いに心に病む ●鄴中奇:曹植ら建安七子 ●帶好兒:すぐれた子を持つ。親に同じく子もすぐれた文学者である。曹操と曹丕・曹植など ●車輪徒已斵:荘子の天道篇にある故事。車輪職人の扁なる者、斉の桓公に答えて、車輪づくりの技の妙は、相手が我が子であっても言葉で伝えることができないため、七十の今もこうして車輪をけずっている、と言った。なお仇本は「徒」を「從」に作る ●堂構惜仍虧:尚書の大誥に「若考作室、既底法、厥子乃弗肯堂、矧肯構」とあり。父が家を建てようとして寸法を定めても、子が土台の堂さえ作れないなら、屋架を構えることなどできない。不肖の子は父の志を継ぐことはできないの意 ●潛夫論:後漢の王符、隠居して「潜夫論」を著わし時政をそしった ●幼婦碑:後漢末、会稽に曹娥という孝女あり、邯鄲淳これをたたえて曹娥碑を作り、蔡邕その文を読むと、その後に「黄絹幼婦、外孫虀臼」と書きつけた。黄絹は色のついた糸で「絶」、幼婦は少き女で「妙」、外孫は女(むすめ)の子で「好」、虀臼は辛きものを受けるから辤(=辞)、よって「絶妙好辞」の意 ●緣情:情によりて詩を作ること。陸機の文賦に「緣情而綺靡」とあるに基づく ●飛棲:空を飛んだりねぐらに棲んだりすること。自身の寄る辺なき身の上を鳥にたとえる ●異俗:杜甫のいる夔州の他と異なる風俗 ●星辰劍:その気が星辰を衝くような剣。晋の雷煥が豊城に宝剣の気があるのを見抜いた故事を踏まえる ●雲雨池:雲雨あらば竜の躍り出る池。周瑜が劉備を評して「蛟竜、雲雨を得なば、池中の物に非ず」と言ったのを踏まえる ●幕府:元帥の府 ●萬㝢:萬宇(天下)に同じ ●銅柱:後漢の馬援、南征して交趾(ベトナム北部)を平定し、国境に銅柱を建てた ●月支:漢代に西域にあった国。吐蕃をたとえる ●恨烏鵲:鵲が騒ぐのは旅人が訪れる兆しとされていたから、鵲が騒いているのに手紙を預かった旅人がやって来ないため鵲を恨むのである ●柴荆:柴戸荊門。粗末な我が家 ●土宜:その土地に宜しき作物 ●迷白閣:終南山の白閣峰が見えない ●黃陂:黄子陂。皇子陂に同じ。長安郊外の池の名

18-2 《君不見簡蘇徯》 杜甫

君不見道邊廢棄池。君不見前者摧折桐。百年死樹中琴瑟。一斛舊水藏蛟龍。丈夫蓋棺事始定。君今幸未成老翁。何恨憔悴在山中。深山窮谷不可處。霹靂魍魎兼狂風。

《君不見。蘇徯に簡す》
君 見ずや 道辺 廃棄せらるるの池を。君 見ずや 前者 摧折せらるるの桐を。百年の死樹も 琴瑟に中たり。一斛の旧水も 蛟竜を蔵す。丈夫 棺を蓋ひて 事 始めて定まる。君 今 幸ひに未だ老翁と成らず。何ぞ恨まん 憔悴して山中に在るを。深山 窮谷には 処るべからず。霹靂 魍魎 狂風を兼ぬ。

※●蘇徯:杜甫の旧友の子 ●死樹:枚乗の七發に「龍門之桐、百尺而無枝、其根半死而半生」という ●中琴瑟:琴瑟の材料にあてる

18-3 《贈蘇四徯》 杜甫

異縣昔同遊。各云厭轉蓬。別離已五年。尙在行李中。戎馬日衰息。乘輿安九重。有才何棲棲。將老委所窮。爲郞未爲賤。其奈疾病攻。子何面黧黑。焉得豁心胸。巴蜀倦剽劫。下愚成土風。幽薊已削平。荒徼尙彎弓。斯人脫身來。豈非吾道東。乾坤雖寬大。所適裝囊空。肉食哂菜色。少壯欺老翁。況乃主客閒。古來偪側同。君今下荆揚。獨帆如飛鴻。二州豪俠場。人馬皆自雄。一請甘饑寒。再請甘養蒙。

《蘇四徯に贈る》
異県 昔 同に遊び。各〻云ふ 転蓬を厭ふと。別離 已に五年。尚ほ 行李の中に在り。戎馬 日〻に衰息し。乗輿 九重に安んず。才有るに 何ぞ棲棲たる。将に老いんとして 窮する所に委す。郎と為るは 未だ賤しと為さざるも。其れ 疾病の攻むるを奈何せん。子 何ぞ面 黧黒なる。焉んぞ心胸を豁くを得ん。巴蜀 剽劫に倦み。下愚 土風を成す。幽薊 已に削平するも。荒徼 尚ほ弓を彎く。斯の人 身を脱し来たるは。豈に吾が道の東するに非ざらんや。乾坤 寛大なりと雖も。適く所 装囊 空し。肉食 菜色を哂ひ。少壮 老翁を欺(アナド)る。況んや乃ち 主客の間。古来 偪側 同じきをや。君 今 荊揚に下る。独帆 飛鴻の如し。二州は 豪俠の場。人馬 皆 自づから雄なり。一には請ふ 饑寒に甘んずるを。再には請ふ 養蒙に甘んずるを。

※●蘇四徯:前詩の蘇徯に同じ。四は排行 ●異縣:故郷と異なる県 ●戎馬日衰息:永泰元年、郭子儀が回紇と盟約を結んで吐蕃を退け、戦塵が収まりつつあったことをいう ●乘輿:天子の車馬。転じて行幸中の天子をいう。吐蕃に長安を奪われて陝州に出奔(建前では行幸)した代宗が長安の宮城に戻って身を落ち着けたことを指す ●剽劫:剥ぎ取り、脅かす。盗賊の所為 ●下愚:下等な愚行 ●荒徼:僻遠の辺境の地。巴蜀を指す ●斯人:蘇徯のこと ●吾道東:後漢の儒者鄭玄、馬融に学んだのち、辞して帰郷せんとす。馬融曰く、「鄭生今去る、吾が道(私の学問の道)東す」と ●裝囊空:旅行かばんが空っぽ ●肉食:贅沢な食事をしている貴顕富豪 ●菜色:飢えのため顔色が青い貧者 ●偪側:心のびやかならず、息のつまるさま ●荆揚:荊州と揚州 ●養蒙:易経の蒙卦の彖伝に「蒙以養正、聖功也」とあり。無知蒙昧かのように黙って正道を養う

18-4 《別蘇徯》 杜甫

故人有遊子。棄擲傍天隅。他日憐才命。居然屈壯圖。十年猶塌翼。絕倒爲驚呼。消渴今如此。提攜愧老夫。豈知臺閣舊。先拂鳳凰雛。得實翻蒼竹。棲枝把翠梧。北辰當宇宙。南嶽據江湖。國帶煙塵色。兵張虎豹符。數論封內事。揮發府中趨。贈爾秦人策。莫鞭轅下駒。

《蘇徯と別る》
故人に 遊子 有り。棄擲せられて 天隅に傍ふ。他日 才命を憐みしに。居然として 壮図を屈す。十年 猶ほ 翼を塌(タ)れ。絶倒 為めに驚呼す。消渇 今 此くの如く。提携 老夫 愧づ。豈に知らんや 台閣の旧。先んじて 鳳凰の雛を払はんとは。実を得て 蒼竹に翻へり。枝に棲みて 翠梧を把る。北辰 宇宙に当たり。南岳 江湖に拠る。国は帯ぶ 煙塵の色。兵は張る 虎豹の符。数〻論ず 封内の事。揮発して 府中に趨す。爾に贈る 秦人の策。鞭うつ莫れ 轅下の駒。

※原注に「赴湖南幕」という ●蘇徯:前詩、前々詩参照 ●憐才命:杜甫が蘇徯の才能運命を憐れむ ●居然:そのまま今も ●消渴:杜甫の糖尿病 ●臺閣舊:杜甫や蘇徯の父が朝廷にいたときの旧知の人で、いま蘇徯を湖南に招いた人 ●先拂鳳凰雛:杜甫に先んじて鳳凰の雛(蘇徯)の毛並みを払って世話をする ●得實翻蒼竹・棲枝把翠梧:鳳凰は竹の実に非ずんば食わず、梧桐に非ずんば棲まず ●北辰:北極星。天子の象徴 ●南嶽:五嶽のひとつ、衡山。湖南にあり ●虎豹符:徴兵の権限を証明する割符 ●揮發:道理を発揮する ●秦人策:春秋時代、晋は謀をもって秦を欺き、秦にいた随会を呼び戻した。随会が秦を出国するにあたり、秦の大夫繞朝はその策(馬を打つむち)を贈って曰く「秦に人無しということなかれ、吾が謀たまたま用いられざるのみ」と ●轅下駒:車の轅をになう駒。身をかがめて委縮している者のたとえ

18-5 《李潮八分小篆歌》 杜甫

蒼頡鳥跡旣茫昧。字體變化如浮雲。陳倉石鼓又已訛。大小二篆生八分。秦有李斯漢蔡邕。中閒作者絕不聞。嶧山之碑野火焚。棗木傳刻肥失眞。苦縣光和尙骨立。書貴瘦硬方通神。惜哉李蔡不復得。吾甥李潮下筆親。尙書韓擇木。騎曹蔡有鄰。開元已來數八分。潮也奄有二子成三人。況潮小篆逼秦相。快劍長㦸森相向。八分一字直百金。蛟龍盤拏肉屈强。吳郡張顚誇草書。草書非古空雄壯。豈如吾甥不流宕。丞相中郞丈人行。巴東逢李潮。逾月求我歌。我今衰老才力薄。潮乎潮乎奈汝何。

《李潮が八分小篆の歌》
蒼頡の鳥跡 既に茫昧。字体の変化 浮雲の如し。陳倉の石鼓 又た已に訛り。大小の二篆 八分を生ず。秦には李斯有り 漢には蔡邕。中間の作者 絶えて聞かず。嶧山の碑は 野火に焚かれ。棗木の伝刻 肥えて真を失ふ。苦県の光和は尚ほ 骨立す。書は 痩硬にして方に神に通ずるを貴ぶ。惜しい哉 李・蔡 復たとは得ず。吾が甥 李潮 筆を下して親しむ。尚書の韓択木。騎曹の蔡有隣。開元已来 八分を数ふれば。潮や 二子を奄有して 三人と成る。況んや 潮の小篆 秦相に逼り。快剣 長㦸 森として相ひ向ふをや。八分の一字 直ひ百金。蛟竜 盤拿して 肉 屈強。呉郡の張顚 草書を誇るも。草書は古に非ず 空しく雄壮なり。豈に 吾が甥の流宕せざるに如かんや。丞相 中郎は 丈人行なり。巴東 李潮に逢ひ。月を逾へて 我が歌を求む。我 今 衰老して 才力 薄し。潮や 潮や 汝を奈何せん。

※●李潮:杜甫の甥。篆書家として知られる李陽氷と同一人物とも言われる ●八分:隷書の一種。その由来については諸説あり。現在の隷書に比べて波磔(はらい)の角度甚だしからず丸みを帯びる ●小篆:周の宣王の太史籀が定めた書体を籀書といい、秦の始皇帝が李斯に命じて籀書をもとに篆書を作らせて、天下の書体を篆書に統一した。以後、籀書を大篆、秦の篆書を小篆と呼ぶ ●蒼頡鳥跡:蒼頡は黄帝の時の史官とされる伝説上の人物。鳥の足跡をヒントにして文字を創製したと伝わる ●陳倉石鼓:唐代、陳倉(現・陝西省)で出土した太鼓形の石で、石面に大篆で文を刻む ●嶧山之碑:現・山東省の嶧山に始皇帝の徳を頌して建てた碑。碑文は李斯の小篆で刻まれていたという ●棗木傳刻:棗の木を材料にした版木に嶧山の碑文の拓本を転写して刻したもの ●苦縣光和:苦県(現・山東省)に後漢の光和年間に建てられた老子碑。蔡邕の手になる八分であったと伝わる ●韓擇木:八分の名手として知られた。粛宗の上元元年4月、礼部尚書 ●蔡有鄰:蔡邕十八代の子孫にして八分の名手。官は右衛率府兵曹参軍を拝した ●奄有:大いにたもつ ●二子:韓擇木・蔡有鄰のふたり ●秦相:李斯のこと ●張顚:草書の名手として知られた張旭のこと。酒に酔っての奇矯なふるまいが多く世人から張顚とあだ名された ●流宕:ほしいままで中庸を失する ●丞相・中郞:李斯と蔡邕 ●丈人行:丈人は年長者への尊称。行は去声、次第、順序、排行、同世代の人、の意

18-6 《峽口二首 其一》 杜甫

峽口大江閒。西南控百蠻。城欹連粉堞。岸斷更靑山。開闢當天險。防隅一水關。亂離聞鼓角。秋氣動衰顏。

《峡口二首 其の一》
峡口 大江の間。西南 百蛮を控す。城 欹きて 粉堞 連なり。岸 断えて 更に青山。開闢より 天険に当たり。隅を防ぐは 一水関のみ。乱離 鼓角を聞き。秋気 衰顔に動く。

※●峽口:瞿唐峡の入口 ●防隅:城の隅を防ぐ ●亂離:世が乱れて人々離れ離れになること

18-7 《峽口二首 其二》 杜甫

時淸關失險。世亂㦸如林。去矣英雄事。荒哉割據心。蘆花留客晚。楓樹坐猿深。疲苶煩親故。諸侯數賜金。

《峡口二首 其の二》
時 清ければ 関も険を失ひ。世 乱るれば 㦸 林の如し。去りぬ 英雄の事。荒なるかな 割拠の心。芦花 客を留めて晩れ。楓樹 猿を坐せしめて深し。疲苶 親故を煩はし。諸侯 数〻 金を賜ふ。

※●失險:険あるも、戦なければその用無し ●英雄:後漢の光武帝や蜀漢の昭烈帝(劉備)など蜀を平定した英雄 ●割據:公孫述や晋の李特などが蜀に割拠して王位を僭称したこと ●疲苶:疲れるさま ●諸侯:原注に「主人柏中丞、頻分月俸」とあり。柏中丞は夔州府都督の柏茂林。俸給を割いて杜甫を経済的に援助した

18-8 《南極》 杜甫

南極靑山眾。西江白谷分。古城疎落木。荒戍密寒雲。歲月蛇常見。風飆虎忽聞。近身皆鳥道。殊俗自人羣。睥睨登哀柝。蝥弧照夕曛。亂離多醉尉。愁殺李將軍。

《南極》
南極 青山 衆く。西江 白谷 分かる。古城 落木 疎にして。荒戍 寒雲 密なり。歳月 蛇 常に見え。風飆 虎 忽ち聞こゆ。身に近きは 皆 鳥道。俗を殊にするも 自づから人群。睥睨に 哀柝 登り。蝥弧 夕曛 照らす。乱離 酔尉 多く。愁殺す 李将軍。

※●南極:南の果て。都から見てはるか南という意味で夔州を指す ●西江:長江のこと ●白谷:白帝城の谷 ●自:他物・他人と無関係の動作・状態であることを表すのが本義。習俗を異にするが、彼らは彼らで(我々の習俗とは関係なく)人の群れなのである ●睥睨:そこに登って睥睨することから転じて、城のひめがきを言う ●蝥弧:蝥は矛、弧は星の名。この両者をえがいた旗 ●醉尉:漢の将軍李広、隠居後に、夜出でて覇陵をよぎり、酔っぱらった尉に通行を止められ「今の将軍すら夜行するを得ず、何ぞ乃ち故の将軍をや」と怒鳴られて野宿させられた。世の乱れて驕慢な小役人が多いことをたとえる

18-9 《瞿唐兩崖》 杜甫

三峽傳何處。雙崖壯此門。入天猶石色。穿水忽雲根。猱玃鬚髥古。蛟龍窟宅尊。羲和冬馭近。愁畏日車翻。

《瞿唐両崖》
三峡と 伝ふるは何処ぞ。双崖 此の門 壮なり。天に入るも 猶ほ石色。水を穿ちて 忽ち雲根。猱玃 鬚髥 古りたり。蛟竜 窟宅 尊し。羲和 冬馭 近く。愁へ畏る 日車の翻へるを。

※●傳何處:古来三峡と伝えるところは何処なのか ●雲根:岩のこと。古来、雲は岩から湧き起こると考えられた ●猱玃:大猿。当時の長江流域にはテナガザルが分布していた ●羲和:太陽の乗る車の馭者の名 ●冬馭近:冬の太陽の軌道は低いから地上(瞿唐峡の崖)から近い

18-10 《瞿唐懷古》 杜甫

西南萬壑注。勍敵兩崖開。地與山根裂。江從月窟來。削成當白帝。空曲隱陽臺。疏鑿功雖美。陶鈞力大哉。

《瞿唐懐古》
西南の万壑より注ぐに。勍敵 両崖 開く。地は 山根と与に裂け。江は 月窟より来たる。削成して 白帝に当たり。空曲して 陽台を隠す。疏鑿の功 美なりと雖も。陶鈞の力 大なるかな。

※●勍敵:万壑から注ぐ水に対して強敵のように ●月窟:極西の地。漢代に西域にあった月氏国の地 ●白帝:白帝城 ●空曲:空曠回曲、ひろく曲がる ●陽臺:陽雲台。巫山の神女と楚王の朝雲暮雨の故事で有名 ●疏鑿:禹が長江を切り開いて治水工事をおこなったこと ●陶鈞:陶器を作るための轆轤。天然造化の作用をたとえる

18-11 《夜宿西閣曉呈元二十一曹長》 杜甫

城暗更籌急。樓高雨雪微。稍通綃幕霽。遠帶玉繩稀。門鵲晨光起。檣烏宿處飛。寒流江甚細。有意待人歸。

《夜 西閣に宿し 暁に 元二十一曹長に呈す》
城 暗くして 更籌 急に。楼 高くして 雨雪 微なり。稍く 綃幕の霽るるに通じ。遠く 玉縄の稀なるを帯ぶ。門鵲 晨光に起ち。檣烏 宿処に飛ぶ。寒流 江 甚だ細く。人の帰るを待つに意有り。

※●西閣:この当時、杜甫が寓居していた建物。 17-4《中宵》、17-13 《西閣雨望》などしばしば見える ●元二十一曹長:15-45《七月三日亭午已後校熱退晚加小涼穩睡有詩因論壯年樂事戲呈元二十一曹長》にも見える人物。詳細は不明 ●更籌:水時計の針 ●綃幕:うすぎぬの幕 ●玉繩:北斗七星の第五の星の北の二つの星 ●江甚細:長江の水位が低く、川幅が細い。増水時よりは安全に航行できることを意味する ●人歸:杜甫が故郷へ帰る

18-12 《西閣口號呈元二十一》 杜甫

山木抱雲稠。寒空繞上頭。雪崖纔變石。風幔不依樓。社稷堪流涕。安危在運籌。看君話王室。感動幾銷憂。

《西閣口号。元二十一に呈す》
山木 雲に抱かれて稠く。寒空 上頭を繞る。雪崖 纔かに石を変じ。風幔 楼に依らず。社稷 涕を流すに堪へ。安危 籌を運らすに在り。君が王室を話すを看れば。感動して 幾ばくか憂ひを銷す。

※●西閣・元二十一:前詩参照 ●變石:石の色を白く変える ●依樓:西閣の楼に寄りつかない

18-13 《閣夜》 杜甫

歲暮陰陽催短景。天涯霜雪霽寒宵。五更鼓角聲悲壯。三峽星河影動搖。野哭千家聞戰伐。夷歌幾處起漁樵。臥龍躍馬終黃土。人事音書漫寂寥。

《閣夜》
歳暮の陰陽 短景を催し。天涯の霜雪 寒宵に霽る。五更の鼓角 声 悲壮。三峡の星河 影 動揺。野哭 千家 戦伐に聞こゆ。夷歌 幾処か 漁樵より起こる。臥竜 躍馬も 終に黄土。人事 音書は 漫りに寂寥。

※●閣夜:杜甫が寓居していた西閣の夜 ●短景:日が短くなること ●天涯:杜甫がいた夔州を指す ●野哭:礼を備えずに死者を哭すること ●夷歌:夔州には少数民族多く、彼らの歌 ●臥龍躍馬:臥龍は諸葛亮、躍馬は公孫述

18-14 《瀼西寒望》 杜甫

水色含羣動。朝光切太虛。年侵頻悵望。興遠一蕭疎。猿挂時相學。鷗行炯自如。瞿唐春欲至。定卜瀼西居。

《瀼西の寒望》
水色 群動を含み。朝光 太虚に切なり。年 侵して 頻りに悵望し。興 遠くして 一に蕭疎たり。猿 掛りて 時に相ひ学び。鷗 行きて 炯として自如たり。瞿唐 春 至らんと欲す。定めて卜せん 瀼西の居。

※●瀼西:瀼水の西。瀼水は夔州で長江に流れ込む谷川。15-35《夔州歌十絕句 其五》参照 ●羣動:もろもろの動き ●切太虛:大空に近い ●年侵:年が暮れかかる ●興遠:興趣が俗と遠く離れている ●猿挂:猿が枝にぶら下がる

18-15 《西閣曝日》 杜甫

凜冽倦玄冬。負暄嗜飛閣。羲和流德澤。顓頊愧倚薄。毛髮具自和。肌膚潛沃若。太陽信深仁。衰氣欻有託。敧傾煩注眼。容易收病腳。流離木杪猿。翩躚山巓鶴。朋知苦聚散。哀樂日已作。卽事會賦詩。人生忽如昨。古來遭喪亂。賢聖盡蕭索。胡爲將暮年。憂世心力弱。

《西閣にて日に曝す》
凜冽 玄冬に倦み。暄を負ひて 飛閣を嗜む。羲和 徳沢を流し。顓頊 倚薄を愧づ。毛髪 具さに自づから和し。肌膚 潜かに沃若たり。太陽 信に深仁。衰気 欻(タチマ)ち託する有り。敧傾 注眼を煩はすも。容易に 病脚を収む。流離たり 木杪の猿。翩躚たり 山巓の鶴。朋知 聚散に苦しみ。哀楽 日〻に已に作(オコ)る。即事 詩を賦すを会し。人生 忽ち昨の如し。古来 喪乱に遭へば。賢聖も 尽く蕭索たり。胡為れぞ 暮年を将って。世を憂へて 心力 弱き。

※●西閣:当時杜甫が夔州で寓居していた建物 ●曝日:日向ぼっこをする ●羲和:太陽の乗る車の馭者 ●顓頊:上古の王の名。初冬に祭られることから冬の神の意に用いる ●倚薄:近づきせまる ●沃若:みずみずしいさま ●敧傾:体を前かがみに傾ける。仇本は「歌傾」に作る ●煩注眼:前傾しているので前を見るのに苦労する ●容易收病腳:血行が良くなって病んだ足も曲げて引っ込めることができる ●朋知:朋友知己 ●蕭索:(暮らしが)ものさびしい ●暮年:晩年

18-16 《不離西閣二首 其一》 杜甫

江柳非時發。江花冷色頻。地偏應有瘴。臘近已含春。失學從愚子。無家任老身。不知西閣意。肯別定留人。

《西閣を離れず二首 其の一》
江柳 時に非ずして発き。江花 冷色 頻りなり。地 偏にして 応に瘴有るべく。臘 近くして 已に春を含む。学を失ふこと 愚子に従せ。家 無きこと 老身に任す。知らず 西閣の意。肯へて別れんとするや 定めて人を留めんとするや。

※●非時:季節外れに ●冷色:豹軒は「のびのびせぬ様子」と解く。鄙見では「(季節外れに咲いたために)その花色を冷やす」の意ではないかと思う ●臘:大寒後最初の辰の日 ●失學・無家の二句:従愚子失学・任老身無家の倒置。従・任はともに「さもあらばあれ、仕方ない」の意 ●肯別:西閣が杜甫と別れようとする ●定留人:西閣が必ず杜甫を留めたいと考える

18-17 《不離西閣二首 其二》 杜甫

西閣從人別。人今亦故亭。江雲飄素練。石壁斷空靑。滄海先迎日。銀河倒列星。平生耽勝事。吁駭始初經。

《西閣を離れず二首 其の二》
西閣 人の別るるに従すも。人 今 亦た故らに亭(トド)まる。江雲 素練を飄し。石壁 空青を断つ。滄海 先づ日を迎へ。銀河 倒(サカシマ)に星を列す。平生 勝事に耽る。吁駭せり 始めて初経せしに。

※●亭:或いは停の音通といい、豹軒は停の誤りという。いずれにせよ「停まる」の意 ●勝事:風景すぐれていること ●吁駭:感嘆し驚駭する ●始初經:初めて経験する

18-18 《縛鷄行》 杜甫

小奴縛鷄向市賣。鷄被縛急相喧爭。家中厭鷄食蟲蟻。不知鷄賣還遭烹。蟲鷄於人何厚薄。吾叱奴人解其縛。鷄蟲得失無了時。注目寒江倚山閣。

《縛鶏行》
小奴 鶏を縛して 市に向(オ)いて売らんとす。鶏 縛せらるること急なれば 相ひ喧争す。家中 鶏の虫蟻を食ふを厭ひ。知らず 鶏の売らるれば 還た烹らるるに遭ふを。虫鶏 人に於て 何ぞ厚薄あらん。吾 奴人を叱して 其の縛を解かしむ。鶏虫の得失 了る時無し。寒江に注目して 山閣に倚る。

※●被縛急:急は縛り方がきびしいの意 ●於人何厚薄:人との関係において厚い薄いの違いはない ●無了時:結論が出ることはない ●山閣:杜甫が寓居していた夔州の西閣のこと

18-19 《小至》 杜甫

天時人事日相催。冬至陽生春又來。刺繡五紋添弱線。吹葭六琯動飛灰。岸容待臘將舒柳。山意衝寒欲放梅。雲物不殊鄕國異。敎兒且覆掌中杯。

《小至》
天時 人事 日〻に相ひ催し。冬至 陽 生じて 春 又た来る。刺繡の五紋は 弱線を添へ。吹葭の六琯は 飛灰を動かす。岸容 臘を待ちて 将に柳を舒べんとし。山意 寒を衝きて 梅を放たんと欲す。雲物 殊ならざるも 郷国 異なり。児をして且つ覆はしむ 掌中の杯。

※●小至:冬至の翌日 ●添弱線:冬至を過ぎて日がわずかに長くなった分、宮女の刺繍仕事が細い糸一本分増えることを言う ●吹葭六琯動飛灰:候気法(節気が至ったかどうかを調べる方法)について言う。外気から遮断した部屋に机を設け、各机の上に六律六呂に相当する玉管(六琯)を置き、管の中に葭を焼いた灰を入れておく。節気が至れば灰が飛び散るという ●臘:大寒後最初の辰の日 ●雲物:雲の模様。左伝の僖公五年に「凡分至啓閉、必書雲物」とあり。特に冬至には雲物を書すべきものとされた ●覆:旧解は「くつがへす」と解し、杯を裏返して酒を飲まない、あるいは、杯をひっくり返して酒を飲み干す、の意に取る。豹軒は「おほふ」と解し、杯を覆って酒を飲むのを中止する、の意に取る

18-20 《寄柏學士林居》 杜甫

自胡之反持干戈。天下學士亦奔波。嘆彼幽棲載典籍。蕭然暴露依山阿。靑山萬重靜散地。白雨一洗空垂蘿。亂代飄零予到此。古人成敗子如何。荆揚冬春異風土。巫峽日夜多雲雨。赤葉楓林百舌鳴。黃花野岸天鷄舞。盜賊縱橫甚密邇。形神寂寞甘辛苦。幾時高議排金門。各使蒼生有環堵。

《柏学士の林居に寄す》
胡の反して干戈を持せしより。天下の学士も亦た奔波す。嘆ず 彼が幽棲 典籍を載せて。蕭然として暴露し 山阿に依るを。青山 万重たり 静かに散ずるの地。白雨 一洗す 空しく垂るるの蘿。乱代に飄零して 予 此に到る。古人の成敗 子 如何。荊揚は冬春 風土 異なり。巫峡は 日夜 雲雨 多し。赤葉の楓林に 百舌 鳴き。黄花の野岸に 天鶏 舞ふ。盗賊 縦横 甚だ密邇。形神 寂寞 辛苦に甘んず。幾時にか高議して金門を排し。各〻 蒼生をして 環堵 有らしめん。

※●柏学士:不詳。豹軒は夔州の都督柏茂林の同族かと言う。学士は読書人への敬称 ●胡之反持干戈:安禄山の挙兵 ●奔波:奔る波のごとく乱を避けて逃散すること ●暴露:風雨日光にさらされる ●靜散地:豹軒の字解は、山々が地に散らばる、と解するが、万重の山が「散(低密度に散らばる)」というのは矛盾ではなかろうか。鄙見では、「散」は「柏学士が閑をする、ぶらぶらしている」の意かと思う ●荆揚:荊州と揚州 ●巫峽日夜多雲雨:巫山の神女の朝雲暮雨の故事をふまえる ●百舌:モズまたはクロウタドリ。詳しくは12-10《百舌》を参照。ここでは「異風土」を受けて、紅葉した林に季節外れに囀っているという趣旨であるから、クロウタドリのほうがあてはまるか ●黃花:菊の花 ●天鷄:にしきどり。キジ科のキンケイ。雄は黄色と赤を基調とした鮮やかな羽毛を身にまとう ●密邇:間近に接する ●排金門:金馬門をおしひらく。金馬門は漢代の未央宮にあった門。文学の士の出仕するところ ●環堵:土塀で囲んだ住まい。安堵できる家

18-21 《折檻行》 杜甫

嗚呼房魏不復見。秦王學士時難羨。靑衿胄子困泥塗。白馬將軍若雷電。千載少似朱雲人。至今折檻空嶙峋。婁公不語宋公語。尙憶先皇容直臣。

《折檻行》
嗚呼 房魏 復たとは見えず。秦王の学士は 時 羨み難し。青衿の胄子 泥塗に困しみ。白馬の将軍 雷電の若し。千載 朱雲に似たる人 少なく。今に至るまで 折檻 空しく嶙峋たり。婁公は語らず 宋公は語る。尚ほ憶ふ 先皇の直臣を容れしを。

※●折檻:宮殿の手すりを折ってまで直諫すること。漢の成帝に仕えた朱雲の故事 ●房魏:房玄齢と魏徴。唐の太宗に仕えて貞観の治を支えた功臣 ●秦王學士:太宗が即位する前、秦王だったとき、その幕府に房玄齢ら十八人の学士を招いた。この詩の当時、代宗は太宗の十八学士にならって重臣十三人を集賢待制として試問にあずからせたが、彼らは宦官魚朝恩の横暴に対して口をつぐみ、直言することはなかった ●靑衿胄子:青い襟は書生の服、胄子は卿大夫の嫡子、転じて国子監の学生をいう。胄は冑とは別字 ●白馬將軍:魏の龐徳、常に白馬に乗り、敵である関羽の軍からも白馬将軍と呼ばれ憚られた。監門衛大将軍・神策軍使であった魚朝恩をたとえる ●嶙峋:高くそびえるさま ●婁公:婁師徳。武后に仕えた宰相。人から顔に唾を吐きかけられたら拭わずして自然に乾くのを待て、と言ったといい、他人の是非を語ることはなかったという ●宋公:宋璟。武后・玄宗に仕え、直諫の宰相として知られた ●先皇:玄宗のこと

18-22 《覽柏中丞兼子姪數人除官制詞因述父子兄弟四美載歌絲綸》 杜甫

紛然喪亂際。見此忠孝門。蜀中寇亦甚。柏氏功彌存。深誠補王室。戮力自元昆。三止錦江沸。獨淸玉壘昏。高名入竹帛。新渥照乾坤。子弟先卒伍。芝蘭疊璵璠。同心注師律。灑血在戎軒。絲綸實具載。紱冕已殊恩。奉公擧骨肉。誅叛經寒溫。金甲雪猶凍。朱旗塵不翻。每聞戰場說。欻激懦氣奔。聖主國多盜。賢臣官則尊。方當節鉞用。必絕祲沴根。吾病日廻首。雲臺誰再論。作歌挹盛事。推轂期孤鶱。

《柏中丞 兼び 子姪数人の除官の制詞を覧る。因りて父子兄弟の四美を述べ 載ち糸綸を歌ふ》
紛然たる喪乱の際。此の忠孝の門を見る。蜀中の寇も亦た甚だしく。柏氏の功 弥〻存す。深誠 王室を補ひ。戮力 元昆よりす。三たび止む 錦江の沸くを。独り清くす 玉塁の昏きを。高名 竹帛に入り。新渥 乾坤を照らす。子弟 卒伍に先んじ。芝蘭 璵璠に畳なる。心を同じくして 師律に注し。血を灑ぎて 戎軒に在り。糸綸 実に具さに載せ。紱冕 已に殊に恩あり。公に奉ずるは 骨肉を挙げ。叛を誅するに 寒温を経たり。金甲 雪に猶ほ凍り。朱旗 塵に翻へらず。戦場の説を聞く毎に。欻ち激して 懦気 奔る。聖主の国に盗 多きも。賢臣の官は則ち尊し。方に節鉞の用に当たり。必ず祲沴の根を絶たん。吾 病みて 日〻に首を廻らす。雲台 誰か再び論ぜん。歌を作りて盛事を挹し。轂を推されて 孤鶱を期す。

※●柏中丞:御史中丞・夔州都督の柏茂林 ●除官:前の官を除いて新たな官を授ける。官吏の人事異動 ●制詞:天子の命令文 ●四美:四人の美点 ●絲綸:天子の言葉。礼記に「王言如絲、其出如綸」とあるによる。ここでは今回の除官の制詞を指す ●蜀中寇:成都における崔旰の乱 ●元昆:長兄。ここでは柏茂林のこと ●止錦江沸:錦江が流れる成都の動乱を鎮める ●淸玉壘昏:成都の西北にある玉塁山が戦塵により暗くなったのを清くする ●竹帛:歴史書 ●新渥:天子よりの新しい寵恩 ●芝蘭疊璵璠:美しい香草が美しい玉に重なる。子弟からすぐれた人材の輩出することをいう。晋の謝氏にすぐれた人物が多いのを芝蘭玉樹にたとえたことにちなむ ●注師律:軍法に心を向ける ●戎軒:戦車 ●紱冕:印綬と冠。転じて高官の地位 ●擧骨肉:親族あげておこなう ●經寒溫:崔旰の乱の平定が冬から春に及んだことを言う ●朱旗:紅旗に同じ。官軍の旗 ●懦氣奔:臆病な気持ちが消え失せる ●節鉞用:天子の使いのしるしである節と、刑罰の権のしるしである鉞を用いること。都督の職務 ●祲沴:悪い気 ●雲臺:後漢の明帝のとき、功臣二十八将の像をえがいた台 ●挹:あいさつする。敬意を表する ●推轂:出征する将軍に敬意を表して、天子が車輪の中心部を手で推すこと。漢書馮唐伝に「王者遣將、跪而推轂」とあり ●孤鶱:ひとり群を抜いて高く上がる

18-23 《覽鏡呈柏中丞》 杜甫

渭水流關內。終南在日邊。膽銷豺虎窟。淚入犬羊天。起晚堪從事。行遲更學仙。鏡中衰謝色。萬一故人憐。

《鏡を覧て柏中丞に呈す》
渭水は 関内に流れ。終南は 日辺に在り。胆は銷す 豺虎の窟。涙は入る 犬羊の天。起くること晩くして 事に従ふに堪へんや。行くこと遅くして 更に仙を学ばんや。鏡中 衰謝の色。万一 故人 憐れまん。

※●柏中丞:前詩参照 ●渭水:黄河の支流。長安の北を流れる ●終南:終南山。長安の南にあり ●日邊:長安のこと。晋の明帝の幼時、長安と太陽とどちらが遠いかと尋ねられて即妙の答えをした故事から ●豺虎:賊軍や盗賊 ●犬羊:吐蕃を中心とする異民族 ●從事:官職について仕事をする ●行遲:歩行が遅い ●故人:柏中丞のこと

18-24 《陪柏中丞觀宴將士二首 其一》 杜甫

極樂三軍士。誰知百戰場。無私齊綺饌。久坐密金章。醉客霑鸚鵡。佳人指鳳凰。幾時來翠節。特地引紅妝。

《柏中丞に陪して将士を宴するを観る二首 其の一》
楽しみを極む 三軍の士。誰か知らん 百戦場なるを。私 無くして 綺饌を斉しくし。久しく坐して 金章に密なり。酔客 鸚鵡に霑ひ。佳人 鳳凰を指にす。幾時にか 翠節 来たりて。特地に 紅粧を引かん。

※●柏中丞:前詩、前々詩参照 ●百戰場:百戦場を経た者の意 ●無私:柏中丞が公平無私でえこひいきがない ●綺饌:立派なご馳走 ●密金章:兵士たちが、金印を帯びた柏中丞に近づく ●鸚鵡:鸚鵡貝でできた杯 ●鳳凰:漢の成帝の皇后・趙飛燕の愛用した琴の名前 ●翠節:カワセミの羽飾りのついた節(天子の使いのしるし)。節度使に与えられる節か。豹軒は柏がすでに持つ御史中丞の節と解する

18-25 《陪柏中丞觀宴將士二首 其二》 杜甫

繡段裝簷額。金花帖鼓腰。一夫先舞劍。百戲後歌樵。江樹城孤遠。雲臺使寂寥。漢朝頻選將。應拜霍嫖姚。

《柏中丞に陪して将士を宴するを観る二首 其の二》
繡段 簷額を装ひ。金花 鼓腰に帖す。一夫 先んじて舞剣し。百戯 歌樵に後る。江樹に 城 孤遠にして。雲台より 使ひ 寂寥たり。漢朝 頻りに将を選ぶ。応に拝すべし 霍嫖姚。

※●繡段:刺繍をした織物 ●裝簷額:軒先を飾る ●鼓腰:太鼓の胴の中央部 ●百戲後歌樵:豹軒は、夔州の夷の樵歌の後にもろもろの遊戯演芸が続く、と解する ●城:夔州の街 ●雲臺:後漢の明帝のとき、功臣二十八将の像をえがいた台。雲台よりの使いとは、朝廷からの軍功をたたえる使者 ●霍嫖姚:漢の武帝に仕えた嫖姚校尉・霍去病。柏中丞をたとえる

18-26 《奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衞尙書太夫人因示從弟行軍司馬位》 杜甫

中丞問俗畫熊頻。愛弟傳書綵鷁新。遷轉五州防禦使。起居八座太夫人。楚宮臘送荆門水。白帝雲偸碧海春。與報惠連詩不惜。知吾班鬢總如銀。

《蜀州の柏二別駕が中丞の命を将って江陵に赴きて衛尚書の太夫人を起居するを送り奉る。因りて 従弟の行軍司馬・位に示す》
中丞 俗を問ひて 画熊 頻りに。愛弟 書を伝へて 綵鷁 新たなり。遷転す 五州の防禦使。起居す 八座の太夫人。楚宮 臘には送る 荊門の水。白帝 雲は偸む 碧海の春。与めに恵連に報ぜよ 「詩は惜しまずして。吾が班鬢の総て銀の如きを知れ」と。

※●蜀州柏二別駕:蜀州の別駕(州刺史の副官)である柏氏。二は排行。柏茂林の弟である ●中丞:御史中丞・夔州都督の柏茂林 ●江陵:荊州のこと ●起居:ご機嫌伺をする。起居安否を問う ●衞尙書:荊南節度使の衛伯玉。大暦元年5月、検校工部尚書を加えられた。柏茂林とは従兄弟の関係 ●太夫人:もと列侯の母親への尊称 ●從弟行軍司馬位:杜甫の従弟の杜位。衛伯玉の幕府で行軍司馬をつとめていた ●問俗:領内人民の風俗を問う。民情を視察する ●畫熊頻:熊を画いた馬車を馳せることが頻繁 ●愛弟:中丞柏茂林の弟である柏別駕 ●綵鷁:船のこと。船首には彩色で鷁を描く ●遷轉五州防禦使:柏茂林が夔州都督から夔・忠・涪防禦使に転じたことをいう。代宗の広徳2年に夔・忠・涪防禦使を置き、夔州を治所としたが、もとは荊南節度使の配下で夔・峡・忠・帰・万の五州を領していたことにちなんで五州防禦使と呼んだもの ●八座:八つの重要な官職。唐では六部の尚書と左右僕射。工部尚書である衛伯玉を指す ●臘:大寒後、最初の辰の日 ●荆門:荊州の西、三峡の出口にある山 ●白帝:白帝城 ●偸:先取りする、抜け駆けして手に入れる ●與報:我がために報ぜよ ●惠連:謝恵連。謝霊運の従弟。杜位をたとえる

18-27 《送鮮于萬州遷巴州》 杜甫

京兆先時傑。琳琅照一門。朝廷偏注意。接近與名藩。祖帳排舟數。寒江觸石喧。看君妙爲政。他日有殊恩。

《鮮于万州が巴州に遷さるるを送る》
京兆は 時傑に先んじ。琳琅 一門を照らす。朝廷 偏へに意を注ぎ。接近 名藩を与ふ。祖帳 舟を排すること数〻にして。寒江 石に触れて喧し。看る 君が政を為すに妙なるを。他日 殊恩 有らん。

※●鮮于萬州:万州刺史の鮮于炅。顔真卿による鮮于仲通の墓碑によれば、炅は仲通の子、万州刺史として治績を挙げ、秘書少監に遷り、次いで巴州刺史となった。万州は現・重慶市万州区、当時は夔州府の属州 ●巴州:現・四川省巴中市 ●京兆:鮮于炅の父、仲通を指す。京兆尹をつとめた。 2-31《奉贈鮮于京兆二十韻》参照 ●琳琅:美玉。すぐれた子弟をたとえる。仲通の弟・叔明、兄と同じく京兆尹となり御史大夫を兼ねる。その子の昇も御史大夫。仲通の子(炅の兄)の昱は工部侍郎、炅の子・映は屯田郎兼侍御史 ●接近:近い場所 ●祖帳:送別の宴席の幕 ●排舟數:しばしば舟をならべる。転任しきりであることをいう。仇註は舟をならべて密に集まるの意に解く。いま豹軒に従う

18-28 《奉送十七舅下邵桂》 杜甫

絕域三冬暮。浮生一病身。感深辭舅氏。別後見何人。縹緲蒼梧帝。推遷孟母鄰。昏昏阻雲水。側望苦傷神。

《十七舅が邵桂に下るを送り奉る》
絶域 三冬の暮。浮生 一病身。感は深し 舅氏に辞するに。別後 何人をか見ん。縹緲たり 蒼梧の帝。推遷す 孟母の隣。昏昏として雲水に阻まれ。側望して 苦だ神を傷ましむ。

※●十七舅:排行が十七である母方の叔父 ●邵桂:邵州と桂州。現・湖南省南部 ●絶域:杜甫のいる夔州を指す ●蒼梧帝:上古の聖天子・舜をいう。南巡のさなかに亡くなり、蒼梧山に葬られたとされる ●孟母鄰:孟母三遷の故事を踏まえ、十七舅が母を奉じてゆくことをいう ●側望:身をそばだてて望み見る

18-29 《荆南兵馬使太常卿趙公大食刀歌》 杜甫

太常樓船聲嗷嘈。問兵刮寇趨下牢。牧出令奔飛百艘。猛蛟突獸紛騰逃。白帝寒城駐錦袍。玄冬示我胡國刀。壯士短衣頭虎毛。憑軒拔鞘天爲高。翻風轉日木怒號。冰翼雪澹傷哀猱。鐫錯碧罌鸊鵜膏。鋩鍔已瑩虛秋濤。鬼物撇捩辭坑壕。蒼水使者捫赤絛。龍伯國人罷釣鼇。芮公廻首顏色勞。分閫救世用賢豪。趙公玉立高歌起。攬環結佩相終始。萬歲持之䕶天子。得君亂絲與君理。蜀江如線如針水。荆岑彈丸心未已。賊臣惡子休干紀。魑魅魍魎徒爲耳。妖腰亂領敢欣喜。用之不高亦不庳。不似長劍須天倚。吁嗟光祿英雄弭。大食寶刀聊可比。丹靑宛轉麒麟裏。光芒六合無泥滓。

《荊南兵馬使 太常卿 趙公が大食刀の歌》
太常の楼船 声 嗷嘈たり。兵を問ひ 寇を刮らんと 下牢に趨く。牧 出で 令 奔りて 百艘 飛び。猛蛟 突獣 紛として騰逃す。白帝の寒城 錦袍を駐め。玄冬 我に示す 胡国の刀。壮士は短衣 頭には虎毛。軒に憑り 鞘より抜けば 天 為めに高し。風を翻し 日を転じて 木 怒号し。氷 翼(ト)び 雪 澹(ウゴ)きて 哀猱 傷む。鐫錯す 碧罌の鸊鵜膏。鋩鍔 已に瑩かにして 秋濤 虚し。鬼物 撇捩 坑壕を辞す。蒼水の使者 赤絛を捫(ト)り。竜伯国の人も 釣鼇を罷む。芮公 首を廻らして 顔色 労し。閫を分かち 世を救ふに 賢豪を用ふ。趙公 玉立して 高歌して起ち。環を攬(オサ)め 結佩して 相ひ終始す。万歳 之を持して 天子を䕶り。君が乱糸を得なば 君が与めに理めん。蜀江は 線の如く針の如き水。荊岑 弾丸 心 未だ已まず。賊臣 悪子 紀を干(オカ)すを休めよ。魑魅魍魎 徒らに為すのみ。妖腰 乱領 敢へて欣喜せんや。之を用ふること 高からず 亦た庳からず。長剣の天倚を須つに似ず。吁嗟 光禄 英雄 弭(ヤ)まん。大食の宝刀 聊か比すべし。丹青 宛転たり 麒麟の裏。六合に光芒ありて 泥滓 無からん。

※●荆南兵馬使太常卿趙公:荊南兵馬使(荊南節度使の配下)で太常卿(国家の祭祀を担当する太常寺の長官)を兼ねる趙氏。詳細は不明。荊南節度使衛伯玉の命を受けて夔州に来たものか ●大食:イスラム帝国(アッバース朝)。751年、タラス河畔の戦いで唐軍を破ったほか、安史の乱の際には唐を支援して四千人のアラブ兵を派遣し、彼らは乱の鎮圧後も唐に留まったとされる ●嗷嘈:かまびすしいさま ●問兵:兵士たちを慰問する ●刮寇:賊の勢いをそぐ ●下牢:関所の名。夔州と荊州の間、現・湖北省宜昌の付近 ●牧出令奔:(趙公を出迎えるために)州の刺史や県令が奔走する ●猛蛟・突獸:盗賊どもを指す ●錦袍:趙公が身に着けていた錦のわたいれ ●冰翼雪澹:諸説あり。仇註は翼を「飛ぶ」、澹を「動く」の意に解し、豹軒もこれに従う ●鐫錯:彫りつけるように磨く ●鸊鵜膏:カイツブリの分泌する脂。刀剣のサビ止めに用いる ●鋩鍔:切っ先 ●撇捩:すばやく逃げうせるさま ●蒼水使者:豹軒は、水神の使者の意にして、この刀を伝えた者をたとえる、と解く ●赤絛:刀の赤いひも ●龍伯國人:列子の湯問篇に見える巨人。数歩に満たずして五州に及び、釣をすれば六鼇を連ねるという ●芮公:荊南節度使衛伯玉のこと。記録にはないが、陽城郡王に封ぜられる前に芮国公に封ぜられていたのではないかと考えられている ●分閫:朝廷の外における軍権を分与される。閫は門扉をとめる杭木 ●如針水:仇本は「針如水」に作るが、豹軒は他本によりこれを改める。蜀を流れる長江は峡谷を流れるので、あるいは糸のようにあるいは針のように細い、の意 ●荆岑彈丸心:荊山の峰を弾丸のように小さく見なす心。この刀があれば荊州を治めることもたやすいとする自信に満ちた気持ち ●妖腰亂領:妖怪の腰と乱賊の襟首 ●天倚:倚天外の意。宋玉の大言賦に「長剣耿耿倚天外」とあるのを踏まえる ●光祿:光禄寺(宮中の宴会を担当する役所)の卿。趙公のかつての官職か ●英雄弭:群雄の割拠がやむ ●聊可比:趙公の才器にいくらか比すことができる ●麒麟:麒麟閣。漢の宣帝のとき、功臣の像を画いた ●光芒:大食刀が放つ光の穂先 ●六合:四方と上下。宇宙全体

18-30 《王兵馬使二角鷹》 杜甫

悲臺蕭瑟石巃嵸。哀壑杈枒浩呼洶。中有萬里之長江。廻風陷日孤光動。角鷹倒翻壯士臂。將軍玉帳軒翠氣。二鷹猛腦絛徐墜。目如愁胡視天地。杉鷄竹兔不自惜。溪虎野羊俱辟易。鞲上鋒稜十二翮。將軍勇銳與之敵。將軍樹勳起安西。崑崙虞泉入馬蹄。白羽曾肉三狻猊。敢決豈不與之齊。荆南芮公得將軍。亦如角鷹下朔雲。惡鳥飛飛啄金屋。安得爾輩開其羣。驅出六合梟鸞分。

《王兵馬使の二角鷹》
悲台 蕭瑟として 石 巃嵸たり。哀壑 杈枒として 浩くして呼洶たり。中に万里の長江有り。廻風 陥日 孤光 動く。角鷹 倒に翻へる 壮士の臂。将軍の玉帳 翠気 軒(アガ)る。二鷹の猛脳 絛 徐ろに墜ち。目は 愁胡の天地を視るが如し。杉鶏 竹兎 自ら惜しまず。渓虎 野羊 俱に辟易す。鞲上の鋒稜 十二翮。将軍の勇鋭 之と敵す。将軍 勲を樹てて 安西より起こり。崑崙 虞泉 馬蹄に入る。白羽 曽て肉す 三狻猊。敢決 豈に之と斉しからざらんや。荊南の芮公 将軍を得るは。亦た角鷹の朔雲より下るが如し。悪鳥 飛飛として 金屋に啄む。安んぞ得ん 爾が輩 其の群を開きて。六合より駆出して 梟鸞 分かたるるを。

※●王兵馬使:詩の内容からして、前詩の趙公と同様、荊南節度使衛伯玉の配下の兵馬使で、その命により夔州に派遣されて来た者であろう ●角鷹:クマタカ。角のように見える冠羽がある ●悲臺:悲風の吹く高台 ●巃嵸:高く大きいさま ●杈枒:ふぞろいのさま ●呼洶:風はげしく波高いさま ●陷日:峡間に落ち込んだ太陽。仇註は「滔日」に作るが、豹軒は他本に従い改める ●猛腦:猛々しい頭のかたち ●絛:鷹の足をつなぐひも ●愁胡:愁い顔の胡人。鷹の目つきをたとえる。晋の孫楚の鷹賦に「深目蛾眉、状似愁胡」とあり ●杉鷄:頭に黄色い鶏冠があり、頬には青い垂れ紐のような羽毛があるという鳥。杉の林に棲息するという。具体的な種名は不明 ●竹兔:竹の葉を食べる兎だという ●辟易:おそれて後ずさりする ●鞲:ゆごて。臂を保護する革製の防具。ここに鷹を止まらせる ●鋒稜:矛先。鷹の尖った羽軸(翮)をたとえる ●與之敵:これに匹敵する ●崑崙:西極にあるとされた仙山 ●虞泉:太陽の沈む場所。虞淵に同じ。高祖李淵の諱を避けて泉としたもの ●白羽:矢のこと ●狻猊:獅子 ●敢決:勇敢果決 ●芮公:荊南節度使衛伯玉。前詩参照 ●開其羣:悪鳥の群れを蹴散らす ●六合:四方と上下。宇宙全体 ●梟鸞:フクロウと鸞。フクロウは母を食らう悪鳥とされた。鸞は鳳凰の仲間

18-31 《見王監兵馬使說近山有白黑二鷹羅者久取竟未能得王以爲毛骨有異他鷹恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚眇不可見請余賦詩二首 其一》 杜甫

雪飛玉立盡淸秋。不惜奇毛恣遠遊。在野只敎心力破。于人何事網羅求。一生自獵知無敵。百中爭能恥下鞲。鵬礙九天須卻避。兔藏三窟莫深憂。

《王監兵馬使の説くならく 「近山に白黒の二鷹有りて 羅者 久しく取らんとするも竟に未だ得る能はず。王 以為へらく 毛骨 他の鷹に異なる有り。恐らくは 臘後 春 生ぜば 鶱飛して暖を避け 勁翮 秋を思ふの甚だしき 眇として見るべからざらん」と。余に請ひて詩を賦せしむ二首 其の一》
雪かと飛び 玉かと立ちて 清秋 尽く。奇毛を惜しまず 恣に遠遊す。野に在れば 只だ 心力をして破れしむ。人に于いて 何ぞ事とせん 網羅に求めらるるを。一生 自ら猟して 敵する無きを知り。百中 争でか能くせんや 鞲に下るを恥づ。鵬 九天を礙ぐるも 須らく却き避くべし。兎 三窟に蔵るるは 深く憂ふる莫かれ。

※●王監兵馬使:兵馬使で、中央のどこかの役所の監を兼ねる(あるいは過去に監であった)王氏。豹軒は前詩の王兵馬使とは別人なるべしとする ●羅者:網で鳥を捕らえる猟師 ●在野の句:旧解は羅者のことを言うと解する。豹軒は鷹のことを述べたものと解き、心力破れるのは、鷹は本来、山にあり天を飛ぶもので原野におるべきものではないからと補足する。豹軒の解に従う ●百中爭能:人のために百発百中のはたらきをすることなどどうしてできようか。豹軒は「百中 能を争ふ」と訓ずるが、鄙見により前句との対を重視して改めた ●鵬礙九天:荘子逍遙篇に「鵬之背、不知其幾千里也。・・・鵬之徙於南冥也、水撃三千里、摶扶搖而上者九萬里、去以六月息者也」とあり ●兔藏三窟:戦国策に「狡兔三窟僅得免其死」という ●莫深憂:ウサギのような小物は相手にしないから心配しなくてよい、という意味

18-32 《見王監兵馬使說近山有白黑二鷹羅者久取竟未能得王以爲毛骨有異他鷹恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚眇不可見請余賦詩二首 其二》 杜甫

黑鷹不省人閒有。度海疑從北極來。正翮摶風超紫塞。玄冬幾夜宿陽臺。虞羅自覺虛施巧。春雁同歸必見猜。萬里寒空祗一日。金眸玉爪不凡材。

《王監兵馬使の説くならく 「近山に白黒の二鷹有りて 羅者 久しく取らんとするも竟に未だ得る能はず。王 以為へらく 毛骨 他の鷹に異なる有り。恐らくは 臘後 春 生ぜば 鶱飛して暖を避け 勁翮 秋を思ふの甚だしき 眇として見るべからざらん」と。余に請ひて詩を賦せしむ二首 其の二》
黒鷹 省みず 人間の有なるを。海を度りて 疑ふらくは 北極より来たるかと。正翮 風に摶ちて 紫塞を超へ。玄冬 幾夜か 陽台に宿す。虞羅 自ら覚ゆ 虚しく巧を施すを。春雁 同に帰らば 必ず猜(ウタガ)はれん。万里の寒空 祗だ一日。金眸 玉爪 不凡の材。

※●不省:注意してよく見てもそのようには見えない ●人閒有:「人間所有」の省略形。人の世の有するもの。この世のもの ●紫塞:万里の長城の異名。紫色の土を用いたからという ●陽臺:朝雲暮雨の故事で知られる巫山の陽雲台。借りて杜甫のいる夔州をいう ●虞羅:虞人(山沢を掌る役人)の網 ●必見猜:鷹は雁の天敵だからである

18-33 《玉腕騮》 杜甫

聞說荆南馬。尙書玉腕騮。驂驔飄赤汗。跼蹐顧長楸。胡虜三年入。乾坤一戰收。擧鞭如有問。欲伴習池遊。

《玉腕騮》
聞くならく 荊南の馬。尚書の玉腕騮。驂驔として 赤汗を飄へし。跼蹐して 長楸を顧る。胡虜 三年 入るも。乾坤 一戦にして収む。鞭を挙げて 如し問ふ有らば。習池の遊びに伴はんと欲す。

※原注に「江陵節度衛公馬也」という。すなわち荊南節度使衛伯玉の馬 ●玉腕騮:前脚の腿の部分が白い栗毛馬 ●尙書:衛伯玉は検校工部尚書を兼ねていた ●驂驔:飛騰し疾駆するさま ●赤汗:血の汗。汗血馬のイメージを重ねる ●跼蹐:天にせぐくまり、地にぬきあしする。気を使って身の置きどころのないたとえ ●長楸:遠くまで連なるトウキササゲの木立。曹植の名都篇に「走馬長楸間」とあり ●胡虜三年入:衛伯玉は乾元2年に史思明、上元2年に史朝義、広徳元年に吐蕃を破った ●擧鞭如有問:晋の征南将軍山簡、襄陽に屯し、習家の池を気に入って常にそこで酒に酔って遊んだ。城中の子供がこれを歌った中に「擧鞭問葛强 何如幷州兒(葛強は山簡お気に入りの部下)」とあるのをふまえ、衛伯玉を山簡に、自身を葛強にたとえる

18-34 《醉爲馬墜諸公攜酒相看》 杜甫

甫也諸侯老賓客。罷酒酣歌拓金㦸。騎馬忽憶少年時。散蹄逬落瞿唐石。白帝城門水雲外。低身直下八千尺。粉堞電轉紫游韁。東得平岡出天壁。江村野堂爭入眼。垂鞭嚲鞚凌紫陌。向來皓首驚萬人。自倚紅顏能騎射。安知決臆追風足。朱汗驂驔猶噴玉。不虞一蹶終損傷。人生快意多所辱。職當憂戚伏衾枕。況乃遲暮加煩促。朋知來問腆我顏。杖藜强起依僮僕。語盡還成開口笑。提攜別掃淸溪曲。酒肉如山又一時。初筵哀絲動豪竹。共指西日不相貸。喧呼且覆杯中淥。何必走馬來爲問。君不見嵆康養生被殺戮。

《酔ひて馬に墜とされ 諸公 酒を携へて相ひ看る》
甫や 諸侯の老賓客。酒を罷め 酣歌して 金㦸を拓(ト)る。馬に騎りて忽ち憶ふ 少年の時。蹄を散じて逬落す 瞿唐の石。白帝城門 水雲の外。身を低くして 直ちに下る 八千尺。粉堞 電のごと転ず 紫游韁。東して平岡の天壁に出づるを得たり。江村 野堂 争ひて眼に入り。鞭を垂れ 鞚(タヅナ)を嚲(タ)れて 紫陌を凌ぐ。向来 皓首 万人を驚かす。自ら倚る 紅顔 能く騎射せしに。安んぞ知らん 臆を決して風を追ふの足の。朱汗 驂驔 猶ほ玉を噴くに。不虞に一蹶して 終に損傷せんとは。人生 意を快くすれば 辱しめらるる所多し。職として 当に憂戚して 衾枕に伏すべし。況んや乃ち 遅暮にして煩促を加ふるをや。朋知 来たり問へば 我が顔を腆(アツ)くし。藜を杖き 強ひて起ちて 僮僕に依る。語 尽きて 還た 口を開いて笑ふを成す。提携して 別に掃ふ 清渓の曲。酒肉 山の如きこと 又た一時。初筵 哀糸 豪竹を動かす。共に指さす 西日の相ひ貸さざるを。喧呼して 且つ覆す 杯中の淥。何ぞ必ずしも 馬を走らせて 来たりて為めに問はんや。君 見ずや 嵆康 養生するも殺戮せらるるを。

※●爲馬墜:爲は受け身をあらわす。爲馬所墜に同じ ●諸侯:夔州都督の柏茂林 ●散蹄:馬を乗り回す ●低身直下八千尺:豹軒は「馬に身を添わせて直下八千尺を望み見れば粉堞が電転す」と解くが、これでは紫游韁は文脈の中で孤立してしまう。八千尺は誇張が過ぎるが馬で駆け下ったと解くのが妥当であろう ●紫游韁:紫の糸で作ったゆるいたずな ●嚲鞚:馬のくちばみを垂れる。手綱をゆるめる ●凌紫陌:はなやかな大通りを得意げに駆け抜ける ●皓首:白髪頭 ●自倚:自負する ●決臆:意を決する、あるいは意をほしいままにする ●追風足:風を追いかけるように疾走する馬の足。また秦始皇帝の七名馬のうちに「追風」あることも踏まえる ●朱汗:血の汗。汗血馬のイメージ ●驂驔:前詩参照 ●噴玉:玉のような口泡を噴く ●職:もっぱら ●煩促:わずらわしく気がつまること ●腆我顏:面の皮を厚くする ●別掃:特別に掃除して清める ●豪竹:大きな竹笛 ●不相貸:日の光を貸してくれない、沈むのを待ってくれないことを言う ●喧呼:やかましく声をあげる ●覆:杯をひっくり返して飲み干す、あるいは裏返して飲むのをやめる、またあるいは、上を覆って飲むのを中断する。豹軒は18-19《小至》と同様、最後の解釈を採るが、詩の流れから見てここは飲み干すべきと考える ●嵆康養生:嵆康は『養生論』を著わしたが、鍾会に讒せられて刑死した

18-35 《覆舟二首 其一》 杜甫

巫峽盤渦曉。黔陽貢物秋。丹砂同隕石。翠羽共沈舟。羇使空斜影。龍宮閟積流。篙工幸不溺。俄頃逐輕鷗。

《覆舟二首 其の一》
巫峡 盤渦の暁。黔陽 貢物の秋。丹砂 隕石に同じく。翠羽 沈舟と共にす。羇使 斜影に空しく。竜宮 積流に閟づ。篙工 幸ひに溺れず。俄頃にして 軽鷗を逐ふ。

※●覆舟:ひっくり返った舟 ●盤渦:うずまく波 ●黔陽:県名。現・重慶市彭水県 ●貢物:朝廷への貢物 ●丹砂:硫化水銀(Ⅱ)の鉱石。朱色の顔料として用いるほか、仙薬の原料になると考えられていた ●翠羽:カワセミの羽根。装飾に用いる ●羇使:旅程中の使者。貢物の運搬担当 ●空斜影:傾く夕陽の光の中で消えてなくなる。水死して沈んだのである ●篙工:船頭 ●逐輕鷗:水中から浮かび上がり、カモメの後を追って泳ぐ

18-36 《覆舟二首 其二》 杜甫

竹宮時望拜。桂館或求仙。奼女凌波日。神光照夜年。徒聞斬蛟劍。無復㸑犀船。使者隨秋色。迢迢獨上天。

《覆舟二首 其の二》
竹宮 時に望拝し。桂館 或ひは仙を求む。奼女 波を凌ぐの日。神光 夜を照らすの年。徒らに聞く 斬蛟の剣。復たとは無し 㸑犀の船。使者 秋色に随ひ。迢迢として 独り天に上る。

※●竹宮:漢の武帝が神光を望拝した宮。正月上辛に祀をおこない、暮れから明け方まで、夜間ずっと神光があったという ●桂館:漢の武帝が神仙を待つために建てた館 ●奼女:おとめ。道家の語で水銀を指す ●凌波:曹植の洛神賦に「凌波微歩、羅韤生塵」とあるのを借りて、水中に消えたことを言う ●徒聞:仇註は「從聞」に作る ●斬蛟劍:呂氏春秋に見える話。荊の人、次非というもの宝剣を得、舟を沈めようとする蛟を斬って無事に江を渡ったという ●㸑犀船:東晋の温嶠、牛渚磯で犀の角を燃やして水中の怪物を照らし見たという話 ●使者:前詩の羇使のこと

18-37 《送李功曹之荆州充鄭侍御判官重贈》 杜甫

曾聞宋玉宅。每欲到荆州。此地生涯晚。遙悲水國秋。孤城一柱觀。落日九江流。使者雖光彩。靑楓遠自愁。

《李功曹が荊州に之き 鄭侍御の判官に充てらるるを送る。重ねて贈る》
曽て聞く 宋玉の宅。毎に荊州に到らんと欲す。此の地にて 生涯 晩(ク)れ。遥かに悲しみて 水国 秋なり。孤城 一柱観。落日 九江の流れ。使者 光彩ありと雖も。青楓 遠くして自ら愁ふ。

※●鄭侍御:侍御史の鄭氏。鄭審(17-42《解悶十二首 其三》参照)のことか ●判官:侍御史の属官 ● 宋玉宅:17-35《詠懷古跡五首 其二》参照 ●此地:このとき杜甫がいた夔州 ●水國:李功曹が向かう荊州 ●一柱觀:南朝宋の臨川王劉義慶が建てた楼閣。荊州の丘家湖にあり ●九江:長江が九本の支流に分かれるあたり。唐代の潯陽(現・江西省九江市)付近だが、ここではざっくり荊州を指す ●靑楓遠自愁:阮籍の詠懐詩の十七に「湛湛長江水。上有楓樹林。・・・遠望令人悲」とあるを踏まえる

18-38 《送王十六判官》 杜甫

客下荆南盡。君今復入舟。買薪猶白帝。鳴櫓已沙頭。衡霍生春早。瀟湘共海浮。荒林庾信宅。爲仗主人留。

《王十六判官を送る》
客は 荊南に下り尽くし。君 今 復た舟に入る。薪を買ふは 猶ほ白帝なるも。櫓を鳴らせば 已に沙頭ならん。衡霍 春を生ずること早く。瀟湘 海と共に浮かぶ。荒林 庾信の宅。為めに 主人に仗りて留まれ。

※●王十六判官:判官の官にある王氏。十六は排行 ●客:杜甫と同様に夔州に寓居していた人々 ●白帝:白帝城 ●沙頭:荊州東南近郊の港町。現・湖北省荊州市沙市区 ●衡霍:衡山。別名が霍山。現・湖南省衡陽市 ●瀟湘:瀟水と湘水。洞庭湖の南を流れる ●庾信宅:庾信がまだ梁に仕えて荊州にいたとき、前詩に見える宋玉の故宅に住んだ ●爲:杜甫のために。いずれ杜甫も荊州へ移住するつもりだからという意 ●仗主人:王判官が荊州で仕える長官に頼って

18-39 《別崔潩因寄薛據孟雲卿》 杜甫

志士惜妄動。知深難固辭。如何久磨礪。但取不磷緇。夙夜聽憂主。飛騰急濟時。荆州遇薛孟。爲報欲論詩。

《崔潩に別る。因りて薛拠・孟雲卿に寄す》
志士 妄りに動くを惜しむも。知 深ければ 固辞し難し。如何ぞ 久しく磨礪せん。但だ磷緇せざるを取る。夙夜 主を憂ふるを聴く。飛騰 時を済ふを急にせよ。荊州にて 薛・孟に遇はば。為めに報ぜよ 詩を論ぜんと欲すと。

※原注に「内弟潩、赴湖南幕職」という ●崔潩:杜甫の妻・崔氏の弟。このとき湖南観察使の幕僚として赴任しようとしていた ●薛拠:杜甫の友人。17-43《解悶十二首 其四》など参照 ●孟雲卿:杜甫の友人。17-44《解悶十二首 其五》など参照 ●知深:相手が自分の真価を深く知ってくれている ●磨礪:(出仕せずひきこもって)自分ひとりの才学を磨く ●磷緇:(世間の悪に染まって)すりへり、黒ずむ ●夙夜:昼も夜も ●

18-40 《寄杜位》 杜甫

寒日經簷短。窮猿失木悲。峽中爲客久。江上憶君時。天地身何往。風塵病敢辭。封書兩行淚。霑灑裛新詩。

《杜位に寄す》
寒日 簷を経ること短く。窮猿 木を失ひて悲しむ。峡中 客と為ること久しく。江上 君を憶ふこと時にす。天地 身 何くにか往かん。風塵 病ひも敢へて辞せんや。封書 両行の涙。霑灑して 新詩を裛(ツツ)む。

※●杜位:杜甫のいとこ。18-26《奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衞尙書太夫人因示從弟行軍司馬位》参照。原注に「頃者與位同在故嚴尚書幕」とあり、成都時代の杜甫とともに厳武の配下にいたらしい。この詩の当時は荊南節度使衛伯玉の幕下で行軍司馬の職にあった ●憶君時:豹軒ふくめ従来の解は「君を憶ふ時」と読む。しかしこれでは前句と対にならない。前句の「爲客久」が「久爲客」の倒置であるのと同様に、この句も「時憶君(時に君を憶ふ)」の倒置であるから、「時」は名詞ではなく副詞である。訓読するなら「君を憶ふこと時にす」とでもするしかないだろうが、意味としては「折に触れ君を憶う」ということである ●霑灑:そそぎうるおす

18-41 《立春》 杜甫

春日春盤細生菜。忽憶兩京全盛時。盤出高門行白玉。菜傳纖手送靑絲。巫峽寒江那對眼。杜陵遠客不勝悲。此身未知歸定處。呼兒覓紙一題詩。

《立春》
春日の春盤 生菜 細し。忽ち憶ふ 両京 全盛の時。盤 高門より出でて 白玉 行(メグ)り。菜 繊手より伝はりて 青糸を送る。巫峡の寒江 何ぞ眼に対せんや。杜陵の遠客 悲しみに勝へず。此の身 未だ知らず 定処に帰するを。児を呼び 紙を覓めて 一たび詩を題す。

※●春日:立春の日 ●春盤:立春の日に春餅と生菜を盛った大皿 ●兩京:長安と洛陽 ●高門:富貴の家の門。立春には春盤を作って諸方に贈呈する ●白玉:白玉でこしらえた大皿 ●靑絲:青い糸のように細く切られたニラ ●巫峽寒江:いま杜甫がいる夔州の光景

18-42 《江梅》 杜甫

梅蕊臘前破。梅花年後多。絕知春意好。最奈客愁何。雪樹元同色。江風亦自波。故園不可見。巫岫鬱嵯峨。

《江梅》
梅蕊 臘前に破れ。梅花 年後に多し。絶だ知る 春意の好きを。最も 客愁を奈何んせん。雪樹 元より色を同じくし。江風 亦た自づから波だつ。故園 見るべからず。巫岫 鬱として嵯峨たり。

※●臘:大寒の後、最初の辰の日 ●年後:年明けの後 ●雪樹:雪の降り積もった樹 ●亦自波:水面と同じように、梅の花も川風に波立つ

18-43 《庭草》 杜甫

楚草經寒碧。庭春入眼濃。舊低收葉擧。新掩卷牙重。步履宜輕過。開筵得屢供。看花隨節序。不敢强爲容。

《庭草》
楚草 寒を経て碧く。庭春 眼に入りて濃かなり。旧(モト) 低れしは 葉を収めて挙がり。新たに掩ふは 牙を巻いて重なる。歩履 宜しく軽く過ぐべく。開筵 屢〻供するを得ん。花を看るは 節序に随ふのみ。敢へて 容を為すを強ひず。

※●楚草:いま杜甫のいる夔州は楚の故地ゆえかく言う ●舊低:以前は元気なく葉を垂れていた草 ●新掩:新たに枝葉を広げる草 ●卷牙:牙は芽に同じ。葉が巻かれた状態の芽 ●看花:豹軒は「看花」では意味徹底せずとして、「着花」の誤りとする。しかし「着花」に作る他本の情報なく、また「看花」のままにても十分意味は通じるため、豹軒の改変には従わない ●爲容:容姿を飾り立てる。つまり草草が美しく花を咲かせること。見る者がそれを強制すべきではないし出来もしない、ただ節序にしたがって花が自然と咲くのを待てばよい、という趣旨

18-44 《愁》 杜甫

江草日日喚愁生。巫峽泠泠非世情。盤渦鷺浴底心性。獨樹花發自分明。十年戎馬暗南國。異域賓客老孤城。渭水秦山得見否。人今罷病虎縱橫。

《愁》
江草 日日に愁を喚びて生じ。巫峡 泠泠として 世情に非ず。盤渦に鷺の浴するは 底の心性ぞ。独樹に花の発きて 自づから分明なり。十年 戎馬 南国に暗く。異域の賓客 孤城に老ゆ。渭水 秦山 見るを得るや否や。人は今 罷病し 虎は縦横。

※原注に「强戲為呉體」という。呉体というものがどのような形式か定かでないが、この詩には失粘が多数あり、かつ前半は仄起式、後半は平起式となっている ●非世情:世間の人情にたがう ●孤城:いま杜甫がいる夔州の街 ●罷病:疲弊に同じ ●虎:苛斂誅求の官吏をたとえる

18-45 《王十五前閣會》 杜甫

楚岸收新雨。春臺引細風。情人來石上。鮮膾出江中。鄰舍煩書札。肩輿强老翁。病身虛俊味。何幸飫兒童。

《王十五が前閣の会》
楚岸に 新雨 収まり。春台 細風を引く。情人 石上に来たり。鮮膾 江中より出づ。隣舎 書札を煩はし。肩輿 老翁に強ふ。病身 俊味を虚しくするも。何の幸ひか 児童を飫(ア)かしむる。

※●王十五:不詳 ●前閣:閣前に同じ。閣の南面 ●楚岸:いま杜甫のいる夔州は楚の故地 ●情人:真情をもって交わる人。親友 ●鄰舍:隣の家。王十五の家 ●煩書札:わざわざ手紙をよこす ●虛俊味:すぐれた味の料理を食べられず無駄にする ●飫兒童:子供たちに腹いっぱい食べさせる。子供たちも一緒に招かれたとする説と、王十五が料理を土産に持ち帰らせてくれたとする説あり

18-46 《崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡》 杜甫

江閣邀賓許馬迎。午時起坐自天明。浮雲不負靑春色。細雨何孤白帝城。身過花閒霑濕好。醉於馬上往來輕。虛疑皓首衝泥怯。實少銀鞍傍險行。

《崔評事弟 相ひ迎ふるを許すも到らず。応に老夫の泥雨を見て出づるを怯れ 必ず佳期を愆(アヤマ)らんことを慮るべし。筆を走らせて戯れに簡す》
江閣 賓を邀ふるに 馬迎を許す。午時まで 起坐すること 天明よりす。浮雲にも負かず 青春の色。細雨にも何ぞ孤かん 白帝城。身 花間を過ぎて 霑湿すること好し。酔ひ 馬上に於いて 往来 軽し。虚しく疑ふ 皓首の泥を衝くこと怯るるかと。実に少(カ)く 銀鞍の険に傍ひて行くを。

※●崔評事弟:15-41《毒熱寄簡崔評事十六弟》参照 ●許相迎不到:迎えをよこすことを許諾していたのに、その迎えがやって来なかった ●江閣:杜甫が夔州で寓居していた西閣のこと ●白帝城:崔評事の居場所 ●銀鞍傍險行:瞿唐峡の険に沿って連れて行ってくれる迎えの馬

18-47 《遣悶戲呈路十九曹長》 杜甫

江浦雷聲喧昨夜。春城雨色動微寒。黃鸝竝坐交愁濕。白鷺羣飛太劇乾。晚節漸於詩律細。誰家數去酒杯寬。唯君最愛淸狂客。百遍相過意未闌。

《悶を遣る。戯れに路十九曹長に呈す》
江浦の雷声 昨夜に喧し。春城の雨色 微寒を動かす。黄鸝 並び坐して 交〻 湿ふを愁へ。白鷺 群飛して 太だ乾かすに劇(イソガ)し。晩節 漸く 詩律に於いて細かなり。誰が家にか 数〻去きて 酒杯 寛かならん。唯だ 君のみ 最も愛す 清狂の客。百遍 相ひ過るも 意 未だ闌ならず。

※●路十九曹長:杜甫が左拾遺だったころ、右拾遺であったという ●酒杯寬:さかずきの容量が大きい ●淸狂:世俗の利害価値観にけがされず気ままであること。杜甫自身を指す

18-48 《晝夢》 杜甫

二月饒睡昏昏然。不獨夜短晝分眠。桃花氣暖眼自醉。春渚日落夢相牽。故鄕門巷荆棘底。中原君臣豺虎邊。安得務農息戰鬭。普天無吏橫索錢。

《昼夢》
二月 睡 饒くして 昏昏然たり。独り 夜の短きにのみならず 昼分にも眠る。桃花 気 暖かにして 眼 自づから酔ひ。春渚 日 落ちて 夢 相ひ牽く。故郷の門巷は 荊棘の底。中原の君臣は 豺虎の辺。安んぞ得ん 農に務めて戦闘を息ましめ。普天 吏の横しまに銭を索むること無からしむるを。

※●晝分:正午。真昼 ●橫索錢:不正に金銭を取り立てる

18-49 《暮春》 杜甫

臥病擁塞在峽中。瀟湘洞庭虛映空。楚天不斷四時雨。巫峽常吹萬里風。沙上草閣柳新闇。城邊野池蓮欲紅。暮春鴛鷺立洲渚。挾子翻飛還一叢。

《暮春》
病に臥して 擁塞せられて 峡中に在り。瀟湘 洞庭 虚しく空に映ず。楚天 断えず 四時の雨。巫峡 常に吹く 万里の風。沙上の草閣 柳 新たに闇く。城辺の野池 蓮 紅ならんと欲す。暮春 鴛鷺 洲渚に立ち。子を挟み翻飛して 一叢に還る。

※●擁塞:とじこめる ●瀟湘:瀟水と湘水。洞庭湖の南を流れる ●楚天:いま杜甫のいる夔州は楚の故地 ●巫峽:長江三峡のひとつ。夔州の近く ●鴛鷺:オシドリやサギ ●一叢:一群の意とする解あるが、豹軒は採らず

18-50 《卽事》 杜甫

暮春三月巫峽長。皛皛行雲浮日光。雷聲忽送千峰雨。花氣渾如百和香。黃鶯過水翻廻去。燕子銜泥濕不妨。飛閣卷簾圖畫裏。虛無只少對瀟湘。

《即事》
暮春三月 巫峡 長し。皛皛たる行雲 日光を浮かぶ。雷声 忽ち 千峰の雨を送り。花気 渾て 百和香の如し。黄鶯 水を過ぎて 翻へりて廻り去り。燕子 泥を銜みて 湿ふも妨げず。飛閣 簾を巻く 図画の裏。虚無 只だ少(カ)く 瀟湘に対するを。

※●皛皛:白く輝くさま ●百和香:種々の香を合わせてつくった香 ●飛閣:高い楼閣。杜甫が寓居していたいわゆる西閣を指す ●虛無:何もなく広々しているさま ●瀟湘:瀟水と湘水。洞庭湖の南を流れる

18-51 《懷灞上遊》 杜甫

悵望東陵道。平生灞上遊。春濃停野騎。夜敞宿雲樓。離別人誰在。經過老自休。眼前今古意。江漢一歸舟。

《灞上の遊を懐ふ》
悵望す 東陵の道。平生 灞上に遊ぶ。春 濃かにして 野騎を停め。夜 敞(アキ)らかにして 雲楼に宿す。離別して 人 誰か在る。経過すること 老いにて自ら休す。眼前 今古の意。江漢 一帰舟。

※●灞上:灞橋のほとり。灞橋は長安城東を流れる灞水にかかる橋で、長安から東へ旅立つ者を送る場所として知られた ●東陵:長安城東の地。秦の東陵侯召平、秦が滅んで平民となり、漢の長安城の東門の外で瓜を植えて暮らした。東陵のさらに東に灞橋がある ●平生:ここでは「かつて」の意 ●雲樓:雲がかかるほど高い楼台 ●經過:灞上に行き訪ねること ●江漢:長江と漢水のあいだの地。杜甫がいるところ ●一歸舟:長安に帰るための一隻の舟

18-52 《入宅三首 其一》 杜甫

奔峭背赤甲。斷崖當白鹽。客居愧遷次。春色漸多添。花亞欲移竹。鳥窺新捲簾。衰年不敢恨。勝槪欲相兼。

《宅に入る三首 其の一》
奔峭 赤甲を背にし。断崖 白塩に当たる。客居 遷次を愧ぢ。春色 漸く多く添ふ。花 亜ぎて 竹を移さんと欲し。鳥 窺ひて 新たに簾を捲く。衰年 敢へて恨まず。勝概 相ひ兼ねんと欲す。

※●入宅:大暦2年春、杜甫は白帝山中腹の西閣から、赤甲山の麓へ転居した。その新居に入ったとの意 ●奔峭:土石の崩落する険しい山。もしくは奔騰するようにそびえる険しい山 ●赤甲・白鹽:ともに夔州にある山の名。 15-34《夔州歌十絕句 其四》参照 ●遷次:宿を移す。引っ越す ●花亞:花が竹に次ぐ。竹の下に位置する ●勝槪:素晴らしい景色 ●兼:あわせて手に入れる

18-53 《入宅三首 其二》 杜甫

亂後居難定。春歸客未還。水生魚復浦。雲暖麝香山。半頂梳頭白。過眉拄杖斑。相看多使者。一一問函關。

《宅に入る三首 其の二》
乱後 居 定まり難く。春 帰るも 客 未だ還らず。水は生ず 魚復浦。雲 暖かなり 麝香山。半頂 頭の白きを梳り。過眉 杖の斑なるに拄へらる。相ひ看れば 使者 多し。一一 函関を問ふ。

※●春歸:春が落ち着くべき場所へ帰っていく。春が過ぎ去ること ●客未還:杜甫自身がまだ故郷に帰れないことをいう ●魚復浦:白帝城の西、長江北岸の浦。現・重慶市奉節県 ●麝香山:山名。現・湖北省宜昌市秭帰県にあり ●半頂:頭の半分ほどに ●過眉:眉よりも上に超える高さで。腰が曲がっているため杖が目線より高いのである ●一一:見かけた使者ひとりひとりに ●問函關:長安の東にある函谷関の様子を尋ねる。つまり長安周辺の治安状況を尋ねる

18-54 《入宅三首 其三》 杜甫

宋玉歸州宅。雲通白帝城。吾人淹老病。旅食豈才名。峽口風常急。江流氣不平。只應與兒子。飄轉任浮生。

《宅に入る三首 其の三》
宋玉が帰州の宅。雲は通ず 白帝城。吾人 老病 淹(ヒサ)しく。旅食 豈に才名あらんや。峡口 風 常に急にして。江流 気 平らかならず。只だ応に 児子と与に。飄転して浮生に任ずべし。

※●宋玉歸州宅:宋玉の故宅は荊州と帰州の二ヶ所にあった。15-56《奉漢中王手札》・17-35《詠懷古跡五首 其二》参照

18-55 《赤甲》 杜甫

卜居赤甲遷居新。兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子。美芹由來知野人。荆州鄭薛寄詩近。蜀客郄岑非我鄰。笑接郞中評事飮。病從深酌道吾眞。

《赤甲》
居を赤甲に卜して 遷居 新たなり。両たび見る 巫山 楚水の春。炙背 以て天子に献ずべく。美芹 由来 野人 知る。荊州の鄭薛は 詩の近なるを寄するも。蜀客の郄岑は 我が隣に非ず。笑ひて 郎中評事に接して飲み。病むも 深酌に従ひて吾が真を道ふ。

※●赤甲:山名。大暦2年春、杜甫はその山麓に引っ越した。18-52《入宅三首 其一》参照 ●兩見:杜甫が大暦元年春に夔州に来てから二回目の春 ●炙背・美芹:嵆康の與山巨源絶交書に「野人有快炙背、而美芹子者、欲献之志尊、雖有区区之意、亦已疎矣」とあり。列子の楊朱篇に、日向ぼっこを王に献上しようと言った農夫、芹を村の富豪に薦めて哂われた者の逸話があるのに基づく ●鄭薛:鄭審(鄭虔の甥、江陵少尹)と薛拠(石首県令) ●寄詩近:諸解、「詩を寄せて近し」と読む。しかし鄙見にては、次句との対を考慮すれば「詩の近(作)を寄す」と読まざるべからずと思う ●郄岑:梓州刺史の郄昂と嘉州刺史の岑参 ●郞中:後の詩に見える呉郎とする説あり ●評事:杜甫の妻の弟、崔評事十六弟(15-41《毒熱寄簡崔評事十六弟》参照)か

18-56 《卜居》 杜甫

歸羡遼東鶴。吟同楚執珪。未成遊碧海。著處覓丹梯。雲嶂寬江北。春耕破瀼西。桃紅客若至。定似昔人迷。

《卜居》
帰るは羨む 遼東の鶴。吟ずるは同じ 楚の執珪。未だ成さず 碧海に遊ぶを。著処に 丹梯を覓む。雲嶂 江北には寛なれば。春耕 瀼西を破らん。桃 紅くして 客 若し至らば。定めて似ん 昔人の迷ひしに。

※●卜居:大暦2年、赤甲山麓からさらに瀼西(15-35《夔州歌十絕句 其五》参照)に引っ越した ●遼東鶴:昔、丁令威というものが仙人になって故郷の遼東に帰ったという捜神後記の話に基づく ●楚執珪:越人の莊舄、楚に仕えて執珪(宰相)となるも、病んでは越吟して故郷を懐かしんだという故事 ●著處:いたるところ ●丹梯:赤い梯子。仙境に入る道 ●雲嶂:雲がかかる屏風のごとき山 ●寬江北:長江の北側ではおだやかである ●昔人:陶淵明の桃花源記で桃源郷に迷い込んだ漁父。つまり桃花の盛りに客が我が家を訪ねてきたら桃源郷に迷い込んだ漁父のように戸惑うだろうということ

18-57 《暮春題瀼西新賃草屋五首 其一》 杜甫

久嗟三峽客。再與暮春期。百舌欲無語。繁花能幾時。谷虛雲氣薄。波亂日華遲。戰伐何由定。哀傷不在茲。

《暮春 瀼西の新たに賃する草屋に題す五首 其の一》
久しく嗟(ナゲ)く 三峡の客。再び暮春と期す。百舌も 語 無からんと欲し。繁花も 能く幾時ぞ。谷 虚しくして 雲気 薄く。波 乱れて 日華 遅し。戦伐 何に由りてか定まらん。哀傷 茲に在らず。

※●新賃草屋:新たに賃貸した草葺きの家 ●百舌:モズあるいはクロウタドリ。詳細は 12-10《百舌》参照 ●日華遲:太陽が遅々として沈まない。春の日永 ●不在茲:仇註は「茲」は前句の戦伐を指すとし、そのため「茲に在らざらんや」と反語に読む。豹軒は「茲」は眼前の春の過ぎゆく情景を指すと解し、「茲に在らず」と直叙に読む。豹軒を是とすべし

18-58 《暮春題瀼西新賃草屋五首 其二》 杜甫

此邦千樹橘。不見比封君。養拙干戈際。全生麋鹿羣。畏人江北草。旅食瀼西雲。萬里巴渝曲。三年實飽聞。

《暮春 瀼西の新たに賃する草屋に題す五首 其の二》
此の邦 千樹の橘。封君に比するを見ず。拙を養ふ 干戈の際。生を全くす 麋鹿の群。人を畏る 江北の草。旅食す 瀼西の雲。万里 巴渝の曲。三年 実に聞くに飽く。

※●此邦:夔州 ●千樹橘・不見比封君:史記貨殖伝に言うところでは、千戸の封君の税収がおよそ二十万銭、千樹の橘(ミカン)から得られる収入はそれに匹敵するのだという。しかし夔州ではそのようなミカン農家は見られない、という意味 ●麋鹿:麋は「なれしか」「おほしか」と訓ずるが、実際の種名はシカ科のシフゾウ(四不像)。中国の固有種で、当時は湿地を中心に広く棲息していた。麋鹿は山野の隠棲生活を象徴する言葉として用いられた。なお、後世、しばしばトナカイ(馴鹿)と混同されるが当時の中国にトナカイは棲息していない ●巴渝曲:蜀の東部の民歌

18-59 《暮春題瀼西新賃草屋五首 其三》 杜甫

綵雲陰復白。錦樹曉來靑。身世雙蓬鬢。乾坤一草亭。哀歌時自惜。醉舞爲誰醒。細雨荷鋤立。江猿吟翠屛。

《暮春 瀼西の新たに賃する草屋に題す五首 其の三》
綵雲 陰りて復た白み。錦樹 暁来 青し。身世 双蓬鬢。乾坤 一草亭。哀歌 時に自ら惜しみ。酔舞 誰が為にか醒めん。細雨 鋤を荷ひて立てば。江猿 翠屛に吟ず。

※●錦樹:錦のように美しい樹。花が咲き誇る樹とする説あるが、豹軒は前句の綵雲映じて錦のように美しい樹と解く ●雙蓬鬢:左右両方の蓬のごとく乱れた鬢 ●翠屛:屏風のようにそそり立つ青い山

18-60 《暮春題瀼西新賃草屋五首 其四》 杜甫

壯年學書劍。他日委泥沙。事主非無祿。浮生卽有涯。高齋依藥餌。絕域改春華。喪亂丹心破。王臣未一家。

《暮春 瀼西の新たに賃する草屋に題す五首 其の四》
壮年 書剣を学ぶも。他日 泥沙に委ねらる。主に事へて 禄 無きに非ず。浮生 即ち涯り有り。高斎 薬餌に依りて。絶域 春華 改まる。喪乱に 丹心 破る。王臣 未だ一家ならず。

※●書劍:文と武。士大夫がたしなむべきもの ●事主非無祿:かつては左拾遺として天子のそばに仕え俸禄を受けていた ●高齋:草葺きの粗末な家を普通、高斎とは言わないが、あえて美化して言ったものだろう。豹軒は以前に寓居していた西閣を指すとするが、文脈上不自然と思う ●依藥餌:薬に頼って生きる

18-61 《暮春題瀼西新賃草屋五首 其五》 杜甫

欲陳濟世策。已老尙書郞。不息豺狼鬭。空慙鴛鷺行。時危人事急。風逆羽毛傷。落日悲江漢。中宵淚滿牀。

《暮春 瀼西の新たに賃する草屋に題す五首 其の五》
世を済ふ策を陳べんと欲するも。已に老いたり 尚書郎。息まず 豺狼の闘ひ。空しく慙づ 鴛鷺の行。時 危くして 人事 急に。風 逆らひて 羽毛 傷はる。落日 江漢に悲しみ。中宵 涙 床に満つ。

※●尙書郞:検校工部員外郎(尚書省の郎官)たる杜甫 ●鴛鷺行:朝廷の百官の行列。杜甫は形式上その一員であるから今日の状況に慚愧するというのである ●人事:人の世の事。人民の状況 ●羽毛傷:鴛鷺の一員たる杜甫の羽が傷つく ●江漢:長江と漢水の間、今いる夔州を指す

18-62 《寄從孫崇簡》 杜甫

嵯峨白帝城東西。南有龍湫北虎溪。吾孫騎曹不記馬。業學尸鄕多養鷄。龐公隱時盡室去。武陵春樹他人迷。與汝林居未相失。近身藥裹酒常攜。牧豎樵童亦無賴。莫令斬斷靑雲梯。

《従孫 崇簡に寄す》
嵯峨たり 白帝城の東西。南には竜湫 有り 北には虎渓。吾が孫 騎曹なるも 馬を記せず。業は尸郷を学びて 多く鶏を養ふ。龐公 隠るる時 室を尽くして去り。武陵の春樹 他人 迷ふ。汝と林居し 未だ相ひ失はず。身に薬裹を近づくるに 酒 常に携ふ。牧豎も 樵童も 亦た無頼。斬断せしむる莫れ 青雲の梯。

※●從孫:甥の子。すなわち兄弟の孫 ●崇簡:杜崇簡。後の詩の原注によればかつて衛倉曹参軍の官にあったらしい ●龍湫・虎溪:竜の棲む淵、虎の棲む谷 ●騎曹不記馬:晋の王献之、騎曹参軍となるが、職掌たる馬のことに全く無関心だった。崇簡も同様に官吏としての仕事に無関心であることをたとえる ●尸鄕:尸郷の北山の下にいた祝鶏翁を指す。百年あまり鶏千羽を飼い、すべて名前をつけ、呼べば寄って来たという ●龐公:後漢末、襄陽の隠者。妻子を連れて鹿門山に入り、薬を採って暮らしたという ●盡室:妻子みなこぞって ●武陵春樹:武陵桃源の桃の花 ●他人迷:よそから来た者は迷ってたどりつけない ●藥裹:薬袋 ●酒常攜:崇簡が杜甫のところへ携えて来る ●無賴:あてにならない、いいかげん、ろくでもない ●靑雲梯:仙界へ登る雲の梯子。ここで意味する実物は青雲にまで届くほどの高い梯子。山中の高所に登るのに用いる。豹軒は、崇簡の家と杜甫の家との往来に必要なる梯子ならんと解く。妥当と思う。さらに付け加えれば、梯子の上にある杜甫の家を仙界に見立てて青雲の梯と呼ぶなるべし

18-63 《江雨有懷鄭典設》 杜甫

春雨闇闇塞峽中。早晚來自楚王宮。亂波紛披已打岸。弱雲狼藉不禁風。寵光蕙葉與多碧。點注桃花舒小紅。谷口子眞正憶汝。岸高瀼闊限西東。

《江雨に鄭典設を懐ふ有り》
春雨 闇闇として 峡中を塞ぎ。早晩 楚王の宮より来る。乱波 紛披として 已に岸を打ち。弱雲 狼藉として 風に禁へず。蕙葉に寵光して 多碧を与へ。桃花に点注して 小紅を舒べしむ。谷口の子真 正に汝を憶ふ。岸 高く 瀼 闊くして 西東を限る。

※●鄭典設:東宮に付属する典設局の郎であった鄭氏 ●早晚:いつしか ●寵光:寵愛し光を与える ●蕙葉:香り草の葉 ●點注:ぽつぽつと注ぐ ●子眞:漢の鄭樸の字。長安の谷口に耕し賢者として知られた。鄭典設と同姓のため持ち出したもの ●瀼闊:瀼水(15-35《夔州歌十絕句 其五》参照)の川幅が広い。仇本は闊を滑に作るが、豹軒は他本に従って闊に改める ●限西東:杜甫と鄭典設を東西に区切る

18-64 《熟食日示宗文宗武》 杜甫

消渴遊江漢。羇棲尙甲兵。幾年逢熟食。萬里逼淸明。松柏邙山路。風花白帝城。汝曹催我老。回首淚縱橫。

《熟食の日 宗文宗武に示す》
消渇 江漢に遊ぶ。羇棲 尚ほ甲兵。幾年か 熟食に逢ふ。万里 清明に逼る。松柏 邙山の路。風花 白帝城。汝が曹 我が老ゆるを催す。首を回らせば 涙 縦横。

※●熟食日:寒食節の異名。その三日間、火を禁じるゆえに寒食と言い、また、あらかじめ火を通した食物を用意しておくゆえに熟食と言う ●宗文・宗武:杜甫の息子 ●消渴:糖尿病。杜甫の持病 ●羇棲:旅ずまい ●淸明:清明節。寒食節最終日の翌日 ●松柏:マツとコノテガシワ。墓地に植える樹木 ●邙山:洛陽の北にある山。多くの墓地があった。寒食・清明には墓参りをする風習があった

18-65 《又示兩兒》 杜甫

令節成吾老。他時見汝心。浮生看物變。爲恨與年深。長葛書難得。江州涕不禁。團圓思弟妹。行坐白頭吟。

《又た両児に示す》
令節 吾が老いを成す。他時 汝が心に見ん。浮生 物の変ずるを看。恨みを為すは 年と深し。長葛 書 得難く。江州 涕 禁へず。団円 弟妹を思ひ。行坐 白頭 吟ず。

※●兩兒:宗文・宗武の二人の息子 ●令節:佳節に同じ。寒食・清明の節句を指す ●見汝心:諸説あり。豹軒は、老いを成す我が心がどんなものかを汝らの心に思い当たって見るだろう、と解く ●長葛:地名。現・河南省長葛市。杜甫の弟の杜観がいるところ ●江州:別名潯陽。現・江西省九江市。杜甫の妹がいた ●團圓:家族団欒 ●行坐:歩いても坐っても

18-66 《得舍弟觀書自中都已達江陵今茲暮春月末行李合到夔州悲喜相兼團圓可待賦詩卽事情見乎詞》 杜甫

爾過江陵府。何時到峽州。亂離生有別。聚集病應瘳。颯颯開啼眼。朝朝上水樓。老身須付託。白骨更何憂。

《舎弟 観の書を得たり。中都より已に江陵に達し 今茲 暮春の月末に 行李 合に夔州に到るべしと。悲喜 相ひ兼ね 団円 待つべし。詩を賦して事に即す。情は詞に見ゆ》
爾 江陵府を過ぐ。何れの時にか 峡州に到らん。乱離には 生に別有り。聚集せば 病も応に瘳ゆべし。颯颯たるに 啼眼を開き。朝朝 水楼に上る。老身 須らく付託すべし。白骨 更に何をか憂へん。

※●舍弟觀:杜甫の弟の杜観。前詩参照 ●中都:長安のこと。至徳2年、西京の長安を中京と改めた ●江陵:荊州 ●今茲:今年。大暦2年 ●峽州:現・湖北省宜昌市。荊州より上流、三峡の入口 ●颯颯:風が吹くさま。ここでは颯颯たる風に向かって、の意 ●上水樓:弟の乗った船が見えないかと遠望するためである ●須付託:誰かに委ねなければならない ●更何憂:弟が来さえすれば心配いらぬ

18-67 《喜觀卽到復題短篇二首 其一》 杜甫

巫峽千山暗。終南萬里春。病中吾見弟。書到汝爲人。意答兒童問。來經戰伐新。泊船悲喜後。款款話歸秦。

《観の即ち到らんとするを喜びて復た短篇を題す二首 其の一》
巫峡 千山 暗く。終南 万里 春ならん。病中 吾 弟を見る。書 到れば 汝 人 為り。意ひて 児童の問ふに答ふ。来たるに 戦伐の新たなるを経たらんと。船を泊して 悲喜したるの後。款款として 秦に帰るを話せん。

※●觀:杜甫の弟の杜観。前詩参照 ●終南:長安の南の終南山 ●汝爲人:死んで幽霊になっておらず、無事に生きた人間である ●意答兒童問:弟の近況をたずねる息子たちの質問に、自分も弟の姿を思い浮かべながら答える ●款款:ゆるやか、ゆったりしたさま ●歸秦:長安へ帰る

18-68 《喜觀卽到復題短篇二首 其二》 杜甫

待爾瞋烏鵲。抛書示鶺鴒。枝閒喜不去。原上急曾經。江閣嫌津柳。風帆數驛亭。應論十年事。愁絕始惺惺。

《観の即ち到らんとするを喜びて復た短篇を題す二首 其の二》
爾を待ちて 烏鵲を瞋り。書を抛ちて 鶺鴒に示す。枝間 喜びて去らず。原上 急 曽て経たり。江閣にて 津柳を嫌ひ。風帆 駅亭を数ふ。応に十年の事を論じて。愁絶 始めて惺惺たるべし。

※●瞋:仇本は嗔に作るが、豹軒は瞋に改める。嗔と瞋は通用するので敢えて改めるほどでもないと思うが、豹軒に従う ●烏鵲:烏鵲が騒げば待ち人到るという迷信があったため、騒ぐくせに待ち人を寄こさないと言って烏鵲に怒るのである ●鶺鴒:詩経の常棣に「鶺鴒在原、兄弟急難」とあることから、鶺鴒は兄弟助け合うことの象徴 ●喜不去:こちらが怒っても、烏鵲は楽しそうに騒いで枝から去らない ●急曾經:鶺鴒たちはかつて急難を経て助け合った ●嫌津柳:渡し場の柳が視界を遮るからである ●數驛亭:弟が到着するまでに経る駅亭を数えてみる ●愁絕:この上ない愁い ●惺惺:目が覚めたように晴れ晴れしたさま

18-69 《晚登瀼上堂》 杜甫

故躋瀼岸高。頗免崖石擁。開襟野堂豁。繫馬林花動。雉堞粉如雲。山田麥無隴。春氣晚更生。江流靜猶湧。四序嬰我懷。羣盜久相踵。黎民困逆節。天子渴垂拱。所思注東北。深峽轉修聳。衰老自成病。郞官未爲宂。凄其望呂葛。不復夢周孔。濟世數嚮時。斯人各枯冢。楚星南天黑。蜀月西霧重。安得隨鳥翎。迫此懼將恐。

《晩に瀼上の堂に登る》
故らに躋(ノボ)る 瀼岸の高きに。頗る免る 崖石に擁せらるるを。襟を開けば 野堂 豁(ヒロ)く。馬を繫げば 林花 動く。雉堞 粉として雲の如く。山田 麦に隴無し。春気 晩れて更に生じ。江流 静かにして猶ほ湧く。四序 我が懐ひに嬰(カカ)る。群盗 久しく相ひ踵(ツ)ぐ。黎民 逆節に困しみ。天子 垂拱に渇す。思ふ所 東北に注ぎ。深峡 転た修聳なり。衰老 自づから病を成し。郎官 未だ冗なりと為さず。凄其として 呂葛を望むも。復たとは周孔を夢みず。世を済ふこと 嚮時を数ふれば。斯の人 各〻枯冢なり。楚星 南天 黒く。蜀月 西霧 重し。安んぞ得ん 鳥翎に随ふを。此の懼れ将た恐るるに迫らる。

※●瀼上堂:瀼水のほとりの堂。豹軒は瀼西の新居の堂だとする ●雉堞:城のひめかき。雉は幅三丈×高さ一丈の面積で城壁を築くときの単位 ●麥無隴:平地の麦畑のような整然たる畝はない ●四序:四季の節序 ●逆節:賊軍どもによる臣道の節に逆らう横暴 ●垂拱:衣を垂れ手を拱くままに徳によって天下よく治まること ●東北:いま杜甫がいる夔州から見て東北にある故郷の洛陽 ●修聳:長々とつづき、そびえる ●郞官:杜甫が拝した工部員外郎の職 ●呂葛:周の太公望呂尚と蜀漢の諸葛亮 ●周孔:周公旦と孔子。論語の述而篇、孔子が「吾不復夢見周公」と語った故事をふまえる ●斯人:諸解、杜甫と交流のあった諸賢、房琯や厳武らを指すとするが、詩中まったく言及していない人々を「斯」で受けられるものなのか疑問を禁じ得ない。鄙見ではむしろ直前の「呂葛」「周孔」を指すのではないかと思う ●楚星・蜀月:夔州は楚の故地であり、また蜀の範囲である ●懼將恐:詩経の小雅の谷風に「將懼將恐」とあるを踏まえる

18-70 《寄薛三郞中據》 杜甫

人生無賢愚。飄颻若埃塵。自非得神仙。誰克免其身。與子俱白頭。役役常苦辛。雖爲尙書郞。不及村野人。憶昔村野人。其樂難具陳。藹藹桑麻交。公侯爲等倫。天未厭戎馬。我輩本常貧。子尙客荆州。我亦滯江濱。峽中一臥病。瘧癘終冬春。春復加肺氣。此病蓋有因。早歲與蘇鄭。痛飮情相親。二公化爲土。嗜酒不失眞。余今委修短。豈得恨命屯。聞子心甚壯。所過信席珍。上馬不用扶。每扶必怒瞋。賦詩賓客閒。揮灑動八垠。乃知蓋代手。才力老益神。靑草洞庭湖。東浮滄海漘。君山可避暑。況足采白蘋。子豈無扁舟。往復江漢津。我未下瞿唐。空念禹功勤。聽說松門峽。吐藥攬衣巾。高秋卻束帶。鼓枻視靑旻。鳳池日澄碧。濟濟多士新。余病不能起。健者勿逡巡。上有明哲君。下有行化臣。

《薛三郎中拠に寄す》
人生 賢と愚と 無く。飄颻たること 埃塵の若し。神仙を得るに非ざるよりは。誰か克く 其の身を免れん。子と 倶に白頭。役役として 常に苦辛す。尚書郎 為りと雖も。村野の人に及ばず。憶ふ昔 村野の人なりしを。その楽しみ 具さには陳べ難し。藹藹として 桑麻 交はり。公侯も 等倫と為す。天 未だ戎馬に厭かず。我が輩 本より常に貧なり。子は 尚ほ 荊州に客たり。我も亦た 江浜に滞る。峡中 一たび病に臥し。瘧癘 冬春を終ふ。春 復た 肺気を加ふ。此の病 蓋し因有り。早歳 蘇鄭と与に。痛飲して 情 相ひ親しむ。二公 化して土と為る。酒を嗜みて 真を失はず。余 今 修短に委す。豈に 命の屯なるを恨むを得んや。聞く 子が心 甚だ壮にして。過ぎる所 信に席珍なりと。馬に上るに扶けを用ひず。扶けらるる毎に 必ず怒瞋す。詩を賦す 賓客の間。揮灑して 八垠を動かす。乃ち知る 蓋代の手。才力 老いて益〻神あるを。青草 洞庭の湖より。東して 滄海の漘に浮かばん。君山には 暑を避くべし。況んや 白蘋を采るに足るをや。子 豈に 扁舟の。江漢の津に往復する無からんや。我 未だ 瞿唐を下らず。空しく禹功の勤めしをを念ふ。松門峡を説くを聴くや。薬を吐きて 衣巾を攬る。高秋 束帯を却け。枻を鼓して 青旻を視ん。鳳池 日〻に澄碧にして。済済として多士 新たなり。余 病みて 起つ能はず。健者は 逡巡する勿れ。上に明哲の君有り。下に行化の臣有り。

※●薛三郞中據:杜甫の友人の薛據。17-43《解悶十二首 其四》など参照。18-55《赤甲》によれば、この当時、荊州の石首県令。仇本は據を璩に作る ●無賢愚:賢愚の区別なく ●藹藹:もやもやと茂るさま ●爲等倫:同等の仲間とみなす ●瘧癘:おこりの病。マラリア ●肺氣:肺の病気 ●蘇鄭:蘇源明・鄭虔。今は亡き杜甫の友人。 16-11《八哀詩 其六 故祕書少監武功蘇公源明》・16-12《八哀詩 其七 故著作郞貶台州司戶滎陽鄭公虔》など参照 ●委修短:寿命の長短いずれであろうとなるに任せる ●命屯:運命が困難にあたる ●所過信席珍:訪ねる先々で重宝がられる。席珍は席上の珍、美玉などの宝物 ●揮灑:筆を揮って墨汁を灑ぐ ●八垠:八方の果て ●蓋代手:世を蓋うほどの名手 ●靑草洞庭湖:青草湖と洞庭湖。ともに湖南にあり ●君山:洞庭湖中にある島。上古の聖天子堯の娘、湘君が居た島という ●白蘋:白い花をつける水草。梁の柳惲の江南曲に「汀洲採白蘋 日暖江南春 洞庭有歸客 瀟湘逢故人」とあり ●江漢:長江と漢水の間、杜甫のいる夔州周辺 ●禹功勤:上古の天子禹は治水のため三峡を開鑿したと伝わる ●松門峽:諸説あって明らかならず。豹軒は鄱陽湖中にある松門山のこととする ●吐藥:口に含んだ薬を吐き出す。豹軒は慌てて旅支度にかかるさまと解く。いま豹軒に従う ●卻束帶:礼服を脱ぎ捨てる ●鼓枻:舟の楫を動かす ●鳳池:宮中の池 ●行化臣:政教により徳化を行う臣

18-71 《送惠二歸故居》 杜甫

惠子白駒瘦。歸溪唯病身。皇天無老眼。空谷滯斯人。崖蜜松花熟。山杯竹葉新。柴門了無事。黃綺未稱臣。

《恵二が故居に帰るを送る》
恵子 白駒 痩せ。渓に帰るは 唯だ病身。皇天 老眼 無く。空谷 斯の人を滞らしむ。崖蜜 松花のごと熟し。山杯 竹葉 新たなり。柴門 了に事無く。黄綺 未だ臣と称せず。

※●惠二:排行が二である恵氏。詳細不明 ●白駒:賢人の乗る馬。詩経に「皎皎白駒、在彼空谷」とあり ●皇天:お天道様 ●老眼:老練で見通しのきく眼力 ●崖蜜:ミツバチが崖に作った巣で作る蜂蜜 ●松花熟:豹軒は松の花のように黄色く熟す、と解く。あるいはパインハニーが出来上がるという意味かもしれない(パインハニーは松の花粉ではなく樹液に由来するものだが、当時の人が松の花から出来ると考えていたとしても不思議はない)。いま豹軒の解に従う ●竹葉:竹葉清(または竹葉青)。酒の名前。紹興酒の三年を経たもの ●柴門:柴で編んだ粗末な門。恵氏の宅の門を指す ●黃綺:商山の四皓(秦末漢初の隠者。高祖の召し出しには応じなかったが、皇太子(のちの恵帝)からの招聘には応じて仕えた)のうちの二人、夏黄と綺里季。恵氏をたとえる

18-72 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其一》 杜甫

祿山作逆降天誅。更有思明亦已無。洶洶人寰猶不定。時時戰鬭欲何須。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の一》
禄山 逆を作すも 天誅 降る。更に思明 有りしも 亦た已に無し。洶洶として 人寰 猶ほ定まらず。時時 戦闘するは 何をか須たんと欲する。

※●河北諸道節度:安史の乱平定後も、賊軍から寝返ってその地位を得た河北諸鎮の節度使は半独立状態を維持し、中央からの命に容易に服さなかった ●祿山:安禄山。天宝14年11月反乱を起こし、洛陽・長安を落とし、大燕皇帝を僭称したが、息子の安慶緒に殺された ●思明:史思明。安慶緒を殺して大燕皇帝を名乗ったが、息子の史朝義に殺された ●洶洶:波の湧きたつさま

18-73 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其二》 杜甫

社稷蒼生計必安。蠻夷雜種錯相干。周宣漢武今王是。孝子忠臣後代看。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の二》
社稷 蒼生 計るに必ず安からん。蛮夷 雑種 錯りて相ひ干(オカ)す。周宣 漢武 今王 是れなり。孝子 忠臣 後代 看ん。

※●計必安:私が考えてみるに、必ず安泰になるはずだ ●雜種:異民族同士のハーフ。安禄山も史思明も突厥とソグド人の混血 ●周宣漢武今王是:「今王是周宣漢武」の倒置。今上陛下(代宗)は周における宣王、漢における武帝である、の意 ●孝子忠臣後代看:いま帰順した諸将を後代の人は孝子忠臣とみなしてたたえるだろう

18-74 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其三》 杜甫

喧喧道路好童謠。河北將軍盡入朝。自是乾坤王室正。卻敎江漢客魂銷。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の三》
喧喧として 道路に 童謡 好し。河北の将軍 尽く入朝すと。自づから是れ 乾坤に 王室 正し。却って 江漢の客魂をして銷せしむ。

※●江漢客魂:長江と漢水の間の夔州に客寓する杜甫の魂

18-75 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其四》 杜甫

不道諸公無表來。茫茫庶事遣人猜。擁兵相學干戈銳。使者徒勞萬里廻。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の四》
不道にも 諸公より 表の来たる無かりき。茫茫たる庶事 人をして猜せしむ。兵を擁して相ひ学ぶ 干戈の鋭きを。使者 徒らに労して 万里より廻る。

※●不道:思いがけなくも ●無表來:天子の寿を賀する表文が来ない。これまでの河北藩鎮の朝廷に対する不遜な姿勢を述べたもの ●使者:朝廷の命に従うよう説得するために派遣された使者

18-76 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其五》 杜甫

鳴玉鏘金盡正臣。修文偃武不無人。興王會靜妖氛氣。聖壽宜過一萬春。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の五》
鳴玉 鏘金は 尽く正臣。修文 偃武 人 無きにあらず。興王 会らず静めん 妖氛の気。聖寿 宜しく過ぐべし 一万春。

※●鳴玉鏘金:身に帯びた装飾品の玉や金の触れ合う音を響かせること ●修文偃武:文事を修め、武器を地に置いて戦闘をやめる ●興王:国を興す王。代宗のこと

18-77 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其六》 杜甫

英雄見事若通神。聖哲爲心小一身。燕趙休矜出佳麗。宮闈不擬選才人。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の六》
英雄 事を見るは 神に通ずるが若く。聖哲 心を為すに 一身を小とす。燕趙 矜るを休めよ 佳麗を出だすを。宮闈 才人を選ばんとは擬せず。

※●英雄:豹軒は、今般入朝の諸将を指すと解く。仇註は、代宗を諫めて節度使から献上された豪華な誕生祝を返却するよう勧めた常衮を指すと解く ●爲心:心の持ち方として、心構えとして ●燕趙:戦国時代、燕や趙のあった地。河北藩鎮の支配地域に重なる ●佳麗:美人。燕趙は美人の多い地域として知られた ●才人:女官の階級。正四品

18-78 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其七》 杜甫

抱病江天白首郞。空山樓閣暮春光。衣冠是日朝天子。草奏何時入帝鄕。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の七》
病を抱く 江天 白首の郎。空山の楼閣 春光 暮る。衣冠 是の日 天子に朝す。草奏 何れの時にか 帝郷に入らん。

※●白首郞:白髪の郎官。年老いてようやく郎官となった漢の馮唐の故事をふまえて、検校工部員外郎である杜甫自身を指す ●衣冠:正装した朝官たち ●草奏:上奏文を起草する

18-79 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其八》 杜甫

澶漫山東一百州。削成如案抱靑丘。包茅重入歸關內。王祭還供盡海頭。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の八》
澶漫たり 山東の一百州。削り成すこと 案の如く 青丘を抱く。包茅 重ねて入りて 関内に帰す。王祭 還た供すること 海頭を尽くす。

※●澶漫:広々はるかなるさま ●山東:太行山脈以東の地。河北藩鎮の支配地域 ●如案抱靑丘:机のように平らで、青丘を取り囲んでいる。青丘は現・山東省東営市広饒県の北の地名。また古い時代の伝説上の東方の地でもある ●包茅:束ねた茅。古代、祭祀の際に酒を漉すのに用いられ、諸侯から周の天子への貢物に含まれた。斉の桓公が楚の罪を責めた文に「汝貢包茅不入、王祭不供」という ●盡海頭:海のほとりに至るまで全土こぞってする

18-80 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其九》 杜甫

東逾遼水北滹沱。星象風雲喜共和。紫氣關臨天地闊。黃金臺貯俊賢多。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の九》
東は遼水を逾へ 北は滹沱。星象 風雲 共に和するを喜ぶ。紫気関は 天地の闊なるに臨み。黄金台は 俊賢を貯ふること多し。

※●遼水:遼河。現・遼寧省を流れ渤海湾に注ぐ ●滹沱:滹沱河。現・山西省北部から河北省中部を流れる川 ●紫氣關:函谷関のこと。 17-30《秋興八首 其五》の「紫氣滿函關」語釈参照 ●黃金臺:戦国時代の燕の昭王が築いた台。黄金を置いて天下の賢才を招いた

18-81 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其十》 杜甫

漁陽突騎邯鄲兒。酒酣竝轡金鞭垂。意氣卽歸雙闕舞。雄豪復遣五陵知。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の十》
漁陽の突騎 邯鄲の児。酒 酣にして 轡を並べて 金鞭 垂る。意気 即(モ)し双闕に帰して舞はば。雄豪 復た五陵をして知らしめん。

※●漁陽:安禄山の根拠地 ●邯鄲:戦国時代の趙の都 ●金鞭垂:鞭を使わず垂らしている。ゆったりと馬を進めているさま ●卽:ここでは仮定の「もし」 ●雙闕:宮殿の左右のわきの小門。転じて宮城、朝廷を指す ●五陵:漢代の皇帝五人の陵墓のあった長安北郊の地域。貴顕富豪が多く住み、その子弟は豪遊に耽り、侠気を誇った

18-82 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其十一》 杜甫

李相將軍擁薊門。白頭惟有赤心存。竟能盡說諸侯入。知有從來天子尊。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の十一》
李相 軍を将ゐて 薊門を擁す。白頭 惟だ赤心の存する有るのみ。竟に能く 尽く諸侯に説きて入らしめ。従来 天子の尊有るを知らしむ。

※●李相:李光弼。郭子儀とともに安史の乱平定に大功あり。霊武で即位した粛宗のもとで同中書門下平章事、長安回復後は司空、中書令、太尉を歴任し、范陽節度使・幽州大都督府長史を加えられた ●薊門:薊州。安禄山の根拠だったところ ●白頭:李光弼を指す ●說諸侯入:このとき李光弼はすでに亡くなっており、今般の諸将入朝に直接かかわっていない。豹軒はこの点について、李光弼の尽力の結果がようやく実を結んで「竟に」今般の入朝に至ったという趣旨であると解する

18-83 《承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其十二》 杜甫

十二年來多戰場。天威已息陣堂堂。神靈漢代中興主。功業汾陽異姓王。

《河北諸道の節度 入朝すと承聞し 歓喜して口号せる絶句十二首 其の十二》
十二年来 戦場 多し。天威 已に息ましめて 陣 堂堂たり。神霊なり 漢代 中興の主。功業あり 汾陽 異姓の王。

※●十二年來:安史の乱勃発(天宝14年)からこの詩の大暦2年まで12年 ●已息:すでに戦争を終息させる ●神靈:神聖にして霊妙 ●漢代中興主:漢王朝を中興した後漢の光武帝。いまの代宗をたとえる ●汾陽異姓王:郭子儀のこと。異姓王は皇族にあらずして王に封ぜられたもの。郭子儀は代宗の宝応元年に汾陽郡王に封ぜられた

18-84 《月三首 其一》 杜甫

斷續巫山雨。天河此夜新。若無靑嶂月。愁殺白頭人。魍魎移深樹。蝦蟆動半輪。故園當北斗。直想照西秦。

《月三首 其の一》
断続す 巫山の雨。天河 此の夜 新たなり。若し 青嶂の月 無くんば。愁殺せん 白頭の人。魍魎 深樹に移り。蝦蟆 半輪 動く。故園 北斗に当たる。直ちに想ふ 西秦を照すを。

※●白頭人:杜甫自身を指す ●魍魎:もののけ。水にすむ化け物 ●蝦蟆:ガマガエル。月に住むという。転じて月を意味する ●動半輪:仇註は「没半輪」に作るが、豹軒は他本の「動」を採る 

18-85 《月三首 其二》 杜甫

倂照巫山出。新窺楚水淸。羇棲愁裏見。二十四廻明。必驗升沈體。如知進退情。不違銀漢落。亦伴玉繩橫。

《月三首 其の二》
併せて巫山を照らし出だし。新たに 楚水を窺へば清し。羇棲 愁裏に見る。二十四廻 明らかなるを。必ず験あり 升沈の体。知るが如し 進退の情。銀漢の落つるに違はず。亦た玉縄の横たはるに伴ふ。

※●倂照:長安の故園とあわせて ●新窺:豹軒は月が楚水の清きをのぞきこむように照らすと解く。仇註は人(杜甫)が窺うと解く ●二十四廻明:24回の満月、すなわち2年 ●升沈體:昇ったり沈んだりする姿 ●進退情:出処進退についての心持ち ●不違銀漢落:天の川が沈むのにそむいて自分だけ沈まないでいることはない ●玉繩橫:北斗七星の斗杓の三星を玉衡といい、その北の両星を玉縄という。それが低く横たわる

18-86 《月三首 其三》 杜甫

萬里瞿唐月。春來六上弦。時時開暗室。故故滿靑天。爽合風襟靜。高當淚臉懸。南飛有烏鵲。夜久落江邊。

《月三首 其の三》
万里 瞿唐の月。春来 六たび上弦。時時 暗室を開き。故故 青天に満つ。爽やかに風襟に合して静かに。高く 涙臉に当たりて懸かる。南に飛びて 烏鵲 有り。夜 久しくして 江辺に落つ。

※●萬里:故郷から万里はなれて ●瞿唐:瞿唐峡。杜甫のいる夔州のすぐ東 ●六上弦:仇本は「上六弦」に作る。この異同について豹軒は言及せず ●開暗室:暗室のように暗い夔州を開くように照らしだす ●故故:豹軒は「故意に、ことさら意のあるように」と解く ●靑天:夜空。昼の青空ではない ●淚臉:涙を帯びる頬 ●南飛有烏鵲:曹操の短歌行の「月明星稀、烏鵲南飛」を踏まえる

18-87 《晨雨》 杜甫

小雨晨光內。初來葉上聞。霧交纔灑地。風折旋隨雲。暫起柴荆色。輕霑鳥獸羣。麝香山一半。亭午未全分。

《晨雨》
小雨 晨光の内。初めて来たりて 葉上に聞こゆ。霧に交はりて 纔かに地に灑ぎ。風に折られて 旋(タチマ)ち雲に随ふ。暫く起こす 柴荊の色。軽く霑す 鳥獣の群。麝香山の一半。亭午に 未だ全くは分かたず。

※●晨光:朝日の光 ●風折:風のために降る方向を曲げられる ●柴荆:柴門荊扉。我が家の粗末な門扉 ●麝香山:夔州の東にある山 ●亭午:正午 ●分:豹軒は「分かれる」と訓じ、分散するの意に解くが、認めがたい。ここの「分」は「見分けられる、はっきり見える」の意であろう

巻19に続く

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