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『山陽詩鈔』全作品テキストデータ
底本
『山陽詩鈔』全4冊(8巻)
頼襄(山陽) 著 後藤機(松陰) 校
安政3年(1856年)改正 河内屋和助(大阪)・須原屋茂兵衛(江戸)・山城屋佐兵衛(江戸)・永楽屋東四郎(名古屋)・田中屋治助(京) 刊
参考資料
『山陽詩鈔注釋』
奥山正幹 注釋
大正3年10月 山陽詩鈔出版会 発行
『山陽詩鈔新釋』
伊藤靄谿 注釋
昭和60年1月 株式会社書藝界 発行(戦前出版の原本を組み直し、索引等を付して新たに出版したもの)
解題
幕末から戦前までにおける人気と知名度という点において、江戸時代最大の詩人・作家であった頼山陽の自撰詩集。少年時代の作である《癸丑歲偶作》から始まって、文政8年(1825年)大晦日までの作品を収録し、没後の天保4年(1833年)に初版が刊行された。山陽は天保3年(1832年)まで、つまり本詩集の最終作ののち7年弱ほど生きることになるが、彼の代表作として知られる詩のほとんどは本詩集で見ることができる。
詩の配列は年代順となっており、原則として年ごとにまとめられ、複数年もしくは単一年でひとつの巻を構成している。ただし、例外として、文政元年から翌年3月にかけての九州を中心とした西日本遊歴中の詩については、年で区切らず、これを一まとめにして前半(西遊稿上)と後半(西遊稿下)に分けて各々を一巻としている。
収録詩の多くには、評文が付されているが、評者は基本的には菅茶山であるため、茶山による評文には記名がない。茶山以外による評文の場合は、「某云」として評者が示される。茶山以外の評者は、後藤松陰と篠崎小竹が中心である。本テキストデータには評文は含まないが、興味深いものについては備考欄で触れているものもある。
データ作成の基本方針
掲載作品の内容は基本的に底本に従っているが、明らかな誤字等については訂正し、その旨を注記した。たとえば、底本には何ヶ所か「籹」なる字が用いられているが、文脈から考えても、平仄・押韻から考えても、それらはいずれも「妝(粧)」の誤りであることが明らかなため、備考に注記のうえで訂正してある。また読み下し文(訓読)については底本の訓点や、参考資料に挙げた両注釈書を参考にしつつも、より適切と思われる読み方に随時あらためたが、個人的な好みも反映されている。明らかな誤り等あれば、ご指摘、ご批正いただければ幸いである。
また漢字の字体については、白文は正字を、書き下し文は常用漢字を優先し、書き下し文の送り仮名は歴史的仮名遣いに従っている。したがって、底本の白文に正字ではない字体を用いている場合は正字に改めることを原則とするが、例外もある。たとえば、底本では長崎を「長碕」と表記している部分が多くあり、正字を用いる原則に従えば「長埼」となるが、固有名詞の特殊な表記は原形を留めたほうがよいと考え、底本のとおり「長碕」としてある。
日本人である頼山陽の漢詩は、当然ながら日本の事物・歴史を題材とするものが多く、その背景に関する知識がないと内容を理解できないものが多い。そこで、内容理解の手助けとなる解説を語釈の形で随時、付してある。また詩で用いている典故についても、できるだけ簡潔に出典等を説明するようにした。その際、参考資料に挙げた両注釈書を参考にしつつ、両書に足らざる点があればこれを補うよう努めた。
データの利用方法
このテキストデータは基本的に閲読目的で利用していただくことを想定している。語句検索をしたい場合は、「漢詩データベース検索 CanD」を利用してもらうほうが良い。異体字を含めて検索したり、パターンマッチング検索もできる。『山陽詩鈔』全作品データを収録済みである。
もし、どうしても、当テキストデータ内を「Ctrl+F」で検索したいという場合は、字体の違いには留意していただきたい。当テキストデータでは、白文は正字を、書き下し文は常用漢字を用いている。字体が異なれば「Ctrl+F」では検索にヒットしない。
本文テキスト
本文テキストは、以下のとおりページを分けて掲載する。全体一括して掲載すると、編集画面が著しく重くなるためである。
