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『山陽詩鈔』巻3・巻4
巻3
3-1 西遊稿(上)
3-1-1 《下江》 頼山陽
撼枕江聲又櫓聲。疎篷漏雪睡難成。阿孃屈指俟吾久。何識今宵初發程。
《江を下る》
枕を撼かす江声 又た櫓声。疎篷 雪を漏らして 睡り成し難し。阿嬢 指を屈して吾を俟つこと久し。何ぞ識らん 今宵 初めて程を発するを。
※●江:ここでは淀川 ●阿孃:お母さん
3-1-2 《發大坂小竹確齋送至尼崎》 頼山陽
商船銜尾各停橈。中有瓜皮趁早潮。離緖紛紛難語盡。轉頭已過十餘橋。
《大坂を発す。小竹 確斎 送りて尼崎に至る》
商船 尾を銜みて 各〻橈を停む。中に瓜皮の早潮を趁ふ有り。離緒 紛紛として 語り尽くし難し。頭を転ずれば 已に過ぐ 十余橋。
※●小竹:篠崎小竹 ●確齋:武内確斎。名は温、字は子玉。小竹の養父 ●瓜皮:瓜皮船。小船の一種
3-1-3 《過岡山宿梅坡家》 頼山陽
歸心雖急未期程。雨則淹留晴則行。剪燭不辭談徹曉。春星無數繞檐明。
《岡山を過ぎ 梅坡の家に宿す》
帰心 急なりと雖も 未だ程を期せず。雨ふれば則ち淹留し 晴るれば則ち行く。燭を剪りて辞せず 談 暁に徹するを。春星 無数 檐を繞りて明らかなり。
※●梅坡:小原梅坡。名は正脩、字は業夫。岡山の人
3-1-4 《題八幡太郞獻弓鎭夢魔圖》 頼山陽
百戰瘢痍未酢功。龍鍾白首爲誰雄。此身不及黑蛇影。得近五雲香暖中。
《八幡太郎 弓を献じて 夢魔を鎮むるの図に題す》
百戦瘢痍 未だ功に酢(ムク)いず。竜鍾たる白首 誰が為めにか雄なる。此の身 及ばず 黒蛇の影。近づくを得たり 五雲 香 暖かなる中。
※●八幡太郞:源義家。白河院が夢で物の怪に襲われたため、義家の弓を魔除けに枕元に置いた ●黑蛇影:義家が献上した弓。晋の楽広の家で酒を飲んでいた知人が杯中に映った弓を見て蛇のようだと思い、これを気に病んで、病気になったという逸話から
3-1-5 《到鄕從杏坪翁遊其山園翁管郡務多治績》 頼山陽
連鋤强梗稱神明。四郡何邊不底平。卻是家園無暇理。賤蓬惡竹滿階生。
《郷に到り 杏坪翁に従ひ 其の山園に遊ぶ。翁は郡務を管して 治績 多し》
連りに強梗を鋤きて 神明と称せらる。四郡 何れの辺か 底平ならざらん。却って是れ 家園は理むるに暇無く。賤蓬 悪竹 階に満ちて生ず。
※●杏坪:頼杏坪。山陽の叔父 ●强梗:手ごわい。手ごわいもの。ここでは開墾が容易でない土地、統治が容易でない土地の意。杏坪が代官を務めた備後北部は百姓一揆の多い土地として知られた ●四郡:杏坪は単なる儒者としてではなく、実際の行政官として、備後北部の三次・恵蘇・三上・奴可の四郡の代官を歴任した
3-1-6 《發藝》 頼山陽
故紙埋頭頭欲斑。裹糧一日出鄕關。要收燈底看書眼。去閱平生未見山。
《芸を発す》
故紙に頭を埋めて 頭 斑ならんと欲す。糧を裹んで 一日 郷関を出づ。要す 灯底 看書の眼を収め。去(ユ)きて 平生 未だ見ざるの山を閲せんことを。
※●藝:安藝国。底本は「蓺」に作るが明らかに「藝」の誤植
3-1-7 《周防道上》 頼山陽
藝薇沿海路紆回。常看豫峰雲外堆。看到周防靑始了。豐山代送黛光來。
《周防道上》
芸薇 海に沿ひて 路 紆回す。常に看る 予峰の雲外に堆きを。看〻(ミスミス)周防に到れば 青 始めて了り。豊山 代はって黛光を送り来たる。
※●藝薇:安芸国と備後国 ●豫峰:伊予の山々 ●豐山:豊前の山々
3-1-8 《臺道宿上田翁家爲題谷文晁畫芝海圖》 頼山陽
東遊回首廿年餘。鴻爪春泥跡有無。何料周芳千里外。忽看芝海曉晴圖。
《台道にて上田翁の家に宿す。為めに谷文晁の画く芝海図に題す》
東遊 首を回らせば 廿年余。鴻爪春泥 跡 有無。何ぞ料らん 周芳 千里の外に。忽ち 芝海 暁晴の図を看んとは。
※●臺道:大道村の言い換え ●上田翁:上田小蔵、号は不昧。宿場の本陣を営む ●芝海:江戸の芝浦 ●東遊:頼山陽がかつて江戸に遊学したこと ●周芳:周防を雅びに言い換えたもの
3-1-9 《厚狹市》 頼山陽
驛亭煙火太蕭騷。山勢西奔如亂濤。玄海赤關知不遠。行逢商擔賣車螯。
《厚狭の市》
駅亭の煙火 太だ蕭騒。山勢 西に奔ること 乱濤の如し。玄海 赤関 遠からざるを知る。行くゆく逢ふ 商担の車螯を売るに。
※●厚狹:現・山口県山陽小野田市厚狭地区。山陽道上にあり、船木と吉田の両宿場町の中間に位置する半宿であった ●玄海赤關:玄界灘と赤間ヶ関(下関) ●車螯:大はまぐり
3-1-10 《赤關雜詩》 頼山陽
長街如帶蘸波光。面面靑山護萬檣。莫怪潮頭駛於箭。厓門一出是玄洋。
《赤関雑詩》
長街 帯の如く 波光に蘸り。面面の青山 万檣を護る。怪しむ莫かれ 潮頭の箭よりも駛きを。厓門 一たび出づれば是れ玄洋。
※●赤關:赤間ヶ関。下関 ●厓門:平家の滅亡を南宋の滅亡になぞらえ、南宋滅亡の地が厓山(崖山)であることから、平家が滅亡した関門海峡を厓門と呼ぶ ●玄洋:玄界灘
3-1-11 《赤關雜詩》 頼山陽
文字關頭澹夕暉。彌陀寺畔雨霏霏。水濱欲問前朝事。唯有輕鷗背我飛。
《赤関雑詩》
文字が関頭 夕暉 澹し。弥陀寺畔 雨 霏霏たり。水浜 問はんと欲す 前朝の事。唯だ 軽鷗の我に背きて飛ぶ有り。
※●文字關:門司 ●彌陀寺:下関にあった阿弥陀寺。建久2年に勅命により御影堂が建立され安徳天皇を祀ることになった。明治の神仏分離、廃仏毀釈により、阿弥陀寺は廃され、神社となって赤間宮と称した。昭和に入り、赤間神宮と改称した
3-1-12 《赤關雜詩》 頼山陽
幾點漁燈亂月光。桅竿無影夜茫茫。依稀認得泊船處。煙外有人呼賣漿。
《赤関雑詩》
幾点の漁灯 月光を乱す。桅竿 影 無く 夜 茫茫たり。依稀として認め得たり 船を泊する処。煙外 人の呼んで漿を売る有り。
※●桅竿:帆柱
3-1-13 《壇浦行》 頼山陽
畿甸之山如龍尾。蜿蜒曳海千餘里。直到長門伏復起。隔海豐山欲呼譍。帆檣林立北岸市。吾自平安來。行循山勢與之偕。驚看海門潮勢如奔雷。屈曲與山相擊排。南望豫山靑一髮。海水漸狹如囊括。想見九郞驅敵來。平氏如魚源氏獺。岸蹙水淺誰得脫。海鹿吹波鼓聲死。稚龍出沒狂瀾紫。敗鱗蔽海春風腥。蒼溟變作桃花水。獨有介蟲喚姓平。沙際至今尙橫行。兜鍪貂蟬兩一夢。唯見海山蒼蒼連神京。山日落。海如墨。何物遮船夜啾喞。吾語冤魂且休哭。汝不聞鬼武之鬼亦不免餒。身後豚犬交相食。
《壇浦行》
畿甸の山 竜尾の如く。蜿蜒 海に曳く 千余里。直ちに長門に到りて 伏し復た起つ。海を隔つる豊山 呼べば譍へんと欲す。帆檣 林立す 北岸の市。吾 平安より来たり。行くゆく山勢に循ひて之と偕(トモ)にす。驚き看る 海門の潮勢 奔雷の如く。屈曲して山と相ひ撃排するを。南のかた予山を望めば青一髪。海水 漸く狭くして 囊の括らるる如し。想ひ見る 九郎 敵を駆り来るを。平氏は魚の如く 源氏は獺。岸 蹙り 水 浅く 誰か脱するを得ん。海鹿 波を吹き 鼓声 死し。稚竜 出没して 狂瀾 紫なり。敗鱗 海を蔽ひて 春風 腥し。蒼溟 変じて 桃花水と作る。独り 介虫の姓を平と喚ぶ有りて。沙際 今に至るまで 尚ほ横行す。兜鍪 貂蟬 両つながら一夢。唯だ 海山 蒼蒼として神京に連なるを見る。山日 落ち。海は墨の如し。何物か船を遮りて 夜 啾喞す。吾 冤魂に語る 且らく泣くを休めよ。汝 聞かずや 鬼武の鬼も亦た餒うるを免れずして。身後 豚犬 相ひ食らふを。
※●蜿蜒:竜蛇のうねりゆくさま。うねうねと長いさま ●平安:京都 ●海鹿:イルカ。『平家物語』壇ノ浦の場面で、イルカが平家の船の下を通ったのを、陰陽師が平家敗北の兆しと占う場面がある ●稚龍:幼帝。安徳天皇のこと ●介蟲喚姓平:平家蟹のこと ●鬼武:底本割注に「鬼武源右大将小字」とあり。源頼朝の幼名は「鬼武者」
3-1-14 《遇大含師師將東遊上嶽賦此爲贈》 頼山陽
吾泛火海君富山。相逢握手赤閒關。雖無酒腸海不測。自有詩格山難攀。共把醒眼評山海。采眞歸來重盡歡。取吾火海火。融君富山雪。煎君雲華喫七盌。四腋生風凌列缺。與君下視大八洲。海如蹄涔山如垤。
《大含師ひ遇ふ。師 将に東遊して岳に上らんとす。此れを賦して贈と為す》
吾は火海に泛び 君は富山。相ひ逢ひて手を握る 赤間が関。酒腸の海 測れざる無しと雖も。自づから 詩格の山 攀じ難き有り。共に醒眼を把って山海を評す。采真 帰り来たれば 重ねて歓を尽くさん。吾が火海の火を取りて。君が富山の雪を融かさん。君が雲華を煎じて七椀を喫せば。四腋 風を生じて 列欠を凌がん。君と下視せん 大八洲。海は蹄涔の如く 山は垤の如からん。
※●大含師:雲華院大含。浄土真宗大谷派の僧侶。豊後国満徳寺に生まれ、豊前国古城正行寺鳳嶺の養子となった。東本願寺の学寮に入って修学し、のち講師職(学長)に就任している。豪放磊落、天衣無縫で飾らない人柄で知られ、山陽の親友だった ●喫七盌云々:盧仝の《茶歌》による ●蹄涔:牛馬の蹄跡の水たまり ●垤:蟻塚
3-1-15 《赤關醉歌》 頼山陽
筑山淡。豐山濃。煙紫雲翠一重重。吾行應須那裏去。飽攬雲煙盪吾胸。赤關半月伴雁鶩。一水如帶卻不渡。問吾底事戀此閒。豐筑無酒似赤關。
《赤関酔歌》
筑山は淡く。豊山は濃やかなり。煙 紫に 雲 翠にして 一に重重たり。吾が行 応に須らく 那裏に去くべし。飽くまで雲煙を攬りて 吾が胸を盪かさん。赤関の半月 雁鶩を伴ひ。一水 帯の如きも 却って渡らず。吾に問ふ 底事ぞ 此の間に恋すると。豊筑 酒の赤関に似たる無し。
※●筑山・豐山:筑前の山、豊前の山 ●一水如帶:関門海峡の幅が非常にせまいことをいう。一本の帯のようにせまい川を「一衣の帯の水」という。 《南史・陳後主紀》「我為百姓父母、豈可限一衣帯水、不拯之乎」
3-1-16 《戲作赤關竹枝八首 其一》 頼山陽
可憐兒女說先皇。幾隊紅妝幾瓣香。簪笏滿前人不見。金釵猶作鷺鵷行。
《戯れに赤関竹枝を作る 八首 其の一》
憐れむべし 児女も先皇を説くを。幾隊の紅粧 幾弁香。簪笏 前に満つるの人 見えざるも。金釵 猶ほ作す 鷺鵷の行。
※この詩、山陽の自注に「毎歳三月、諸倡詣阿弥陀寺、称先帝会」とあり、女郎たちが阿弥陀寺に参詣する様子を詠んだもの ●赤關:赤間ヶ関(下関) ●先皇:安徳天皇 ●紅妝:底本は「紅籹」に作るが、「籹」は米や麦粉に蜜を混ぜてつくる菓子であり、ここでは意味が通じない。おそらく「妝」と「粧」が混合されて生じた誤字と思われるので「妝」に改めた ●瓣香:花びらの形をした香。禅僧が人を祝福する際にもちいたことから、転じて、人を欽仰する意にも用いる ●簪笏:冠をつけ笏を持った公卿 ●鷺鵷行:朝廷に居並ぶ百官の行列。ここではそれに見立てられる女郎の行列
3-1-17 《戲作赤關竹枝八首 其二》 頼山陽
託蹕蛟宮歲幾過。水邊猶見舊宮娥。至今許著輕羅韤。應記朝天凌綠波。
《戯れに赤関竹枝を作る 八首 其の二》
蹕を蛟宮に託して 歳 幾たびか過ぐる。水辺 猶ほ見る 旧宮娥。今に至るまで著くるを許す 軽羅の韤。応に記すべし 朝天 緑波を凌ぎしを。
※●託蹕蛟宮:竜宮に行幸される。安徳天皇が壇ノ浦に沈まれたことをいう ●舊宮娥:昔の宮女たち。下関の女郎たちを当時の宮女たちに見立てる ●韤:足袋。この詩の山陽自注に「倡著韤、他処所無云」とあり、下関の女郎は足袋をはいていたという ●朝天凌綠波:海上の船の中で帝にお仕えする。「輕羅韤」「凌綠波」は曹植《洛神賦》「凌波微歩。羅韤生塵」にちなむ
3-1-18 《戲作赤關竹枝八首 其三》 頼山陽
疊疊春帆破海煙。意中人到定今年。明眸一樣凝秋水。姊望丹船妹越船。
《戯れに赤関竹枝を作る 八首 其の三》
畳畳たる春帆 海煙を破る。意中の人の到るは 定めて今年ならん。明眸 一様に秋水に凝らす。姉は丹船を望み 妹は越船。
※●秋水:秋の水のように澄んだ瞳 袁桷《題美人図・班姫》「望幸眸凝秋水。倚愁眉蔟春山」 ●丹船・越船:丹後の船と越後(あるいは越中、越前)の船
3-1-19 《戲作赤關竹枝八首 其四》 頼山陽
六連島望五洲波。紫石山通玄海霞。誤愛兒郞好身手。捕鰌平戶不歸家。
《戯れに赤関竹枝を作る 八首 其の四》
六連島は望む 五洲の波。紫石山は通ず 玄海の霞。誤り愛す 児郎の好身手。鰌を平戸に捕らへて家に帰らず。
※●六連島:関門海峡の西方にあり ●五洲:長崎県の五島列島 ●紫石山:阿弥陀寺(現・赤間神宮)の後ろにある山 ●好身手:体格・体力にすぐれ勇ましいこと ●捕鰌:捕鯨に同じ。「鰌」はここでは「海鰌(セミクジラ)」
3-1-20 《戲作赤關竹枝八首 其五》 頼山陽
輕舠急櫓剪波堆。想到華城日未頹。欲將別淚隨潮去。白石洋頭卽卻回。
《戯れに赤関竹枝を作る 八首 其の五》
軽舠 急櫓 波堆を剪る。想到す 華城の日 未だ頽せざるを。別涙を将って 潮に随ひ去(ユ)かしめんと欲するも。白石洋頭 即ち却き回る。
※●華城:大坂。浪華の街 ●白石洋:山陽自注に「東西海潮至備中白石、交退」とあり。白石島は笠岡諸島の中央に位置し、瀬戸内海全体を東西に分ける潮境になっている。よって下関から東へ向かった潮流は、白石島より東へは行くことなく西へ引き返す、と見ることができる
3-1-21 《戲作赤關竹枝八首 其六》 頼山陽
年年攝酒附商舟。磊落萬罌堆岸頭。淸醥尤推鶴字號。駕人醉夢上揚州。
《戯れに赤関竹枝を作る 八首 其の六》
年年 摂酒 商舟に附し。磊落たる万罌 岸頭に堆(ウヅタカ)し。清醥 尤も推す 鶴字号。人の酔夢を駕して揚州に上らしむ。
●攝酒:摂津の酒。当時の摂津には江戸初期以来の伊丹と、新興の灘の2大酒造地があった ●淸醥:すみざけ。清酒。伊丹は清酒発祥の地とされる ●鶴字號:鶴の字がつく銘柄。具体的には不明 ●揚州:中国江南にあった大都市。歓楽にあふれた繁華の街の代名詞
3-1-22 《戲作赤關竹枝八首 其七》 頼山陽
綠酒紅燈醉眼迷。萬檣影裏月高低。醒來忽覺身爲客。隔水靑山是鎭西。
《戯れに赤関竹枝を作る 八首 其の七》
緑酒 紅灯 酔眼 迷ひ。万檣影裏 月 高低。醒め来たって 忽ち覚ゆ 身の客為るを。水を隔つる青山 是れ鎮西。
※●鎭西:九州。天平15年、大宰府を鎮西府に改称したことから
3-1-23 《戲作赤關竹枝八首 其八》 頼山陽
藏橙戶戶候東風。和得豚羹味不窮。纖指擘開黃玉顆。愛他香霧噀春蔥。
《戯れに赤関竹枝を作る 八首 其の八》
橙を蔵して 戸戸 東風を候(マ)ち。豚羹に和し得たれば 味 窮まらず。繊指 擘き開く 黄玉の顆。愛す 他の香霧 春葱に噀(フ)くを。
※●橙:ダイダイ ●豚羹:河豚(ふぐ)のあつもの ●春蔥:春の葱。婦人の指の形容に用いる。白居易《箏》「雙眸剪秋水。十指剝春蔥」
3-1-24 《發赤關留別廣江父子》 頼山陽
潮聲交急艪。日色動高桅。一葦乘晴日。三行覆別杯。山陽背指極。鎭右迎顏開。唯有故人意。依依過海來。
《赤関を発し 広江父子に留別す》
潮声 急櫓に交じり。日色 高桅に動く。一葦 晴日に乗じ。三行 別杯を覆す。山陽 背指すれば極まり。鎮右 迎顔 開く。唯だ 故人の意 有りて。依依として 海を過(ワタ)り来たる。
※●赤關:赤間ヶ関(下関) ●廣江父子:父は殿峰(名は為盛、字は文竜)、子は秋水(名は鐘、字は大声)。頼山陽の門人 ●鎭右:鎮西に同じ
3-1-25 《入豐前》 頼山陽
回首猶曾寓。維舟忽別州。人煙過海少。樹色傍山稠。故國雖知遠。今吾便欲愁。醉來還自笑。大地本浮漚。
《豊前に入る》
首を回らせば 猶ほ曽寓。舟を維げば 忽ち別州。人煙 海を過れば少なく。樹色 山に傍ひて稠し。故国 遠きを知ると雖も。今吾 便ち愁へんと欲す。酔来 還た自ら笑ふ。大地 本 浮漚と。
3-1-26 《箱崎》 頼山陽
廟門岌嶫面長瀾。仰視彫題照碧灣。長倚神威伏戎狄。新羅高麗指揮閒。
《箱崎》
廟門 岌嶫として 長瀾に面す。仰び視れば 彫題 碧湾を照らす。長へに神威に倚りて戎狄を伏す。新羅 高麗 指揮の間。
※●箱崎:箱崎八幡宮。福岡県福岡市にあり。筑前国一の宮。延喜21年創建。元寇の折、亀山上皇が敵国降伏を祈願した時の宸筆を模写した扁額を楼門に掲げる。山陽の自注に「廟顔敵国降伏四大字、係延喜宸翰」とあるが、上述のとおり、延喜は創建時の元号であり、敵国降伏の宸筆は元寇の時のものであるから、この自注は誤りである ●岌嶫:高くそびえるさま
3-1-27 《醉歸過崇福寺前》 頼山陽
旗店扶歸不用燈。松閒沙路太分明。榮公舊隱知何處。認得夜魚呼粥聲。
《酔ひて帰り 崇福寺前を過ぐ》
旗店 扶けられて帰るに 灯を用ゐず。松間の沙路 太だ分明なり。栄公が旧隠 知んぬ 何れの処ぞ。認め得たり 夜魚の粥を呼ぶ声。
※●崇福寺:福岡藩主黒田家の菩提寺。福岡県福岡市博多区 ●榮公:崇福寺の先住・曇栄のこと。儒学者・亀井南溟の弟 ●夜魚:夜の木魚
3-1-28 《龜井元鳳招飮賦贈》 頼山陽
藝城分手夢空尋。鷄黍今朝喜盍簪。四海文章纔屈指。一杯醽醁且論心。高林擁屋鶴巢穩。積水當窗鵬影沈。風樹知君同我感。酒閒有淚暗沾襟。
《亀井元鳳 招飲す 賦して贈る》
芸城に手を分かちて 夢 空しく尋ぬ。鶏黍 今朝 盍簪を喜ぶ。四海の文章 纔かに指を屈し。一杯の醽醁 且らく心を論ず。高林 屋を擁して 鶴巣 穏やかに。積水 窓に当たりて 鵬影 沈む。風樹 君の我が感に同じきを知り。酒間 涙 有り 暗かに襟を沾す。
※●龜井元鳳:名は昱、号は昭陽。南溟の子 ●鷄黍:旧知の人をもてなすごちそう ●盍簪:朋友のあつまり ●醽醁:美酒 ●風樹:風樹の嘆、風樹の悲しみ。親を喪い、孝養したくてもできない悲しみをいう
3-1-29 《卽事似東道松永子登》 頼山陽
幾椀新茶陶客情。昨來中酒廢杯觥。蘆簾日薄搖無影。瓦鼎風微沸有聲。暑路養痾衣尙熟。羈窗作字手常生。閑評畫軸消長晝。更欲呼童取短檠。
《即事。東道松永子登に似(シメ)す》
幾椀の新茶 客情を陶す。昨来 酒に中りて 杯觥を廃す。芦簾 日 薄くして 揺るるも影 無く。瓦鼎 風 微かにして 沸きて声 有り。暑路 痾を養いて 衣 尚お熟に。羈窓 字を作せば 手 常に生なり。閑かに画軸を評して長昼を消し。更に童を呼んで短檠を取らんと欲す。
※●東道:案内人 ●松永子登:名は一豊、字は子登、号は花遁。博多の豪商。博多での山陽の滞在先 ●熟:着古して着慣れた状態 ●生:こなれていない状態、ぎこちない
3-1-30 《重五似從行後藤世張》 頼山陽
插檐蒲葉午風香。白蛋靑梅薦客觴。與汝同斟赤關酒。霸家臺下作端陽。
《重五。従行の後藤世張に似(シメ)す》
檐に挿む蒲葉 午風 香し。白蛋 青梅 客觴を薦む。汝と同に斟む 赤関の酒。覇家台下 端陽を作す。
※●重五:五月五日。端午の節句 ●後藤世張:後藤松陰 ●白蛋:鶏卵 ●霸家臺:博多の音「ハカタ」に合わせて唐風に言い換えたもの
3-1-31 《憶家》 頼山陽
客蹤乘興輒盤桓。筐裏春衣酒暈斑。遙憶香閨燈下夢。先吾飛過振鰭山。
《憶家》
客踪 興に乗じて 輒ち盤桓す。筐裏の春衣 酒暈 斑なり。遥かに憶ふ 香閨 灯下の夢。吾に先んじて 飛び過ぐ 振鰭山。
※●盤桓:進みがたいさま、さまようさま ●香閨:婦人のねや。京都で待つ山陽の妻の寝室 ●振鰭山:領巾振山(ひれふりやま)。佐賀県唐津市にある山。鏡山ともいう。大伴狭手彦が新羅に遠征したとき、妻の佐用姫が別れを惜しんでこの山に登り「ひれ」(スカーフ)を振って見送り、悲しみのあまりついには石になったという伝説がある
3-1-32 《同元鳳登高望海中道》 頼山陽
松林橫截大洋潮。萬疊波閒碧一條。此景何緣在西僻。直須奴僕命天橋。
《元鳳と同に高きに登り 海中道を望む》
松林 横さまに截る 大洋の潮。万畳の波間 碧一条。此の景 何に縁りてか 西僻に在る。直ちに須らく 奴僕 天橋に命ずべし。
※●元鳳:亀井元鳳。名は昱、号は昭陽。南溟の子 ●海中道:海の中道。九州本土(福岡市東区)から志賀島へ伸びる巨大砂洲 ●天橋:天橋立
3-1-33 《過元鳳題其女少琴墨竹》 頼山陽
纖指尖邊龍影橫。胸中有竹一揮成。匠心何似爺文苦。萬葉千枝逐次生。
《元鳳を過(ヨギ)り 其の女 少琴の墨竹に題す》
繊指 尖辺 竜影 横たはる。胸中 竹 有り 一揮して成る。匠心 何ぞ似ん 爺が文の苦に。万葉 千枝 逐次に生ず。
※●元鳳:亀井元鳳。名は昱、号は昭陽。南溟の子 ●少琴:亀井昭陽の娘。名は友。才媛として知られた ●爺文:父・昭陽の書いた文章
3-1-34 《五月十四日飮于上村太壽宅》 頼山陽
把杯竹底意陶然。正是晴窗竹醉天。竹已醒時人卻醉。竹風呼起醉人眠。
《五月十四日 上村太寿の宅に飲す》
杯を把って 竹底に 意 陶然たり。正に是れ 晴窓 竹酔の天。竹 已に醒むる時 人 却って酔ひ。竹風 呼び起す 酔人の眠り。
※●上村太壽:名は樗、号は米山。博多の人 ●竹醉:旧暦五月十三日を竹酔日といい、この日に竹を植えるとよく繁茂するという
3-1-35 《題自畫山水》 頼山陽
收拾雲煙寄戲嬉。峰巒滿幅墨淋漓。休嫌點染欠姸麗。免被人呼做畫師。
《自画山水に題す》
雲煙を収拾して 戯嬉を寄す。峰巒 幅に満ちて 墨 淋漓たり。嫌ふを休めよ 点染の姸麗を欠くを。人に画師と呼び做さるるを免る。
※●戲嬉:遊びたわむれること ●點染:景色を点綴し、色をつけること
3-1-36 《謁菅右府祠廟有作》 頼山陽
都府樓唯看瓦色。觀音寺獨聽鍾聲。相公此句燥髮誦。今日始向此際行。想見傑構堆畫甍。華鯨雄吼法王城。宰帥虛名實閑廢。思罪卻掃掩柴荆。儒生衮黻眞罕事。久矣銓衡論門地。洞知沈痼須良藥。銳意蟠根試利器。酬知何暇恤人言。奮搏自折凌雲翅。爲鬼爲蜮奚足尤。羣鷄一鶴宜相忌。國瘁天數豈與公。鞶鑑已矣又彤弓。世態幾回浮雲變。獨有威德傳無窮。寢廟棟宇彌岐嶷。祀典于今羣兆億。顧視府樓空斷礎。寺餘數椽亦傾仄。行人田閒拾缺瓦。猶存相公看時色。
《菅右府の祠廟に謁して作有り》
都府楼は唯だ瓦色を看。観音寺は独り鍾声を聴く。相公の此の句 燥髪に誦す。今日 始めて此の際に向かって行く。想ひ見る 傑構 画甍 堆きを。華鯨 雄吼す 法王城。宰帥は虚名にして 実は閑廃。罪を思ひ 却掃して 柴荊を掩ふ。儒生の衮黻 真に罕なる事。久しいかな 銓衡 門地を論ずること。沈痼を洞知して良薬を須ゐ。鋭意 蟠根に利器を試む。知に酬ゆるに何ぞ人言を恤ふるに暇あらんや。奮搏 自ら折る 凌雲の翅。鬼と為り 蜮と為るも 奚ぞ尤(トガ)むるに足らん。群鶏の一鶴 宜しく相ひ忌むべし。国 瘁むは 天数 豈に公に与(アヅカ)らんや。鞶鑑 已(ヤ)んぬ 又た彤弓。世態 幾回か 浮雲 変ず。独り 威徳の無窮に伝はる有り。寝廟 棟宇 弥〻 岐嶷たり。祀典 今に于いて兆億 群がる。府楼を顧視すれば 空しく断礎。寺 数椽を余すも亦た傾仄す。行人 田間に欠瓦を拾へば。猶ほ存す 相公 看時の色。
※●菅右府祠廟:菅原道真を祀る大宰府天満宮 ●相公此句:第1句と第2句のこと。道真の《不出門》詩中の対句 ●燥髮:幼いころ ●華鯨:梵鐘のこと ●衮黻:三公の衣裳
3-1-37 《望寶滿山城阯》 頼山陽
誰嬰宋壁挫荆兵。不怪晉軍徐出旌。非餌孤城漁九國。老猴何得掣長鯨。
《宝満山城阯を望む》
誰か宋壁に嬰(カカ)って 荊兵を挫きし。怪しまず 晋軍の徐ろに旌を出だすを。孤城を餌して九国を漁するに非ずんば。老猴 何ぞ 長鯨を掣するを得ん。
※●寶滿山城:戦国時代、大友氏の家臣、高橋氏の居城。天正14年、九州統一を目指す島津氏が筑前に侵攻したとき、高橋紹運の立てこもる岩屋城、立花宗茂(紹運の実子)の守る立花山城とともに抵抗を続けて島津軍の進軍を遅らせた。最終的に岩屋城は陥落し高橋紹運は自害したが、島津軍の被害も甚大で態勢の立て直しに時間がかかっている間に、大友氏から救援を求められた豊臣秀吉の援軍20万が九州に到着し、島津軍は薩摩本国への撤退、さらに秀吉への降伏へと追い込まれていった。なお、山陽自注には「高橋紹運守此城當薩兵以竢太閤來」とあるが、紹運が守ったのは岩屋城であり山陽の誤りである ●宋・荆・晉:中国の春秋時代、楚が宋を攻め、宋の要請により晋の文公が援軍を送って楚を退け、文公は覇者となった(左伝・僖公二十七年)ことを踏まえ、大友氏を宋、秀吉を晋、島津を楚(荊は楚の別名)にたとえる ●老猴:秀吉のこと
3-1-38 《見溫仙嶽》 頼山陽
黃櫨成列隴塍閒。南望平平是海灣。未至榮城三五驛。忽從林際得溫山。
《温仙岳を見る》
黄櫨 列を成す 隴塍の間。南望すれば 平平たるは是れ海湾。未だ栄城に至らざること 三五駅。忽ち林際より 温山を得たり。
※●溫仙嶽・溫山:雲仙岳。長崎県の島原半島中央部にある火山群の総称 ●榮城:佐賀の街
3-1-39 《至佐嘉諸儒見要會飮有鯨肉之供席上用所得韻戲作長句》 頼山陽
巨鬣掀潮噴雪花。萬夫攢矛海門譁。肥海捕鯨耳曾熟。何料鮮肉到齒牙。片片肪玉截芳脆。金齏玉膾曷能加。他日所食非眞味。鹽藏況經運路遐。君不見先侯蛇。此物戢鬐上鐵叉。多士方遭偃武日。取侑文酒愛柔嘉。羨君筆力能掣渠碧海涯。恨吾酒量不如渠吸百川波。
《佐嘉に至り 諸儒に要められ 会飲す。鯨肉の供する有り。席上 得る所の韻を用ゐて 戯れに長句を作す》
巨鬣 潮を掀げて 雪花を噴き。万夫 矛を攢めて 海門 譁し。肥海の捕鯨 耳 曽て熟すも。何ぞ料らん 鮮肉の歯牙に到らんとは。片片たる肪玉 芳脆を截り。金齏 玉膾 曷ぞ能く加へん。他日 食らう所は 真味に非ず。塩蔵 況んや 運路の遐きを経るをや。君見ずや 先侯の戈鋋 豕蛇を殪し。此の物 鬐を戢めて 鉄叉に上るを。多士 方に遭ふ 偃武の日。取って文酒を侑(スス)めて柔嘉を愛す。羨む 君が筆力の能く渠を碧海の涯に掣するを。恨む 吾が酒量の渠が百川の波を吸うに如かざるを。
※●佐嘉:佐賀 ●肥海:肥前の海 ●鹽藏:塩漬けにして貯蔵すること ●掣渠碧海涯:杜甫《戲爲六絕句》に「未掣鯨魚碧海中」とあり ●吸百川波:杜甫《飲中八仙歌》に「飮如長鯨吸百川」とあり
3-1-40 《溫仙歌》 頼山陽
溫仙溫且秀。高郞高且雄。溫仙宜爲高郞婦。玉立對峙門望同。一水盈盈情脈脈。知他嶽神交飛越。仙麓別起兩峰凹。尖然莫是凌波韤。
《温仙の歌》
温仙 温にして且つ秀たり。高郎 高くして且つ雄なり。温仙 宜しく高郎の婦為るべし。玉立 対峙して 門望 同じ。一水 盈盈として 情 脈脈たり。知る 他の岳神 交〻(コモゴモ)飛越するを。仙麓 別起して 両峰 凹たり。尖然たるは 是れ 凌波の韤なる莫らんや。
※●溫仙:雲仙岳 ●高郞:高良山(福岡県久留米市)か。有明海をはさんで雲仙岳と対峙する ●凌波韤:曹植《洛神賦》「凌波微歩、羅韤生塵」をふまえる
3-1-41 《龜背嶺聞鶯》 頼山陽
夏木陰陰擁兩坡。黃鸝喚客發嬌歌。喜他鴃舌啁嘲裏。獨有渠伊語不訛。
《亀背嶺に鶯を聞く》
夏木 陰陰として 両坡を擁す。黄鸝 客を喚んで 嬌歌を発す。喜ぶ 他の 鴃舌 啁嘲の裏。独り 渠伊の語の訛らざる有るを。
※●龜背嶺:長崎の西彼杵半島に亀浦という郷があり、そこにある峠のことか ●鴃舌:モズの鳴き声。転じて聞き取れない異民族の言葉。ここでは地元の訛りの強い方言をいう
3-1-42 《自大村舟抵長與距長崎十里》 頼山陽
海水如盆瑠璃碧。邑屋參差岸樹隙。欲說琵湖與膳城。舟中少人知上國。吾行已歷萬重山。稅駕瓊浦在今夕。擔頭猶貯攝州酒。倒樽此際不復惜。繋纜沙尾喚漁舟。買得棘鬣長兩尺。
《大村より 舟 長与に抵る。長崎を距ること十里》
海水 盆の如く 瑠璃 碧なり。邑屋 参差たり 岸樹の隙。琵湖と膳城とを説かんと欲するも。舟中 人の上国を知る少なし。吾が行 已に歴たり 万重の山。駕を瓊浦に税(ト)くは今夕に在り。担頭 猶ほ貯ふ 摂州の酒。樽を倒にして 此の際 復た惜しまず。纜を沙尾に繋ぎて 漁舟を喚び。買ひ得たり 棘鬣の長さ両尺なるを。
※●大村:現・長崎県大村市 ●長與:現・長崎県長与町 ●琵湖・膳城:琵琶湖と膳所の街 ●稅駕:馬車の馬を解いて、しばらく落ち着く ●瓊浦:長崎の美称 ●沙尾:川や海の砂浜 ●棘鬣:鯛
3-1-43 《到長碕》 頼山陽
一分是海二分山。夾海山爲碧玦彎。蠻館官樓家萬戶。高低山色海光閒。
《長碕に到る》
一分は是れ海 二分は山。海を夾みて 山は碧玦の彎を為す。蛮館 官楼 家 万戸。高低す 山色 海光の間。
※●長碕:長崎 ●碧玦:碧玉製の玦(環の一部欠けているもの)
3-1-44 《僦居五首 其一》 頼山陽
小閣臨江口。斜陽消檻首。誰言欠靚深。吾喜弛擔負。鄰市買鮮魚。淺斟謀老婦。來碕已十日。無此一杯酒。
《僦居五首 其の一》
小閣 江口に臨み。斜陽 檻首に消ゆ。誰か言ふ 靚深を欠くと。吾は喜ぶ 担負を弛めしを。隣市 鮮魚を買ひ。浅斟 老婦に謀る。碕に来たりて已に十日。此の一杯の酒無し。
※●僦居:借家。長崎滞在中の仮住まいとして借りた家。山陽の自注に「即武景文旧寓」とあり、武元登登菴が以前に借りていた家 ●碕:長崎
3-1-45 《僦居五首 其二》 頼山陽
寓居視顏字。故人親染翰。何圖鴻爪跡。復寄鷯枝安。舊識存老姥。曾憑有小欄。吟魂呼不起。月波夜漫漫。
《僦居五首 其の二》
寓居 顔字を視れば。故人 親しく翰を染む。何ぞ図らん 鴻爪の跡。復た鷯枝の安きに寄せんとは。旧識 老姥 存し。曽て憑る 小欄 有り。吟魂 呼べども起たず。月波 夜 漫漫たり。
※●顏字:借家に掲げる扁額の文字 ●故人:以前ここに住んでいた武元登登菴 ●鷯枝:ミソサザイが巣をつくる枝。『荘子』逍遙遊の、己の分に安んずべきことを説く一説にちなむ
3-1-46 《僦居五首 其三》 頼山陽
纔得琴書庇。卻喪僮僕貞。旋置短腳鼎。親炊長腰粳。一餐輒十起。往往失飪烹。口腹爲人累。回思愧平生。
《僦居五首 其の三》
纔かに琴書の庇を得て。却って僮僕の貞を喪ふ。旋ち短脚の鼎を置き。親(ミヅカ)ら長腰の粳を炊く。一餐 輒ち十起し。往往 飪烹を失す。口腹 人の累を為す。回思して平生に愧づ。
※●琴書庇:琴や書物を雨から守れるだけの狭い家 ●喪僮僕貞:忠実なお伴をうしなう。伴をしていた後藤松陰が母の病気により郷里に帰ったことを指す。易の六二に「旅即次、懐其資、得僮僕貞」とあるのをもじったもの ●一餐輒十起:一回の食事中に十回席を立つ。夏の禹王が人材を迎えるのに熱心であったことを言う「一饋十起」に基づくが、ここでは慣れない自炊でドタバタする様を表したもの。《淮南子・氾論訓》「當此之時、一饋而十起、一沐而三捉髪、以労天下之民」 ●失飪烹:煮炊きの加減を失敗する
3-1-47 《僦居五首 其四》 頼山陽
北指咼蘭船。南觀甌越船。樓窗厪數尺。臥闚萬國天。互市居貨物。倉庫觀騈闐。一竿出樹杪。時見彩旗翩。
《僦居五首 其の四》
北に指さす 咼蘭の船。南に観る 甌越の船。楼窓 厪(ワヅ)かに数尺。臥して闚(ウカガ)ふ 万国の天。互市 貨物を居き。倉庫 騈闐を観る。一竿 樹杪を出で。時に見る 彩旗の翩るを。
※●咼蘭:オランダ ●甌越:百越(古代中国の南方諸部族)のひとつ。現在の浙江あたりに居住した。ここでは中国江南を指しているのであろう
3-1-48 《僦居五首 其五》 頼山陽
水窗夕多風。又納月色朗。客攜酒與魚。風月共抵掌。一醉忽瞢騰。不知客已往。斜影猶在窗。臥聽柔櫓響。
《僦居五首 其の五》
水窓 夕風 多く。又た月色の朗らかなるを納る。客は携ふ 酒と魚。風月 共に掌を抵つ。一酔 忽ち瞢騰たり。客の已に往きしを知らず。斜影 猶ほ窓に在り。臥して柔櫓の響きを聴く。
※●瞢騰:ぼんやり。うっとり。ふらふら。意識がはっきりしないさま ●斜影:斜めに傾く月の光
3-1-49 《穎川氏邀我寓其別莊莊臨圓山》 頼山陽
山莊暫寄讀書檠。下視靑樓連畫甍。庭樹缺邊燈點點。夜深猶有按歌聲。
《穎川氏 我を邀へて其の別荘に寓せしむ。荘は円山に臨む》
山荘 暫く寄す 読書の檠。下視すれば 青楼 画甍を連ぬ。庭樹 欠くる辺り 灯 点点たり。夜 深くして猶ほ有り 按歌の声。
※●穎川氏:唐通事の穎川四郎太(延年) ●圓山:円山。長崎を代表する花街 ●按歌:調子をとって歌うこと。ここでは芸妓が三味線などに合わせて歌っているのであろう
3-1-50 《穎川氏邀我寓其別莊莊臨圓山》 頼山陽
借得山莊便作家。胠筐散帙小生涯。午眠乍覺蟬聲輟。照眼凌霄一架花。
《穎川氏 我を邀へて其の別荘に寓せしむ。荘は円山に臨む》
山荘を借り得て便ち家と作す。筐を胠(ヒラ)き 帙を散ず 小生涯。午眠 乍ち覚めて 蟬声 輟み。眼を照らす凌霄 一架の花。
※●小生涯:かりそめの生活 ●凌霄:のうぜんかずら
3-1-51 《荷蘭船行》 頼山陽
碕港西南天水交。忽見空際點秋毫。望樓號砲一怒嘷。二十五堡弓脫弢。街聲如沸四喧嘈。說是西洋來紅毛。飛舸往迓聞鼓鼛。兩揚信旗防濫叨。船入港來如巨鼇。水淺船大動欲膠。官舟連珠累幾艘。牽之而進聲謷謷。蠻船出水百尺高。海風淅淅颭罽旄。三帆樹桅施萬絛。設機伸縮如桔槹。漆黑蠻奴捷於猱。升桅理絛手爬搔。下碇滿船齊噭咷。疊發巨砲聲勢豪。蠻情難測廟謀勞。兵營猶不徹豹韜。嗚呼小醜何煩憂目蒿。萬里逐利在貪饕。可憐一葉凌鯨濤。譬如浮蟻慕羶臊。毋乃割鷄費牛刀。毋乃瓊瑤換木桃。
《荷蘭船行》
碕港の西南 天水 交はり。忽ち見る 空際 秋毫を点ずるを。望楼の号砲 一たび怒嘷すれば。二十五堡 弓は缯を脱す。街声 沸くが如く 四もに喧嘈す。説く是れ 西洋より紅毛 来たると。飛舸 往きて迓へ 鼓鼛を聞く。両つながら信旗を揚げて濫叨を防ぐ。船 港に入り来ること 巨鰇の如し。水 浅く 船 大にして 動もすれば膠せんと欲す。官舟 連珠 幾艘を累ぎ。之を牽きて進みて 声 謷謷たり。蛮船 水を出づること 百尺 高く。海風 淅淅として 罽旄を颭す。三帆 桅を樹てて万絛を施し。機を設けて伸縮すること 桔槹の如し。漆黒の蛮奴 猱より捷く。桅に升り 絛を理め 手もて爬搔す。碇を下して 満船 斉しく噭咷し。畳ねて巨砲を発して 声勢 豪なり。蛮情 測り難く 廟謀 労し。兵営 猶ほ豹韜を徹せず。嗚呼 小醜 何ぞ 憂目の蒿を煩はさん。万里 利を逐ふは貪饕に在り。憐れむべし 一葉 鯨濤を凌ぐを。譬へば浮蟻の羶臊を慕ふが如し。乃ち鶏を割くに牛刀を費す毋れ。乃ち瓊瑶もて木桃に換ふる毋れ。
※●碕港:長崎の港 ●弢:弓ぶくろ ●桔槹:はねつるべ ●豹韜:六韜の篇名 ●憂目蒿:心配のあまり眼を閉じたくても閉じられず、眼を開いて直視することもできず、眼を半開きにして睫毛が繁茂する蒿のように見えている状態。 荘子に「今世之仁人蒿目、而憂世之患」とあり
3-1-52 《佛郞王歌》 頼山陽
佛郞王。王起何處大西洋。太白鍾精眼碧光。天付韜略鑄其腸。蠶食歐邏東拓疆。誓以崑崙爲中央。國內游手收編行。兵無妻子武趪趪。縮梃爲銃伸爲槍。銃退槍進互撞搪。所向無前血玄黃。獨有鄂羅相頡頏。潛遣諜賊懷劍鋩。王覺故與翺翔。能刺刺我不能亡。汝主何不旗鼓當。遣客卽發陣堂堂。絨旗蔽天日無芒。五戰及國我武揚。鄂羅如魚泣釜湯。何料大雪平地一丈强。王馬八千凍且僵。運路梗塞不可望。馬肉方寸日充糧。王曰天不右佛郞。我活吾眾降何妨。單騎降敵敵不敢戕。放之阿墨君臣慶。戊寅歲吾遊碕陽。遭逢蠻醫聞其詳。自言在陣療金創。食馬免死今不忘。君不見何國蔑有貪如狼。勇夫重閉貴預防。又不見禍福如繩何可常。窮兵黷武每自殃。方今五洲休奪攘。何知殺運被西荒。作詩記異傳故鄕。猶覺殺氣迸奚囊。
《仏郎王の歌》
仏郎王。王の起こるは何処ぞ 大西洋。太白 精を鍾めて 眼 碧光。天 韜略を付して 其の腸を鋳る。欧邏を蚕食して 東に疆を拓き。誓って 崑崙を以て中央と為さんとす。国内の游手 収めて行に編す。兵に妻子無く 武 趪趪たり。梃を縮めて銃と為し 伸べて槍と為す。銃 退けば 槍 進み 互ひに撞搪す。向かふ所 前 無く 血 玄黄。独り鄂羅(オロシャ)の相ひ頡頏する有り。潜かに諜賊を遣はして剣鋩を懐にせしむ。王 覚(サト)り 故らに之と翺翔す。能く刺さば我を刺せ 亡(ニ)ぐる能はず。汝が主 何ぞ旗鼓もて当たらざると。客を遣りて即ち発す 陣 堂堂。絨旗 天を蔽ひて 日に芒無し。五戦 国に及びて 我が武 揚がる。鄂羅は 魚の釜湯に泣くが如し。何ぞ料らんや 大雪 平地 一丈 強。王の馬 八千 凍へ且つ僵る。運路 梗塞して 望むべからず。馬肉 方寸 日〻糧に充つ。王 曰く 天 仏郎を右(タス)けず。我 吾が衆を活かさば 降るも何ぞ妨げん。単騎 敵に降りて 敵 敢へて戕(ソコナ)はず。之を阿墨(アメリカ)に放って 君臣 慶ぶ。戊寅の歳 吾 碕陽に遊び。蛮医に遭逢して 其の詳を聞く。自ら言ふ 陣に在りて金創を療す。馬を食ひて死を免ること 今も忘れずと。君見ずや 何れの国か貪 狼の如きもの有る蔑からんや。勇夫 重閉して預防を貴ぶ。又た見ずや 禍福 縄の如し 何ぞ常とすべけんや。兵を窮め 武を黷して 毎に自ら殃ひす。方今 五洲 奪攘を休む。何ぞ知らん 殺運の西荒に被(コウム)らんとは。詩を作って異を記し 故郷に伝ふれば。猶ほ覚ゆ 殺気の奚囊より迸るを。
※●佛郞王:フランス王。ナポレオン1世のこと ●歐邏:ヨーロッパ ●崑崙:古代中国で西方にあると考えられた伝説上の霊山 ●鄂羅:オロシャ。ロシア ●阿墨:アメリカ。史実ではナポレオンはアメリカには流されていない ●戊寅歲:文政元年
3-1-53 《七星春歌》 頼山陽
重碧瀲灎漲長甁。何緣命名喚七星。腕擎琥珀光迸掌。訝佗寒芒照畫欞。吾戶雖小嫌甜酒。常恨泉釀不可口。宴闌煩君更往賖。始覺萬愁付一帚。君不見我胸未能羅二十八宿。我腹猶堪藏北斗。
《七星春の歌》
重碧 瀲灎として 長瓶に漲る。何に縁ってか命名して七星と喚ぶ。腕に琥珀を擎ぐれば 光 掌に迸り。訝る 佗の寒芒の画欞を照らすを。吾が戸 小なりと雖も 甜酒を嫌ふ。常に恨む 泉醸の口に可(ヨ)からざるを。宴 闌にして 君を煩はして 更に往きて賖らしめ。始めて覚ゆ 万愁の一帚に付するを。君見ずや 我が胸 未だ二十八宿を羅ぬる能はざるも。我が腹 猶ほ北斗を蔵するに堪ふるを。
※●七星春:伊丹の酒の銘柄。山陽の自注に「伊丹酒名、碕港所致皆泉釀、伊丹獨有此一品、或招余供此、賦謝」とある ●泉釀:和泉国醸造の酒 ●羅二十八宿:李賀《高軒過》に「二十八宿羅心胸 。九精照耀貫當中」とあるのを踏まえる ●北斗:北斗七星。銘柄名の「七星」にかける
3-1-54 《長碕歌十解 其一》 頼山陽
火海松魚始上街。火雲稍作亂峰堆。連朝坤位風方熟。等待洋船入港來。
《長碕の歌十解 其の一》
火海の松魚 始めて街に上り。火雲 稍 乱峰の堆きを作す。連朝 坤位 風 方に熟す。等しく待つ 洋船の港に入り来るを。
※●解:楽曲、歌謡の一段落、ひとまとまり ●火海:火の国(肥の国:肥前・肥後)の海。有明海(島原湾)や天草灘、八代海など長崎周辺海域を指す ●松魚:カツオ ●火雲:夏の炎天の雲 ●坤位:西南の方角
3-1-55 《長碕歌十解 其二》 頼山陽
入港西洋賈客船。譙樓信砲數聲傳。兩藩戌卒森旌戟。萬炬如星夜不眠。
《長碕の歌十解 其の二》
港に入る 西洋 賈客の船。譙楼の信砲 数声 伝ふ。両藩の戌卒 旌戟 森たり。万炬 星の如く 夜 眠らず。
※●譙樓:物見やぐら ●信砲:合図の大砲 ●兩藩:長崎警備を担当していた黒田(福岡)・鍋島(佐賀)の両藩 ●森:多く立ち並ぶさま。また厳かなさま
3-1-56 《長碕歌十解 其三》 頼山陽
洋船豆大點琉璃。未一炊閒到大磯。館外抛錨賀安穩。舳艪迭放佛郞機。
《長碕の歌十解 其の三》
洋船 豆大 琉璃に点ず。未だ一炊せざるの間に 大磯に到る。館外 錨を抛ちて 安穏を賀し。舳艪 迭(タガ)ひに仏郎機を放つ。
※●館外:出島のオランダ商館の外 ●舳艪迭:船首と船尾がかわるがわる ●佛郞機:佛郞機砲の略。佛郞機はフランクの音訳からヨーロッパ人(特にスペイン・ポルトガル)を指し、彼らが伝えた大砲を佛郞機砲と呼んだ
3-1-57 《長碕歌十解 其四》 頼山陽
金鬣芳柔壓海腴。百杯泉釀瀉眞珠。客誇拇戰成高手。昨夜三贏吳下奴。
《長碕の歌十解 其の四》
金鬣の芳柔 海腴を圧し。百杯の泉醸 真珠を瀉ぐ。客は誇る 拇戦の高手と成るを。昨夜 三たび呉下の奴に贏つと。
※●金鬣:金色の胸鰭。高価で美味な魚 ●海腴:人参(高麗人参)の異名 ●泉釀:和泉国で醸造された酒 ●拇戰:本拳(長崎拳)と呼ばれる手を使った遊び
3-1-58 《長碕歌十解 其五》 頼山陽
扇洲樓下盪槳遲。碧檻紅燈閃玉卮。試倚船窗呼姊妹。認佗夜宴侍胡兒。
《長碕の歌十解 其の五》
扇洲楼下 槳を盪かすこと遅し。碧檻 紅灯 玉卮に閃く。試みに船窓に倚りて姉妹を呼ぶ。認む佗の夜宴 胡児に侍するを。
※●扇洲楼:出島のオランダ商館。出島は扇の形をしていた
3-1-59 《長碕歌十解 其六》 頼山陽
朝朝擧案與眉齊。一狎吳兒是豔妻。看取心情冰雪潔。鐵漿不肯染瓠犀。
《長碕の歌十解 其の六》
朝朝 案を挙げて 眉と斉し。一たび呉児に狎れれば 是れ艶妻。看取す 心情 氷雪の潔きを。鉄漿 肯へて 瓠犀を染めず。
※●擧案與眉齊:夫を敬い、うやうやしく仕える様子。後漢の梁鴻の妻・孟光の故事 ●鐵漿:おはぐろ ●瓠犀:ひさごの中の種。美人の歯並びのよい白い歯のたとえ
3-1-60 《長碕歌十解 其七》 頼山陽
捧茗添香頤指中。雙雙眼語意何窮。洞房不用煩傳譯。自有靈犀一點通。
《長碕歌十解 其の七》
茗を捧げ 香を添ふるは 頤指の中。双双の眼語 意 何ぞ窮まらん。洞房 用ゐず 伝訳を煩はすを。自づから 霊犀 一点の通ずる有り。
※●頤指:あごで指図する ●洞房:婦人の寝室 ●靈犀一點通:霊獣の犀の角には中心に細い穴が通じていることから、人の心が通じ合うことをいう
3-1-61 《長碕歌十解 其八》 頼山陽
盈盈積水隔音塵。穿眼來帆阿那邊。自慰吾儂勝織女。一年兩度迓郞船。
《長碕の歌十解 其の八》
盈盈たる積水 音塵を隔つ。眼を穿つ来帆 阿那の辺ぞ。自ら慰む 吾儂は織女に勝ると。一年 両度 郎船を迓ふ。
※●阿那邊:那邊に同じ ●織女:織女星
3-1-62 《長碕歌十解 其九》 頼山陽
鬢側釵橫夢一場。尤雲殢雨任他狂。眠醒罽帳春如海。銀鼎燒餘眞臘香。
《長碕の歌十解 其の九》
鬢 側(カタム)き 釵 横たはりて 夢一場。尤雲 殢雨 他の狂ふに任す。眠り醒めて 罽帳 春 海の如し。銀鼎 焼き余す 真臘の香。
※●尤雲殢雨:男女の情交をいう。柳永《錦堂春》「待伊要尤雲殢雨。纏繡衾不興同歡」 ●眞臘:古代にインドシナにあったクメール人の王国。ここではかつて真臘があった一帯を指す。高級香木として知られる沈香の産地
3-1-63 《長碕歌十解 其十》 頼山陽
一港秋煙熨曉波。風吹旗腳影婆娑。越船時喚吳船語。似問今朝旣爨麼。
《長碕の歌十解 其の十》
一港の秋煙 暁波を熨(ノ)し。風は旗脚を吹いて 影 婆娑たり。越船 時に呉船を喚びて語る。問ふに似たり 今朝 既に爨せしや麼(イナ)やと。
※●熨:ひのし(アイロン)をかける ●爨:飯を炊く
3-1-64 《長碕雜詩》 頼山陽
藁街浮水碧。莎館靠峰靑。山約人煙密。市籠潮氣腥。兒童諳漢語。舟楫雜吳舲。誰信囂塵境。孤吟倒酒甁。
《長碕雑詩》
藁街 水に浮かんで碧に。莎館 峰に靠れて青し。山は人煙を約して密に。市は潮気を籠めて腥し。児童 漢語を諳じ。舟楫 呉舲を雑ふ。誰か信ぜん 囂塵の境。孤吟 酒瓶を倒にするを。
※●藁街:漢代、長安にあった異民族の居留地 ●漢語:中国語
3-1-65 《見姑蘇人楊兆元酒閒賦贈》 頼山陽
萍水相逢且擧杯。醉魂恍訝到蘇臺。看君眉宇秀如許。猶帶虎邱山翠來。
《姑蘇の人 楊兆元に見ゆ。酒間 賦して贈る》
萍水 相ひ逢ひて 且らく杯を挙ぐ。酔魂 恍として訝る 蘇台に到るかと。看る 君が眉宇の秀づること許くの如きを。猶ほ 虎邱山の翠を帯びて来たるがごとし。
※●姑蘇:蘇州の古称。また蘇州南西の山名 ●萍水相逢:故郷を離れたもの同士が偶然知り合うこと。王勃《滕王閣》詩の序に「萍水相逢、盡是他鄕之客」とあり ●蘇臺:姑蘇臺のこと。姑蘇山上にあり。呉王闔閭が築き、その子の夫差が西施とともに歓楽にふけった場所 ●虎邱:蘇州にあり。呉王闔閭を葬った山
3-1-66 《劉溥卿因官事來碕同舟泛遊》 頼山陽
山束蒼波萬瓦愁。蘭槳載酒酒如油。紅搖波影京倡袖。碧閃雲光蠻館樓。何料異鄕逢舊侶。不妨宦跡伴閑遊。晚涼更擬攜餘興。亂月紗燈滿閣秋。
《劉溥卿 官事に因りて碕に来たる。同舟して泛遊す》
山は蒼波を束ねて 万瓦 愁ふ。蘭槳 酒を載すれば 酒 油の如し。紅 波影に揺るるは 京倡の袖。碧 雲光に閃くは 蛮館の楼。何ぞ料らん 異郷 旧侶に逢はんとは。妨げず 宦跡 閑遊に伴うを。晩涼 更に余興を携へんと擬す。月を乱す紗灯 閣に満つるの秋。
※●劉溥卿:古賀穀堂、字は溥卿。佐賀藩儒。古賀家は漢の霊帝の子孫を称しており、本姓は劉と名乗った。山陽を批判していた父・精里と異なり、山陽と親しく交流した ●京倡:京都から来た女郎
3-1-67 《中秋》 頼山陽
風動微雲暑未收。一尊待月且登樓。瓦光明滅海山影。旗色依稀吳越舟。長鋏短衣成久客。蠻煙蜑雨又中秋。天涯醒醉同今夜。誰念飄零獨此州。
《中秋》
風 微雲を動かして 暑 未だ収まらず。一尊 月を待ちて 且つ楼に登る。瓦光 明滅す 海山の影。旗色 依稀たり 呉越の舟。長鋏 短衣 久客と成り。蛮煙 蜑雨 又た中秋。天涯の醒酔 今夜を同じくするも。誰か念はん 飄零して此の州に独りなるを。
※●長鋏:柄の長い剣。戦国時代、斉の孟嘗君の食客・馮諼が待遇に不満を抱き、「長鋏帰来乎」と歌ったことから、志を得ない者の不平の象徴
3-1-68 《中秋後一日楊西亭館擧觀月會聞西亭新娶》 頼山陽
旅館良宵且宴娛。紅燈綠酒小姑蘇。對門秋柳籠煙月。憶到雲鬟香霧無。
《中秋後一日 楊西亭の館にて観月会を挙す。西亭 新たに娶るを聞く》
旅館の良宵 且らく宴娯す。紅灯 緑酒 小姑蘇。門に対する秋柳 煙月を籠む。雲鬟香霧に憶ひ到るや無や。
※●楊西亭:清国人。詳細不明。《見姑蘇人楊兆元酒閒賦贈》に見える楊兆元のことか ●姑蘇:蘇州の古称。また呉王夫差が西施とともに歓楽にふけった台の名 ●:しっとりと艶のある美人の髪。杜甫《月夜》に「香霧雲鬟濕 。清輝玉臂寒」とあり
3-1-69 《戲代校書袖笑憶江辛夷》 頼山陽
擧袖嫣然掩袖啼。玉釵敲斷酒醒時。相思何與封姨事。阻卻郞船故故遲
《戯れに校書袖笑に代わりて江辛夷を憶ふ》
袖を挙げて嫣然 袖を掩ひて啼く。玉釵 敲断す 酒 醒むる時。相思 何ぞ封姨の事に与(アヅ)からん。郎が船を阻却して故故に遅し。
※●校書:芸妓のこと。唐の薛濤は芸妓であったが、文才にすぐれ、能く校書の任に堪えたことから ●袖笑:そでさき。長崎丸山の名妓の名 ●江辛夷:清国蘇州の人。辛夷は字。芸閣と号す。書で有名。山陽の自注に「余聞江名久矣。江今夏當來、阻風不至。水媚川爲呼江所狎校書侍酒、託致殷勤。酒閒戲代敍其憶。乃敍吾憶也」とある。「水媚川」は水野勝太郎 ●封姨:風神。范成大《嘲風》に「紛紅駭綠驟飄零。癡騃封姨沒性靈。」とあり ●故故:わざと。故意に
3-1-70 《席上墨戲戲題》 頼山陽
醉墨輸他煙黛靑。和毫伸紙倩娉婷。知卿曾捧江郞硏。得似渠儂泥裏釘。
《席上墨戯。戯れに題す》
酔墨 輸す他の煙黛の青きに。毫を和し 紙を伸ぶるに 娉婷を倩ふ。知る 卿は曽て江郎の研を捧げしを。渠儂が泥裏の釘に似たるを得ん。
※●他煙黛:芸妓そでさきの黛 ●娉婷:美人。そでさきを指す ●江郞:江辛夷 ●泥裏釘:宋の画家・江貫道らが始めた皴法のひとつに、泥裏抜釘というのがある
3-1-71 《碕人以狹斜爲命見余詩時爲綺語認以爲眞往往勾誘余輒示此詩爲解》 頼山陽
誰疑山谷墮泥犂。懶學樊川張水嬉。唯使心腸如鐵石。不妨筆墨賦冰肌。
《埼人 狭斜を以て命と為す。余の詩 時に綺語を為るを見て 認めて以て真と為し 往往 勾誘す。余 輒ち此の詩を示して解と為す》
誰か疑ふ 山谷 泥犂に堕つるかと。学ぶに懶し 樊川の水嬉を張るを。唯だ心腸をして鉄石の如くならしめば。筆墨の氷肌を賦するを妨げず。
※●狹斜:花街 ●山谷墮泥犂:宋の黄庭堅が艶詞を作った時、法秀道人が「当に泥犂の獄に墜つべし」と戒めたという ●樊川:杜牧 ●水嬉:舟遊び ●冰肌:氷のように透き通った肌。美女のこと
3-1-72 《碕人以狹斜爲命見余詩時爲綺語認以爲眞往往勾誘余輒示此詩爲解》 頼山陽
未能茗盌換觥船。何復纖腰伴醉眠。家有縞衣待吾返。孤衾如水已三年。
《埼人 狭斜を以て命と為す。余の詩 時に綺語を為るを見て 認めて以て真と為し 往往 勾誘す。余 輒ち此の詩を示して解と為す》
未だ茗椀を觥船に換ふる能はず。何ぞ復た繊腰 酔眠に伴はんや。家には縞衣の吾が返るを待つ有り。孤衾 水の如きこと 已に三年。
※●縞衣:白い衣服。周代の賤女の服装。転じて自分の妻を謙遜していう
3-1-73 《余薄遊寫憂晝閒詩酒陶滌夜輒夢先人感而有作》 頼山陽
九國山川遊未回。三年苴杖尙餘哀。誰言旅館無儔侶。夜夜音容入夢來。
《余 薄遊して憂ひを写す。昼間 詩酒もて陶滌す。夜は輒ち先人を夢む。感じて作る有り》
九国の山川 遊して未だ回らず。三年の苴杖 尚ほ余哀あり。誰か言ふ 旅館 儔侶 無しと。夜夜 音容 夢に入り来たる。
※●薄遊:いささかの旅行 ●苴杖:喪中に用いる黒色の竹の仗
巻4
4-1 西遊稿(下)
4-1-1 《發長碕赴肥後》 頼山陽
瓊港山圍萬戶煙。纔過嶺背海茫然。直西空闊雲黏水。於越句吳若個邊。
《長碕を発して肥後に赴く》
瓊港 山は囲む 万戸の煙。纔かに嶺背を過ぐれば 海 茫然たり。直西 空闊にして 雲 水に粘す。於越 句呉 若個の辺ぞ。
※●瓊港:長崎の美称 ●於越句吳:越と呉。「於」「句」はそれぞれ発語の声で意味はない ●若個邊:個は箇に同じ。どのあたり。 沈佺期《初達驩州》「雨露何時及。京華若箇邊」
4-1-2 《舟過千皺洋遇大風浪殆覆得上島原宿漁戶賦此志懲》 頼山陽
賴子發碕港。八月日念六。便道赴東肥。臨岸買𦩷𦪇。說是千皺洋。波紋如細縠。解纜未半時。雲行稍捷速。指點溫嶽巓。黑氣如蓋笠。須臾海水立。盲風撼坤軸。舵工强談笑。護短諱敗衄。風力愈狂驕。鯨鼉交怒蹴。濤勢吳越來。萬里一沓蹙。舟爲之掀翻。繋泊欲向孰。舟人腕欲脫。搖櫓達島隩。叩門懇吏胥。僦丁負囊簏。崎嶇踰磯礁。蒙茸過樸樕。漫白見崩沙。深黑瞰絕谷。照昏有炬火。救饑無饘粥。勉旃度羊腸。猶勝葬魚腹。遠火認宿所。弛擔漁人屋。燂湯洗腳跟。下飯燒腒鱐。驚定方成笑。痛覺卻欲哭。遠道胡爲來。非宦非販鬻。汙漫自取苦。反顧眞悚恧。作詩抽囊筆。鯨燈伴單獨。
《舟にて千皺洋を過ぎ 大風浪に遇ひ 殆ど覆らんとす。島原に上り得て漁戸に宿す。此を賦して懲を志す》
頼子 碕港を発す。八月 日は念六。便道 東肥に赴き。岸に臨んで𦩷𦪇を買ふ。説く是れ 千皺洋と。波紋 細縠の如し。纜を解いて未だ半時にならざるに。雲行 稍 捷速。指点す 温岳の巓。黒気 蓋笠の如きを。須臾にして 海水 立ち。盲風 坤軸を撼かす。舵工 強ひて談笑し。短を護りて 敗衄を諱む。風力 愈〻 狂驕。鯨鼉 交〻 怒蹴す。濤勢 呉越より来たり。万里 一に沓蹙す。舟 之が為めに掀翻せられ。繋泊 孰れに向かはんと欲す。舟人 腕 脱けんと欲し。櫓を揺かして 島隩に達す。門を叩いて 吏胥に懇(ネガ)ひ。丁を僦ひて囊簏を負はしむ。崎嶇として磯礁を踰え。蒙茸として樸樕を過ぐ。漫白 崩沙を見。深黒 絶谷を瞰る。昏を照らすに炬火 有るも。饑を救ふに饘粥 無し。旃を勉めよ 羊腸を度るは。猶お勝る 魚腹に葬らるるに。遠火 宿所を認め。担を弛む 漁人の屋。湯を燂めて 脚跟を洗ひ。飯に下すに 腒鱐を焼く。驚き定まって方に笑ひを成し。痛み覚えて却って哭かんと欲す。遠道 胡為れぞ来たる。宦に非ず 販鬻に非ず。汚漫 自ら苦しみを取る。反顧すれば真に悚恧。詩を作らんと囊筆を抽けば。鯨灯 単独に伴ふ。
※●千皺洋:千々石灘(ちぢわなだ)。長崎県の橘湾の古称。長崎半島東岸と島原半島西岸に囲まれた湾 ●念六:二十六日 ●𦩷𦪇:扁平な大船 ●溫嶽:雲仙岳 ●護短諱敗衄:判断ミスを言い繕って失敗を認めない ●沓蹙:押し合いへし合いする ●勉旃:旃は「之焉」の合音。これを勉めよ、と励ます言葉 ●下飯:飯のおかずにする ●腒鱐:干し魚 ●悚恧:おそれ恥じる
4-1-3 《泊天草洋》 頼山陽
雲耶山耶吳耶越。水天髣髴靑一髮。萬里泊舟天草洋。煙橫篷窗日漸沒。瞥見大魚波閒跳。太白當船明似月。
《天草洋に泊す》
雲か 山か 呉か 越か。水天 髣髴 青一髪。万里 舟を泊す 天草洋。煙 篷窓に横たはって 日 漸く没す。瞥見す 大魚の波間に跳るを。太白 船に当たりて 明らかなること 月に似たり。
※●天草洋:天草灘。天草下島西方に広がる大陸棚とその縁辺にあたる海域 ●靑一髮:蘇軾《澄邁驛通潮閣》に「杳杳天低鶻沒處 靑山一髮是中原」とあり ●太白:金星。ここでは宵の明星
4-1-4 《詠懷古跡短歌》 頼山陽
一嶽突出壓大洋。全國提封皆其腰。中有危礁最斗絕。弄兵誰曾據池潢。彈丸煩擧九節度。兩歲飛輓糜餽糧。回看一旅取天下。巧拙如注異金瓦。折戟沈沙二百年。距堙猶認屯人馬。最憐孤墓圍松楸。父老于今說故侯。崇文未捷遣劉雍。惜禽虎臣貽狗偸。
《古跡を詠懐する短歌》
一岳 突出して 大洋を圧す。全国の提封 皆な其の腰。中に危礁の最も斗絶なる有り。兵を弄して 誰か曽て池潢に拠る。弾丸 挙ぐるを煩はす 九節度。両歳 飛輓 餽糧を糜す。回看すれば 一旅 天下を取る。巧拙は 注の金瓦を異にするが如し。折戟 沙に沈むこと 二百年。距堙 猶お認む 人馬を屯せしを。最も憐れむ 孤墓の松楸に囲まるるを。父老 今に于いても故侯を説く。崇文 未だ捷たざるに 劉雍を遣る。惜しむらくは 虎臣を禽にして狗偸に貽りしを。
※●一嶽:雲仙岳のこと ●提封:すべて、合計。封内のすべて。肥前全国の土地すべて ●危礁最斗絕:島原の乱の一揆軍がたてこもった原城址の地形を表現したもの ●彈丸:わずかな土地。宋の趙普が太原を「彼弾丸黒子之地」と呼んだことにちなむ ●九節度:乱の鎮圧に動員された諸大名。唐が九節度使を動員して安慶緒を討たせたことにたとえる ●注:博打にかける品物。荘子に「以瓦注者勝、以鉤者憚、以金者負」とあり ●孤墓:板倉重昌の墓。当初、討伐軍の総大将だったが鎮圧に手こずり、新たに老中・松平信綱が派遣されてくると聞いて、焦って力攻めを繰り返して大損害を出し、自らも戦死した ●崇文未捷遣劉雍:山陽の自注に「唐憲宗遣高崇文討賊、戒曰、汝如不捷當遣劉雍。崇文奮戦勝帰」とあり。板倉重昌を高崇文に、松平信綱を劉雍になぞらえる ●虎臣:虎のように勇猛な臣。板倉重昌のこと ●狗偸:賊軍
4-1-5 《舟中所見》 頼山陽
溫山遙面阿蘇山。山脈逶迤碧玉環。匯得海波開一鏡。相臨自照兩煙鬟。
《舟中所見》
温山 遥かに阿蘇山に面す。山脈 逶迤として 碧玉の環。海波を匯し得て一鏡を開き。相ひ臨みて 自ら照らす 両煙鬟。
●溫山:雲仙岳 ●匯:多くの水流をあつめる ●両煙鬟:もやのかかる二つの峰。雲仙岳と阿蘇山
4-1-6 《熊府辛島敎授招飮。先人之友也。賦此奉呈竝贈在座諸儒》 頼山陽
避風火海舍舟行。蘇嶽相迎先眼明。銀杏插天知故國。丹樓拔地見層城。雲泥聊託冥鴻跡。萍水新同振鷺盟。苴仗三年成往事。忽逢父執淚縱橫。
《熊府の辛島教授 招飲す。先人の友なり。此を賦して奉呈し 並びに在座の諸儒に贈る》
風を避けて 火海 舟を舎てて行く。蘇岳 相ひ迎へて 先づ眼 明らかなり。銀杏 天に挿んで 故国を知り。丹楼 地を抜いて 層城を見る。雲泥 聊か託す 冥鴻の跡。萍水 新たに同にす 振鷺の盟。苴杖 三年 往事と成る。忽ち 父執に逢ひて 涙 縦横。
※●熊府:熊本 ●辛島敎授:辛島塩井(1755-1839)。名は憲。字は伯彜。熊本藩儒 ●先人:山陽の父・春水 ●知故國:銀杏の大樹が多いことから歴史ある古い国だとわかる ●苴杖:喪中に用いる黒色の竹の杖 ●父執:父の同志の友
4-1-7 《謁加藤公廟二首 其一》 頼山陽
提封當日闢榛蕪。形勝居然虎負嵎。熊府城樓營百雉。鷄林毛羽捕雙雛。鐵戈冒雪纔存指。銅面衝風故惜鬚。眇視跛興人競禱。靈威卻不庇遺孤。
《加藤公の廟に謁す二首 其の一》
提封 当日 榛蕪を闢く。形勝 居然として 虎 嵎を負ふ。熊府の城楼 百雉を営み。鶏林の毛羽 双雛を捕ふ。鉄戈 雪を冒して 纔かに指を存し。銅面 風を衝いて 故(モト) 鬚を惜しむ。眇視 跛興 人 競ひて禱る。霊威 却って遺孤を庇はず。
※●加藤公廟:加藤清正を祀る浄池廟。当時は日蓮宗の本妙寺にあったが、維新後、神仏分離により寺から分離して錦山神社(通称加藤神社)となっている ●提封:封土のうちのすべて ●百雉:三百丈四方。方丈を堵といい、三堵を雉という ●鷄林:朝鮮 ●毛羽:鳥 ●雙雛:朝鮮の二人の王子、臨海君と順和君 ●眇視跛興:眇(不自由な片目)で見、跛(不自由な片足)で立ち上がる ●遺孤:のこされた孤児。豊臣秀吉の遺児、秀頼
4-1-8 《謁加藤公廟二首 其二》 頼山陽
起身戚屬是嫖姚。早向邊城遠擧鑣。結髮軍皆知李廣。禁啼兒尙畏張遼。有巢寧料鳩因鵲。生子誰言狗續貂。空使遺民嚴伏臘。蘇山雲霧恨難消。
《加藤公の廟に謁す二首 其の二》
身を戚属に起こすは 是れ嫖姚。早く辺城に向かって 遠く鑣を挙ぐ。結髪 軍は皆な李広を知り。禁啼 児は尚ほ張遼を畏る。巣有り 寧んぞ料らん 鳩 鵲に因るを。子を生みて 誰か言ふ 狗 貂に続くと。空しく遺民をして伏臘を厳かならしむ。蘇山の雲霧 恨み消し難し。
※●嫖姚:漢の霍去病。若くして嫖姚校尉となった。母の妹・衛子夫が武帝に寵愛された縁で取り立てられ、匈奴征伐で数々の勲功を挙げ、史上初の驃騎将軍となった ●結髮:元服したばかりであること ●李廣:漢の李広。若いころから匈奴征伐に従軍し武功を挙げた。史記に李広の言葉として「廣結髮與匈奴大小七十餘戰・・・」とある ●禁啼:泣くのを禁じる ●張遼:三国・魏の猛将。「遼来、遼来」と言えば泣く子もおとなしくなる、というほど恐れられた ●鳩因鵲:詩経・召南の鵲巣に「維鵲有巣、維鳩居之」とあり、築き上げた国が他人の手に渡ることをいう ●狗續貂:狗尾続貂の略。凡庸の者が優れた者のあとに続くこと。清正の後を継いだ忠広のとき加藤家は取りつぶしとなり、肥後は細川家のものとなった ●伏臘:清正を祀る夏と冬の祭典
4-1-9 《南遊過菊池村》 頼山陽
菊池村老兩三家。籬落秋風見暮鴉。世守芳根全晚節。翠楠未必勝黃花。
《南遊して菊池村を過ぐ》
菊池村は老ゆ 両三家。籬落の秋風 暮鴉を見る。世〻芳根を守って晩節を全うす。翠楠 未だ必ずしも黄花に勝らず。
※●菊池村:肥後国菊池郡にあり。南朝の忠臣として名高い菊池氏ゆかりの村。菊池氏は南北朝合一後も肥後守護として続いたが、戦国時代に大友氏に亡ぼされた ●翠楠・黃花:翠楠は楠木氏を、黄花は菊池氏を指す
4-1-10 《自松橋上舟作促句詩》 頼山陽
松橋驛畔僦舟乘。星斗滿天夜氣凝。寒臥舟腹如凍蠅。天明繋纜天草島。島民半以魚代稻。炊飯買魚魚味好。南望海波閃紅暾。礁影起伏如浮黿。說是薩州黑浪門。
《松橋より舟に上りて促句詩を作す》
松橋駅畔 舟を僦ひて乗る。星斗 天に満ち 夜気 凝る。舟腹に寒臥して 凍蠅の如し。天明 纜を繋ぐ 天草島。島民 半ば魚を以て稲に代ふ。飯を炊き 魚を買へば 魚味 好し。南のかた海波を望めば 紅暾 閃き。礁影 起伏して 浮黿の如し。説く 是れ 薩州の黒浪門と。
※●松橋:現・熊本県宇城市松橋(まつばせ)町 ●促句詩:三句同じ韻を踏み、それを三つ重ねる詩形 ●黑浪門:黒の瀬戸。鹿児島県長島町と阿久根市の間にある海峡。八代海と東シナ海をつなぐ
4-1-11 《踰綱樹嶺》 頼山陽
阿蘇山脈盡南奔。右折羊腸扼海門。回望雲嵐如疊浪。那邊應是五家村。
《綱樹嶺を踰ゆ》
阿蘇の山脈 尽く南に奔り。右折して羊腸 海門を扼す。回望すれば 雲嵐 畳浪の如し。那れの辺か 応に是れ 五家村なるべき。
※●綱樹嶺:津奈木太郎峠。熊本県葦北郡にある峠。同じく葦北郡にある佐敷太郎峠・赤松太郎峠とともに「三太郎峠」と呼ばれ、難所として知られた ●五家村:五家荘。肥後国八代郡(現・熊本県八代市)東部の久連子・椎原・仁田尾・葉木・樅木の五地域の総称。伝説では平家の落人の隠れ里とされる。江戸時代には熊本藩領を経て、1685年以後は天草代官管轄の天領となっていた
4-1-12 《過肥薩界》 頼山陽
一澗平分南北州。亂沙深草兩邊秋。曾無所屬唯溪水。幾股潺湲隨意流。
《肥薩の界を過ぐ》
一澗 平分す 南北の州。乱沙 深草 両辺の秋。曽て属する所無きは 唯だ渓水。幾股か潺湲として随意に流る。
※●肥薩界:肥後と薩摩の国境 ●幾股:幾すじ
4-1-13 《入薩界遇雨》 頼山陽
秋雨來不已。秋風吹倒人。程長苦日短。前路問頻頻。已踰肥嶺坂。還緣薩海濱。冥色生墟落。道上少蹄輪。笠糾舞離首。蓑袂濕透身。拔腳泥淖裏。又遭石齒齗。暗行至關下。關吏肆呵嗔。乞宿野人屋。雙膝屈不伸。破竈無煙氣。松肪照積塵。僵臥不可寐。起坐獨吟呻。離國幾亭驛。擧目有誰馴。桑弧從素願。不必說苦辛。耿耿每縈念。北堂有老親。屈指待吾返。愆期已廿旬。汙漫竟何事。我鬢亦欲銀。寧能可中止。勢與騎虎均。路難吾已分。何爲自逡巡。勉起裹吾足。鳴鴉已報晨。
《薩界に入りて雨に遇ふ》
秋雨 来たりて已まず。秋風 人を吹き倒す。程 長くして日の短きに苦しみ。前路 問ふこと頻頻たり。已に肥嶺の坂を踰え。還た薩海の浜に縁る。冥色 墟落に生じ。道上 蹄輪 少なし。笠糾 舞ひて首を離れ。蓑袂 湿りて身に透る。脚を抜く 泥淖の裏。又た石歯の齗(カ)むに遭ふ。暗行して関下に至れば。関吏 肆に呵嗔す。宿を乞ふ 野人の屋。双膝 屈して伸びず。破竈 煙気 無く。松肪 積塵を照らす。僵臥するも寐ぬべからず。起坐して独り吟呻す。国を離れて幾亭駅。目を挙ぐれば 誰 有ってか馴れん。桑弧 素願に従ふ。必ずしも苦辛を説かず。耿耿として毎に念ひを縈らす。北堂に老親有り。指を屈して吾が返るを待つ。期を愆(アヤマ)ること已に廿旬。汚漫 竟に何事ぞ。我が鬢も亦た銀ならんと欲す。寧んぞ能く中止すべけんや。勢ひ騎虎と均し。路難 吾 已に分とす。何為れぞ自ら逡巡せん。勉起して吾が足を裹めば。鳴鴉 已に晨を報ず。
※●笠糾:笠のひも ●石齒齗:石の角が足を痛めつける
4-1-14 《阿嵎嶺》 頼山陽
危礁亂立大濤閒。決眥西南不見山。鶻影低迷帆影沒。天連水處是臺灣。
《阿嵎嶺》
危礁 乱立す 大濤の間。眥を決すれば 西南 山を見ず。鶻影は低迷し 帆影は没す。天 水に連なる処 是れ台湾。
※●阿嵎嶺:阿久根。現・鹿児島県阿久根市 ●鶻:ハヤブサ
4-1-15 《逢重陽三首 其一》 頼山陽
蟬聲夾路亂松長。偏愛征衫生晚涼。野店迎人勸蠻酒。報吾今日是重陽。
《重陽に逢ふ三首 其の一》
蟬声 路を夾みて 乱松 長し。偏へに愛す 征衫の晩涼を生ずるを。野店 人を迎へて蛮酒を勧め。吾に報ず 今日は是れ重陽と。
※●重陽:九月九日の節句 ●蠻酒:薩摩の焼酎
4-1-16 《逢重陽三首 其二》 頼山陽
短髮萱堂道路賖。空房蓬首更天涯。西風寄與兩般淚。回首望鄕還望家。
《重陽に逢ふ三首 其の二》
短髪の萱堂 道路 賖かなり。空房の蓬首 更に天涯。西風 寄与す 両般の涙。首を回らして郷を望み 還た家を望む。
※●萱堂:母親 ●蓬首:蓬のように神が乱れた頭。ここでは山陽の妻・梨影を指す ●鄕・家:母がいる故郷の広島と、妻がいる京都の自宅
4-1-17 《逢重陽三首 其二》 頼山陽
吾生三十九重陽。幾處黃花泛酒觴。商略登高誰第一。薩山盡處望南洋。
《重陽に逢ふ三首 其の二》
吾が生 三十九重陽。幾処の黄花 酒觴に泛かべし。商略す 登高 誰か第一なる。薩山 尽くる処 南洋を望む。
※●黃花:菊の花 ●商略:議論して定める、比べ定める ●登高:重陽の節句には、家族や知人で高いところに登り、菊の花を浮かべた酒を飲む
4-1-18 《宿仙代河》 頼山陽
晚宿逆旅卸擔簦。滿室歌呼酒如澠。言是重陽正會客。不顧孤旅守寒燈。吾自有酒遠提挈。獨酌微吟酬佳節。瓊津友贐是瓊漿。汝酒似否此芳烈。缺月窺檐影婆娑。今夜瓊津定如何。
《仙代河に宿す》
晩に逆旅に宿りて 担簦を卸す。室に満つる歌呼 酒 澠の如し。言ふ是れ 重陽 正に客を会すと。顧みず 孤旅の寒灯を守るを。吾 自ら酒有り 遠く提挈す。独酌 微吟 佳節に酬ゆ。瓊津の友の贐(ハナムケ)は是れ瓊漿。汝が酒 此の芳烈に似たるや否や。欠月 檐を窺ひて 影 婆娑たり。今夜 瓊津 定めて如何。
※●仙代河:川内川。熊本県最南部に源を発し、宮崎県南西部および鹿児島県北西部を流れ薩摩川内市で東シナ海に注ぐ ●酒如澠:酒が潤沢にあること。澠は川の名。左伝昭公十二年に「有酒如澠、有肉如陵」とあり ●瓊津:長崎の美称
4-1-19 《薩州重陽》 頼山陽
客路重陽日。家鄕萬疊山。春歸方北筑。秋老又南蠻。濁浪玄門渡。炎沙白水關。故園霜候早。籬菊已應斑。
《薩州重陽》
客路 重陽の日。家郷 万畳の山。春 帰るとき 方に北筑。秋 老いて 又た南蛮。濁浪 玄門の渡し。炎沙 白水の関。故園 霜候 早く。籬菊 已に応に斑なるべし。
※●玄門:黒の瀬戸。鹿児島県長島町と阿久根市の間にある海峡。八代海と東シナ海をつなぐ ●白水關:出水(いづみ)の関所。読みが「泉」と同じであることから、「泉」を分解して「白水」としたもの。肥後から薩摩への入口にあたる関所だったため厳重に警備された
4-1-20 《石曼子行》 頼山陽
石曼子。樹下兒。安辨孰雄孰是雌。蠶食九州如風雨。何事此處忽降旗。巨川滔滔扼海口。回看疊嶺衝北斗。如此山河棄不守。全國擧納豎子手。城下鷄豕眞深怨。海外鷹犬何獨奮。連枝之際偏樹恩。銜報何暇懷恚忿。混一有機驅除先。寺名太平豈偶然。君不見西南由來淵藪菀。人傳個裏匿老佛。
《石曼子行》
石曼子。樹下児。安んぞ弁ぜん 孰れか雄にして 孰れか是れ雌なるを。九州を蚕食すること風雨の如し。何事ぞ 此の処に 忽ち降旗。巨川 滔滔として海口を扼す。回看すれば 畳嶺 北斗を衝く。此の如き山河 棄てて守らず。全国 挙げて納る 豎子の手。城下の鶏豕 真に深怨なるに。海外の鷹犬 何ぞ独り奮ふ。連枝の際 偏へに恩を樹つ。銜報 何ぞ恚忿を懐くに暇あらんや。混一 機有り 駆除 先んず。寺の太平と名づくる豈に偶然ならんや。君見ずや 西南 由来 淵藪 菀たるを。人は伝ふ 個の裏に老仏を匿すと。
※●石曼子:島津。中国語で読めば「シーマンズ」となる ●樹下兒:木下。つまり豊臣秀吉(もと木下藤吉郎)。山陽の自注に「石曼子樹下児皆出明通記」とあり ●城下鷄豕:城下の盟に同じ。昔、盟を結ぶ際には鷄豕の血をすすったことから ●混一:天下統一 ●寺名太平:川内にある太平寺。秀吉が本陣を置き、島津義久はここに出向いて降伏した ●淵藪:隠れる場所 ●老佛:山陽の自注に「明建文帝後呼老仏。其詩有牢落西南四十州句」とあり。明の建文帝は叔父の燕王(のちの永楽帝)に帝位を奪われ、行方不明となった。巷では海を渡って南方へ逃れたという噂がまことしやかに囁かれた。ここでは豊臣秀頼を建文帝にたとえる
4-1-21 《狹裔行》 頼山陽
肥山如怒濤。薩山如倒瀾。翠碧坡陀疊堤防。道在山上不知山。山脈南窮地勢窄。左右顧視海波環。弱冠曾踰橫河水。八州之野何豐偉。寧知二十餘年後。雙腳來上蜻蜓尾。
《狭裔行》
肥山は怒濤の如く。薩山は倒瀾の如し。翠碧 坡陀として 堤防を畳ね。道は山上に在りて 山を知らず。山脈 南に窮まりて 地勢 窄(セバマ)り。左右 顧視すれば 海波 環(メグ)る。弱冠 曽て踰ゆ 横河の水。八州の野 何ぞ豊偉なりし。寧んぞ知らん 二十余年の後。双脚 来たり上る 蜻蜓の尾。
※●狹裔:山陽の自注に「家杏坪曰、『薩摩狭裔也、吾妻偉裔也。古訓而填今字耳。』今覚其信然、故作此」とあり。つまり、「薩摩サツマ」はサ(狭い)+ツマ(端)であり、「吾妻アヅマ」はア(偉い)+ツマ(端)であると、叔父の杏坪から教わったという ●橫河:具体的にどの川を指すか不明だが、その川を越えて関東に入るとなれば、富士川あたりか ●蜻蜓:蜻蜓洲すなわち日本国
4-1-22 《途上》 頼山陽
寒螿喞喞雜鳴蛙。村驛秋風馬影斜。節過重陽菊未發。卻看瓜架著黃花。
《途上》
寒螿 喞喞として 鳴蛙に雑る。村駅の秋風 馬影 斜めなり。節は重陽を過ぎて 菊 未だ発かず。却って看る 瓜架 黄花を著くるを。
※●途上:薩摩を旅する途上 ●寒螿:ヒグラシ
4-1-23 《所見》 頼山陽
薩南村女可憐生。竹策芒鞋趁曉晴。果下載薪皆牝馬。一人能領數馱行。
《所見》
薩南の村女 可憐生。竹策 芒鞋 暁晴を趁ふ。果下 薪を載するは皆な牝馬。一人 能く数駄を領して行く。
※●可憐生:愛すべきもの、不憫なもの ●果下:果下馬。果樹の下を行くのに良い小柄の馬
4-1-24 《麑洲逆旅歌》 頼山陽
蛟蜃氣蒸萬家煙。對岸嶽影壓城闉。京貨蠻琛列肆鬻。賈舶中雜琉球船。吾來津樓卸行李。九月葛衣暑未已。豚肉竹筍旅飯腥。寄身側肩累跡裏。擧止便儇認攝商。語言嬌軟知京妓。踧踖自憐一書生。食時爭席出爭履。萬里誰迫爲此行。逆境未可說不平。閑啓行筐抽書讀。堆薪撐檐尺五明。
《麑洲逆旅の歌》
蛟蜃の気は蒸す 万家の煙。対岸の岳影 城闉を圧す。京貨 蛮琛 肆を列べて鬻ぎ。賈舶の中に雑る 琉球の船。吾 津楼に来たりて 行李を卸せば。九月の葛衣 暑 未だ已まず。豚肉 竹筍 旅飯 腥く。身を寄す 側肩 累跡の裏。挙止 便儇にして摂商と認め。語言 嬌軟にして 京妓と知る。踧踖 自ら憐れむ 一書生。食時 席を争ひ 出づるに履を争ふ。万里 誰か迫りて 此の行を為す。逆境 未だ不平を説くべからず。閑かに行筐を啓き 書を抽きて読めば。堆薪 檐を撐へて 尺五 明かなり。
※●麑洲:鹿児島 ●側肩累跡:人多くして混み合うさま ●便儇:身軽ですばやい ●攝商:摂津の商人 ●踧踖:慎み深く、遠慮がちのさま ●尺五:一尺五寸。きわめて近いことのたとえ
4-1-25 《薩摩詞八首 其一》 頼山陽
鄕兵團結百餘區。帶箭人交荷鍤夫。茅舍槿籬差整肅。家家多種淡婆姑。
《薩摩詞八首 其の一》
郷兵 団結す 百余区。箭を帯ぶるの人に交じる 鍤を荷ふの夫。茅舎 槿籬 差(ヤヤ)整粛。家家 多くは種う 淡婆姑。
※●淡婆姑:タバコ
4-1-26 《薩摩詞八首 其二》 頼山陽
路遇朝鮮俘獲孫。窯陶爲活別成村。可憐埴得扶桑土。造出當年高麗盆。
《薩摩詞八首 其の二》
路に遇ふ 朝鮮 俘獲の孫。窯陶 活を為して 別に村を成す。憐れむべし 扶桑の土を埴し得て。造り出だす 当年の高麗盆。
※●朝鮮俘獲孫:朝鮮出兵の際、島津義弘は陶工八十人を捕らえて帰国した。その子孫は薩摩で代々陶業を営んだ
4-1-27 《薩摩詞八首 其三》 頼山陽
相逢南客市廛閒。言語牙牙雜漢蠻。御墨京毫諳價直。自稱兩度入燕山。
《薩摩詞八首 其の三》
南客に相ひ逢ふ 市廛の間。言語 牙牙として 漢蛮を雑ふ。御墨 京毫 価直を諳んず。自ら称す 両度 燕山に入ると。
※●南客:薩摩より南から来た人、すなわち琉球の人 ●漢蠻:中国語と琉球方言 ●御墨京毫:北京の墨と筆 ●燕山:北京
4-1-28 《薩摩詞八首 其四》 頼山陽
櫻山突立海灣閒。一碧瑠璃擎髻鬟。鹿子城中家幾萬。無窗不納紫孱顏。
《薩摩詞八首 其の四》
桜山 突立す 海湾の間。一碧の瑠璃 髻鬟を擎ぐ。鹿子城中 家 幾万。窓として紫孱顔を納れざる無し。
※●櫻山:桜島 ●鹿子城:鹿児島の街
4-1-29 《薩摩詞八首 其五》 頼山陽
海門山外矯輕鷗。鷗背長天一色秋。憶得劉郞舊詩句。煙波深處是琉球。
《薩摩詞八首 其の五》
海門山外 軽鷗 矯(ア)ぐ。鷗背の長天 一色の秋。憶ひ得たり 劉郎の旧詩句。煙波 深き処 是れ琉球。
※●海門山:開聞岳。薩摩富士と呼ばれる ●矯:高くあがる ●劉郞:中唐の詩人・劉禹錫。山陽自注に「結禹錫全句」とあり。ただし、劉禹錫の詩にこの句は見当たらず、宋代の劉鎮という人に「絶頂試窮千里目。煙波深處是琉球」の句がある
4-1-30 《薩摩詞八首 其六》 頼山陽
一枕仙遊萬斛珠。賺他王子伴華胥。中山應有龍陽泣。唯愛扶桑五色魚。
《薩摩詞八首 其の六》
一枕の仙遊 万斛の珠。他の王子を賺して 華胥に伴ふ。中山 応に竜陽の泣く有るべし。唯だ愛す 扶桑 五色の魚。
※●一枕仙遊萬斛珠:琉球からの客が薩摩の遊女との一夜に大金を費やすことを言う ●中山:琉球のこと。かつて北山・中山・南山に別れていた琉球を中山が統一した ●龍陽:男色の相手 ●扶桑五色魚:薩摩の遊女をいう
4-1-31 《薩摩詞八首 其七》 頼山陽
南客醒顏北客紅。幾杯琉酒太醇醲。更驚下物尤難獲。十月盤飧見籜龍。
《薩摩詞八首 其の七》
南客は醒顔 北客は紅。幾杯の琉酒 太だ醇醲。更に驚く 下物の尤も獲難きに。十月の盤飧 籜竜を見る。
※●琉酒:琉球の泡盛 ●下物:酒の肴 ●籜龍:タケノコ
4-1-32 《薩摩詞八首 其八》 頼山陽
螺靑闊畫兩脩蛾。六拍齊謳白水歌。誰謂銀簪學時樣。兒家要壓鬢鬖髿。
《薩摩詞八首 其の八》
螺青もて闊く画く 両脩蛾。六拍 斉しく謳ふ 白水歌。誰か謂ふ 銀簪 時様を学ぶと。児家 圧せんことを要す 鬢鬖髿。
※●螺靑:色の名前。黒に近い青。 陸遊《快晴》「瓦屋螺靑披霧出。錦江鴨綠抱山來」 ●兩脩蛾:両方の長い眉 ●白水歌:出水(いづみ)地方の民謡。読みが「泉」と同じであることから、「泉」を分解して「白水」としたもの。山陽自注に「薩有泉謡六調子者。三四用謡詞」とあり。転結は出水歌の「銀のかんざし伊達には挿さぬ 剪れし前髪のとめに挿す」という歌詞を訳したもの ●鬖髿:髪の乱れるさま
4-1-33 《前兵兒謠》 頼山陽
衣至骭。袖至腕。腰閒秋水鐵可斷。人觸斬人馬觸斬馬。十八結交健兒社。北客能來何以酬。彈丸硝藥是膳羞。客猶不屬饜。好以寶刀加渠頭。
《前兵児の謡》
衣は骭に至り。袖は腕に至る。腰間の秋水 鉄も断つべし。人 触るれば人を斬り 馬 触るれば馬を斬る。十八 交はりを結ぶ 健児の社。北客 能く来たらば 何を以てか酬いん。弾丸 硝薬 是れ膳羞。客 猶ほ属饜せずんば。好するに 宝刀を以て渠が頭に加へん。
※●兵兒:へこ。薩摩藩において、武士の子弟の青少年を指す方言 ●健兒社:兵児は地域ごとに数百人単位で「兵児組」と呼ばれる防衛組織に編成され、組内の年長者から教育訓練を受けた ●北客云々:兵児組でうたわれていた歌の歌詞を訳したもの。「肥後の加藤が来るならば、煙硝肴に鉛団子。それでお客に足らぬなら、首に刀の引き出物」 ●膳羞:牲肉とうまい食物。転じてもてなしのお膳 ●好:山陽自注に「好好貨也」とあり。「好貨」は宴会の引き出物
4-1-34 《後兵兒謠》 頼山陽
蕉衫如雪不愛塵。長袖緩帶學都人。怪來健兒語言好。一操南音官長嗔。蜂黃落。蝶粉褪。倡優巧。鐵劍鈍。以馬換妾髀生肉。眉斧解剖壯士腹。
《後兵児の謡》
蕉衫 雪の如く 塵を愛せず。長袖 緩帯 都人を学ぶ。怪来す 健児の語言の好きを。一たび南音を操れば 官長 嗔る。蜂黄 落ち。蝶粉 褪す。倡優 巧みにして。鉄剣 鈍る。馬を以て妾に換へ 髀には肉を生ず。眉斧 解剖す 壮士の腹。
※●蕉衫:琉球産の芭蕉で織ったかたびら ●南音:薩摩の方言 ●蜂黃落・蝶粉褪:女色に溺れて男らしさが衰えることのたとえ ●眉斧:男子の心を折る美貌
4-1-35 《雜詩二首 其一》 頼山陽
國故多高木。天秋未隕霜。嶽煙連市黑。海氣抱城黃。豬肉盤肴脆。蛇皮絃索張。取醺蠻酒勁。不識是他鄕。
《雑詩二首 其の一》
国 故くして 高木 多し。天 秋にして 未だ霜を隕さず。岳煙 市に連なりて黒く。海気 城を抱きて黄なり。猪肉 盤肴 脆らかに。蛇皮 絃索 張る。醺を取れば 蛮酒 勁し。識らず 是れ 他郷なるを。
※●嶽煙:桜島の噴煙 ●蛇皮:蛇皮線
4-1-36 《雜詩二首 其二》 頼山陽
地壓蜻蜓尾。城憑鮫鰐頭。浮雲橫呂宋。亞浪撼流虬。寒草常春萼。賈船或越舟。羈孤猶有喜。十月未披裘。
《雑詩二首 其の二》
地は圧す 蜻蜓の尾。城は憑る 鮫鰐の頭。浮雲 呂宋に横たはり。亜浪 流虬を撼かす。寒草 常に春萼。賈船 或ひは越舟。羈孤 猶ほ喜び有り。十月 未だ裘を披(キ)ず。
※●蜻蜓:蜻蜓洲。日本 ●呂宋:ルソン。フィリピン最大の島。また当時のスペイン領フィリピンを「呂宋国」と呼んだ ●流虬:琉球に同じ
4-1-37 《途中寄懷茶山翁》 頼山陽
征帆已歷飛燐國。旅食還同流鬼蠻。解道七言風土記。憑誰呼致老茶山。
《途中 懐ひを茶山翁に寄す》
征帆 已に歴たり 飛燐の国。旅食 還た同じくす 流鬼の蛮。解道す七言の風土記。誰に憑りてか呼び致さん 老茶山。
※●茶山翁:菅茶山 ●飛燐國:肥の国(肥前・肥後) ●流鬼蠻:琉球人 ●解道:理解する
4-1-38 《鮫島伊地知二子邀飮余港上酒樓伊曾識余於江戶者》 頼山陽
櫻洲山色水煙涵。日落津樓酒半酣。廿歲江門舊醉侶。相逢一笑薩城南。
《鮫島・伊地知二子 余を港上の酒楼に邀飲す。伊は曽て余を江戸に於いて識りし者なり》
桜洲の山色 水煙 涵す。日 落ちて 津楼 酒 半ば酣なり。廿歳 江門の旧酔侶。相ひ逢ひて一笑す 薩城の南。
※●鮫島・伊地知:鮫島黄裳と伊地知季幹。伊地知は昇平坂学問所時代の山陽の旧友 ●櫻洲:桜島 ●江門:江戸
4-1-39 《題小杜停車圖》 頼山陽
林楓映發鬢邊絲。憶起紅潮暈玉肌。綠葉曾題惆悵句。秋霜又有勝花時。
《小杜 車を停むるの図に題す》
林楓 映発す 鬢辺の糸。憶ひ起こす 紅潮 玉肌を暈せしを。緑葉 曽て題す 惆悵の句。秋霜 又た花に勝るの時有り。
※●小杜停車圖:杜牧の《山行》詩の「停車坐愛楓林晩。霜葉紅於二月花」を描いた画 ●綠葉:杜牧《歎花》詩に「如今風擺花狼籍。 綠葉成陰子滿枝」とあり
4-1-40 《觀田百谷摹古畫引》 頼山陽
邈矣巨勢傳顧陸。佐家世守文獻足。狩氏近學明北宗。末流骪骳厭眾目。圓老慧眼爛電光。一掃陳腐出機軸。渲染直師造化工。畫苑終獲中原鹿。踵起對壘唯吳翁。數筆傳神更敏速。法門一開便空疎。爭擷殘膏與賸馥。豈無輕妙鏡浮花。不見沈著石沒鏃。媚今易得萬犬應。學古寧到千兔禿。入室操戈自有人。後勁今見田百谷。一齊不勝眾楚咻。曰舍家鷄貴野鶩。慨然擔簦再圖南。南薩人家多藏畜。苦向蠹餘求師資。詎能牛後甘奴僕。吾亦觀畫夙好同。搜尋奇蹟極幽隩。萍蹤相値麑洲城。旅館秋燈連榻宿。君技已過餘子肩。何難安坐饜粱肉。遠道胡爲而來哉。可知虛心盈其腹。心模手追吸精華。譬之買玉而還櫝。平生五斗愧折腰。不辭鞠躬借畫幅。志篤學勤終有成。拔戟成隊非君孰。留歌別君吾何心。寄聲好事倒筐簏。
《田百谷の摹せる古画を観るの引》
邈かなり 巨勢 顧陸を伝ふ。佐家 世〻守りて 文献 足る。狩氏 近ごろ学ぶ 明の北宗。末流 骪骳 衆目を厭はしむ。円老の慧眼 電光 爛たり。陳腐を一掃して 機軸を出だす。渲染 直ちに師とす 造化の工。画苑 終に獲たり 中原の鹿。踵起して対塁するは唯だ呉翁。数筆 神を伝へて更に敏速。法門 一たび開けて 空疎に便ず。争ひ擷る 残膏と賸馥と。豈に 軽妙 鏡の花を浮かぶる無からんや。見ず 沈著 石の鏃を没するを。今に媚ぶるは得易くして 万犬 応ず。古を学んで 寧んぞ到らん 千兎の禿するに。室に入って戈を操る 自づから人有り。後勁 今見る 田百谷。一斉 衆楚の咻しきに勝へず。曰く 家鶏を舎てて野鶩を貴ぶと。慨然として簦を担ひて再び南を図る。南薩の人家 蔵畜 多し。苦ろに蠹余に向かって師資を求む。詎んぞ能く牛後 奴僕に甘んぜんや。吾も亦た 画を観る夙好 同じ。奇蹟を捜尋して幽隩を極む。萍踪 相ひ値ふ 麑洲城。旅館の秋灯 榻を連ねて宿す。君が技 已に過ぐ 余子の肩。何ぞ安坐して粱肉に饜き難からんや。遠道 胡為れぞ而して来たるや。知るべし 虚心 其の腹を盈たすを。心に模し 手もて追ひて 精華を吸ふ。之を譬ふ 玉を買ひて櫝を還すに。平生 五斗 腰を折るを愧づるも。辞せず 鞠躬して画幅を借るを。志 篤く 学に勤むれば 終に成る有り。戟を抜き隊を成すは 君に非ずんば孰(タレ)ぞ。歌を留めて君に別る 吾 何の心ぞ。声を好事に寄せて筐簏を倒さしむ。
※●田百谷:小田百谷(1785-1862)。海遷、月痴道人と号す。南画家。周防国の生まれ。長州藩御用絵師を経て後に京都で活動。このときは九州遊学中で、各地で古書画の模写と研究に励んでいた ●巨勢:巨勢金岡。古代の伝説的画家 ●顧陸:晋代の画家、顧顗之と陸探微 ●佐家:土佐家 ●狩氏:狩野氏 ●圓老:円山応挙 ●渲染:画法の種類 ●吳翁:松村呉春。京都四条派の画家。小田百谷は一時期呉春に学んだ ●千兔:千本の筆。ウサギの毛で筆を作ったことから ●粱肉:ぜいたくな食事
4-1-41 《發薩留別百谷》 頼山陽
滿帆斜照映櫻洲。孤影亭亭尙岸頭。他日難忘秋盡日。與君分手薩摩州。
《薩を発し百谷に留別す》
満帆の斜照 桜洲に映ず。孤影 亭亭として 尚ほ岸頭にあり。他日 忘れ難からん 秋 尽くるの日。君と手を分かつ 薩摩州。
※●百谷:小田百谷(1785-1862)。南画家。このとき九州遊学中 ●櫻洲:桜島
4-1-42 《書事》 頼山陽
穀港麑城半日程。爲貪利涉買舟乘。打包負笈人多少。中有琉球行腳僧。
《事を書す》
穀港 麑城 半日の程。利渉を貪るが為めに舟を買ひて乗る。打包 負笈の人 多少。中に琉球の行脚僧有り。
※●穀港:米ノ津港。現・鹿児島県出水市 ●打包:行脚僧の袈裟を入れた風呂敷包み。転じて一般に荷造りすること、風呂敷で荷を包むこと ●負笈:書物箱を背負う。転じて遠方に遊学すること
4-1-43 《鎭西八郞歌》 頼山陽
兩日爭天天無光。吾射一日墮扶桑。誰掣吾肘不得發。黑風壓城劍折鋩。堂堂源家第八郞。射可凌羿猿臂長。桀狗吠堯豈得已。猶勝伯也學豺狼。琉球彈丸不足當吾大羽箭。聊且弋取救死亡。蠻酋納女留將種。羆熊入夢啼喤喤。膂力類父好身手。誅賊有國眞天王。賴生南遊薩山陽。偶與蠻客同夜航。爲語太廟祀始祖。春禘秋嘗簇冠裳。憶公一官唾不顧。絕海雲浪自龍驤。縱使公助乃姪起。何異十郞自郞當。鷄口牛後公所擇。一鏑破得南天荒。卻有姪孫開封疆。隔海魯衞竝永昌。一宗慶澤何洋溢。非緣源泉分天潢。唯恨封册由殊俗。使公有知瞋眼張。作歌屬客客已睡。女牛低地海茫茫。
《鎮西八郎の歌》
両日 天を争ひて 天に光無し。吾が一日を射て 扶桑を堕とさん。誰か吾が肘を掣して 発するを得ざらしむる。黒風 城を圧して 剣鋩を折る。堂々たる源家の第八郎。射は羿を凌ぐべく 猿臂 長し。桀狗 尭に吠ゆること 豈に已むを得んや。猶ほ勝る 伯也の豺狼を学ぶに。琉球は弾丸 吾が大羽箭に当たるに足らず。聊か且らく弋取して死亡を救はん。蛮酋 女を納めて 将種を留む。羆熊 夢に入りて 啼くこと喤喤たり。膂力 父に類す 好身手。賊を誅して国を有つ 真天王。頼生 南遊す 薩山の陽。偶〻蛮客と夜航を同にす。為めに語る 太廟 始祖を祀り。春禘 秋嘗 冠裳 簇ると。憶ふ 公は一官も唾して顧みず。絶海の雲浪 自ら竜驤す。縦ひ公をして乃姪の起つを助けしむるも。何ぞ事ならん 十郎 自づから郎当たるに。鶏口牛後は公の択ぶ所。一鏑 破り得たり 南天の荒。却って姪孫の封疆を開く有り。海を隔てて 魯衛 並びに永く昌ゆ。一宗の慶沢 何ぞ洋溢せる。源泉の天潢を分かつに縁るに非ずや。唯だ恨む 封冊の殊俗に由るを。公をして知る有らしめば 瞋眼 張らん。歌を作って客に属せんとするも 客 已に睡る。女牛 地に低れて 海 茫茫たり。
※●鎭西八郞:源為朝。保元の乱で崇徳上皇方について敗れ、八丈島に流された。伝説ではその後琉球に渡り、その王となったという。山陽自注に「起語言保元之役八郎献策於新院不用」とあり ●羿:神話に登場する弓の名手 ●伯也學豺狼:山陽自注に「伯也学豺狼、指源義朝殺父」とあり ●蠻酋納女留將種:山陽自注に「八郎在琉球娶婦生子曰舜天王」とあり ●乃姪:山陽自注に「乃姪指頼朝」とあり ●十郞:山陽自注に「十郎指行家」とあり ●姪孫:山陽自注に「姪孫指島津氏始封之祖」とあり。島津氏の出自には諸説あるが、『島津国史』などでは、島津氏の祖・島津忠久は源頼朝の落胤としている
4-1-44 《大隅道上》 頼山陽
兩山南北峙遙靑。各有兒孫遶膝橫。銳首豐頤酷相肖。海門是弟霧洲兄。
《大隅道上》
両山 南北 遥青 峙つ。各〻児孫の膝を遶りて横たはる有り。鋭首 豊頤 酷だ相ひ肖(ニ)たり。海門は是れ弟 霧洲は兄。
※●海門・霧洲:開聞岳と霧島山
4-1-45 《大隅道上》 頼山陽
鴻雁南飛吾北還。遊蹤如夢浹旬閒。依依獨有櫻洲影。露面雲端送出關。
《大隅道上》
鴻雁 南に飛んで 吾 北に還る。遊踪 夢の如し浹旬の間。依依として独り桜洲の影有り。面を雲端に露はして 関を出づるを送る。
※●浹旬:十日間をいう
4-1-46 《過龜嶺臨眺諸嶽蓋肥薩日隅分界處也》 頼山陽
一嶺蟠四國。瞰視萬山低。雄拔者五六。指點自不迷。櫻嶽在吾後。依依未分攜。阿蘇在吾面。迎笑如相徯。溫山與霧嶠。俯仰東又西。何圖九國秀。攢簇擁馬蹄。肥隅兩灣海。渟泓碧玻瓈。列仙森玉立。鑑貌整冠笄。譬之人軀幹。腰尻與腹臍。此嶺是脊膂。表裏道程齊。吾今上其頂。右挈又左提。靈祕無遯隱。何異照水犀。厚福享可愧。寧無詩句題。恨吾無傑語。空吐氣如霓。天風吹衣袂。我馬亦長嘶。欲笑一衡嶽。當時狂昌黎。
《亀嶺を過ぎて諸岳を臨眺す。蓋し 肥薩日隅 分界の処也》
一嶺 四国に蟠る。瞰視すれば 万山 低し。雄抜なる者五六。指点 自づから迷はず。桜岳 吾が後に在り。依依として未だ携を分かたず。阿蘇 吾が面に在り。迎笑 相ひ徯(マ)つが如し。温山と霧嶠と。俯仰す 東 又た西。何ぞ図らん 九国の秀の。攢まり簇って馬蹄を擁せんとは。肥隅 両湾の海。渟泓 碧玻瓈。列仙 森として玉立し。貌を鑑みて冠笄を整ふ。之を人の軀幹に譬ふれば。腰尻と腹臍なり。此の嶺は是れ脊膂。表裏 道程 斉し。吾 今 其の頂に上り。右に挈へ 又た左に提ぐ。霊秘 遯隠 無し。何ぞ照水の犀に異ならん。厚福 享けて愧づべし。寧んぞ詩句の題する無からんや。恨むらくは 吾 傑語 無く。空しく気の霓の如きを吐くを。天風 衣袂を吹き。我が馬も亦た長嘶す。笑はんと欲す 一衡岳。当時 昌黎を狂はすを。
※●龜嶺:亀嶺峠。鹿児島県伊佐市と熊本県水俣市の県境に位置する ●肥薩日隅:肥後・薩摩・日向・大隅 ●櫻嶽:桜島 ●溫山:雲仙岳 ●霧嶠:霧島山 ●照水犀:晋の温嶠、牛渚磯で犀角を燃やして水底を窺うと、水中の生き物すべて照らし出されたという ●衡嶽:五嶽のひとつ。湖南省にあり ●昌黎:韓愈
4-1-47 《再入肥後》 頼山陽
改轅思北上。留槖又東肥。山沸硫黃氣。水生苔紫衣。旣冬蛇未蟄。多稼鶴羣飛。旅館多灰酒。誰能不憶歸。
《再び肥後に入る》
轅を改めて北上を思ひ。槖を留む 又た東肥。山には沸く 硫黄の気。水には生ず 苔紫の衣。既に冬なるも 蛇 未だ蟄せず。稼 多くして 鶴 群れ飛ぶ。旅館 灰酒 多し。誰か能く 帰るを憶はざらん。
※●東肥:肥後 ●灰酒:灰持酒(あくもちざけ)。醸造後のもろみに灰を加えて作る酒。酒の酸性を灰のアルカリで中和することで腐敗の原因になる好酸性細菌の繁殖を抑えて日持ちさせる。灰は絞りの段階で酒粕と一緒に除去される。火入れ(加熱殺菌)によって日持ちさせる一般の清酒と異なる独特の風味・甘みを持つ。鹿児島では「地酒」と呼ばれる灰持酒の醸造が現在まで続いている
4-1-48 《重謁加藤肥州廟引》 頼山陽
腥風吹裂蜻蜓羽。誰能五指爲綴補。金烏跳入老婆腹。聯翻雄傑皆肺腑。中有阿虎猛於虎。食牛氣讋萬䝟貐。軍中喧傳鐵槍名。何知將材任旗鼓。鷄林軍鋒如風雨。可恨同事是賈豎。段凝結黨排彥章。畫地自訴幸霽怒。後來蔚山更勤苦。城壘未成敵蟻聚。捍禦幾旬軍無糧。食馬馬盡乃嚙土。大雪壓城城欲俯。凍鎧黏膚皸且剖。將軍一呼勞諸軍。士如挾纊起彍弩。蘇武歸國哭孝武。六尺遺孤誰相輔。唯覩白鬚存頰頤。誰知赤心滿腹肚。猶幸泉路見舊主。不論堂構愧乃父。猛似夜叉怖兒童。慈如菩薩感俘虜。祠廟翼翼倚郊塢。吾曾兩度拜廊廡。祠樹缺處見熊城。想見君親督百堵。
《重ねて加藤肥州の廟に謁するの引》
腥風吹き裂く 蜻蜓の羽。誰か能く五指もて綴補を為す。金烏 跳り入る 老婆の腹。聯翻たる雄傑 皆な肺腑。中に阿虎の虎よりも猛き有り。牛を食らう気は讋す 万䝟貐。軍中 喧伝す 鉄槍の名。何ぞ知らん 将材 旗鼓に任ふるを。鶏林の軍鋒 風雨の如し。恨むべし 同事 是れ賈豎なるを。段凝 党を結びて 彦章を排す。地に画きて自ら訴へ 幸ひに怒りを霽らす。後来 蔚山 更に勤苦す。城塁 未だ成らざるに 敵 蟻聚す。捍禦 幾旬 軍に糧無し。馬を食らひて馬尽き 乃ち土を嚙む。大雪 城を圧し 城 俯さんと欲す。凍鎧 膚に粘して 皸し且つ剖く。将軍 一呼して 諸軍を労へば。士は纊を挟むが如く 起って弩を彍(ハ)る。蘇武 帰国して 孝武を哭す。六尺の遺孤 誰か相輔せん。唯だ覩る 白鬚の頰頤に存するを。誰か知らん 赤心の腹肚に満つるを。猶ほ幸ひに泉路に旧主に見え。論ぜず 堂構 乃父に愧づるを。猛きこと夜叉に似て児童を怖れしめ。慈なること菩薩の如く 俘虜を感ぜしむ。祠廟 翼翼として 郊塢に倚る。吾 曽て両度 廊廡を拝す。祠樹 欠くる処 熊城を見。想ひ見る 君 親ら 百堵を督せしを。
※●加藤肥州廟:加藤清正を祀る加藤神社 ●金烏:太陽。秀吉の母は太陽が胎内に入ってくる夢を見て秀吉を身ごもったという ●讋:おそれさせる ●鐵槍:後梁の武将・王彦章は槍の名手で「王鉄槍」と呼ばれた。清正も槍をよくしたことから王彦章になぞらえている ●段凝:後梁・後唐に仕えた武将。有力者に賄賂を贈るなどして味方を増やし王彦章を排斥してその地位を奪った。清正と対立した小西行長をたとえている
4-1-49 《發熊基》 頼山陽
大道平平砥不如。熊城東去總靑蕪。老杉夾路無他樹。缺處時時見阿蘇。
《熊基を発す》
大道 平平として 砥も如かず。熊城 東に去れば 総て青蕪。老杉 路を夾みて 他の樹 無し。欠くる処 時時 阿蘇を見る。
※●熊基:熊本
4-1-50 《入豐後》 頼山陽
行盡東肥長短亭。故鄕猶隔萬山靑。馬關鶴港由何路。獨剔寒燈看地經。
《豊後に入る》
行き尽くす 東肥の長短亭。故郷 猶ほ隔つ 万山の青。馬関 鶴港 何れの路にか由らん。独り寒灯を剔って地経を看る。
※●東肥:肥後 ●長短亭:短亭は五里ごと、長亭は十里ごとの旅籠 ●馬關:下関(赤間ヶ関) ●鶴港:豊後の鶴崎(現・大分県大分市)。当時、熊本藩の飛び地で瀬戸内海への玄関口。 ●地經:地理書
4-1-51 《過二重嶺》 頼山陽
靑山歷歷多識面。匝歲二肥遊已倦。欲別如今卻關情。植筇嶺頭意戀戀。葦北海開鏡半函。憶曾南遊兩挂帆。
《二重嶺を過ぐ》
青山 歴歴として 多く面を識る。匝歳 二肥の遊 已に倦む。別れんと欲して 如今 却って情に関す。筇を嶺頭に植(タ)てて 意 恋恋たり。葦北の海は開く 鏡 半函。憶ふ曽て 南遊 両たび帆を挂けしを。
※●二重嶺:二重峠(ふたえのとうげ)。現・熊本県阿蘇市にあり。江戸時代は豊後街道の一部をなしていた ●識面:顔を見知る。面識がある ●匝歲:周年に同じ ●葦北海:肥後国葦北郡の海。八代海
4-1-52 《過坂梨嶺望阿蘇山》 頼山陽
路繞阿蘇腰。不見阿蘇首。今朝雨霽雲又開。日照三峰覩皴皺。一峰尊嚴是丈人。一峰肩隨在其右。別有一峰似鋸牙。竦立其左爭雄秀。粲然要我爲快覯。唯恨一笑輒背走。岐路高低頻回看。鬟髻出沒猶在後。
《坂梨嶺を過ぎ 阿蘇山を望む》
路は阿蘇の腰を繞るも。阿蘇の首を見ず。今朝 雨 霽れて 雲 又た開き。日は三峰を照らして 皴皺を覩る。一峰 尊厳なるは 是れ丈人。一峰 肩随して 其の右に在り。別に一峰の鋸牙に似たる有りて。其の左に竦立して 雄秀を争ふ。粲然として我を要(ムカ)へて快覯を為す。唯だ恨む 一笑して 輒ち背走するを。岐路 高低 頻りに回看すれば。鬟髻 出没して 猶ほ後ろに在り。
※●坂梨嶺:坂梨峠。坂梨(現・阿蘇市一の宮町)にある滝室坂をいう。豊後街道最大の難所とされた ●三嶺:高岳・中岳・根子岳。いずれも阿蘇五岳 ●丈人:徳のある長老。高岳をたとえる ●肩隨:肩を並べつつ少し後から行くこと。年長者に対する礼。中岳をたとえる ●鋸牙:のこぎりの歯。根子岳の山頂部はギザギザのノコギリ状をしている
4-1-53 《九重嶺》 頼山陽
山脈東北來。隱然如巨防。豐肥其左右。連山劃封疆。蘇嶽尤隆起。散漫餘勢長。地高無草木。彌望唯黃茅。居民食蜀黍。行客避封狼。名曰九重嶺。風力四時狂。吾來秋冬際。北風轎欲颺。譬如上龍脊。冷然凌大荒。久客連山右。如在天一方。今日踰而左。中原覺可望。下瞰濛濛際。如見一髮蒼。風狂還可喜。猶來自故鄕。
《九重嶺》
山脈 東北より来たり。隠然として巨防の如し。豊肥は其の左右。連山 封疆を劃す。蘇岳 尤も隆起し。散漫して 余勢 長し。地 高く 草木 無く。弥望 唯だ黄茅。居民 蜀黍を食らひ。行客 封狼を避く。名づけて曰く 九重嶺。風力 四時 狂ふ。吾は来たり 秋冬の際。北風 轎 揚がらんと欲す。譬えば竜脊に上り。冷然として大荒を凌ぐが如し。久しく連山の右に客たりて。天の一方に在るが如し。今日 踰えて左し。中原 望む可きを覚ゆ。下瞰すれば 濛濛の際。一髪の蒼を見るが如し。風 狂ふも還た喜ぶべし。猶ほ故郷より来たる。
※●九重嶺:九重山(久住山、九重連山)。大分県玖珠郡九重町と竹田市久住町の境界に位置する山々の総称 ●蜀黍:とうもろこし
4-1-54 《岡城訪田能村君彝余邂逅君彝於鞆津已五年矣》 頼山陽
芒鞋半破鬢飄蕭。迂路尋君不厭遙。海港方舟成昨夢。林窗剪燭又今宵。園多閑地無租圃。屋倚荒山有祿樵。霜果雨蔬留我醉。行藏總付濁醪澆。
《岡城に田能村君彝を訪ふ。余 君彝と鞆津に於いて邂逅して已に五年なり》
芒鞋 半ば破れて 鬢 飄蕭たり。迂路 君を尋ねて 遥かなるを厭はず。海港 舟を方べしは 昨夢と成り。林窓 燭を剪る 又た今宵。園は閑地 多し 無租の圃。屋は荒山に倚る 有禄の樵。霜果 雨蔬 我を留めて酔はしむ。行蔵 総て付す 濁醪の澆ぐに。
※●岡城:豊後国直入郡竹田(現・大分県竹田市大字竹田)にあった山城。別名豊後竹田城。岡藩(豊後竹田藩)の藩庁 ●田能村君彝:田能村竹田。岡藩士であり文人画家
4-1-55 《途上望諸山三首 其一》 頼山陽
坡陀穿篠簜。滿耳颼飅響。空際料無風。阿蘇煙直上。
《途上 諸山を望む三首 其の一》
坡陀として篠簜を穿ち。満耳 颼飅 響く。空際 料るに風無からん。阿蘇 煙 直上す。
※●篠簜:しの竹と大竹 ●颼飅:風の音の形容
4-1-56 《途上望諸山三首 其二》 頼山陽
湯嵩何屴崱。幾日行其側。憶昨在周州。望之如黛色。
《途上 諸山を望む三首 其の二》
湯嵩 何ぞ屴崱たる。幾日か 其の側を行く。憶ふ昨 周州に在りて。之を望めば黛色の如くなりしを。
※●湯嵩:由布岳(大分県由布市)か ●周州:周防国
4-1-57 《途上望諸山三首 其二》 頼山陽
彥山眞秀彥。馬耳迎人面。唯爲路高低。雙尖隱還見。
《途上 諸山を望む三首 其の二》
彦山は真に秀彦。馬耳 人面を迎ふ。唯だ路の高低の為めに。双尖 隠れ還た見はる。
※●彥山:英彦山(ひこさん)。福岡県田川郡添田町と大分県中津市山国町にまたがる ●馬耳:馬の耳のように峰が並び立つさまのたとえ
4-1-58 《隈邑人多索余墨戲者》 頼山陽
布韤靑鞋道路難。纔能弛擔便心閑。曉窗洗得筐中硯。又寫昨來經處山。
《隈邑の人多く余に墨戯を索む》
布韤 青鞋 道路 難し。纔かに能く担を弛むれば便ち心 閑なり。暁窓 洗い得たり 筐中の硯。又た写す 昨来 経し処の山。
※●隈邑:豊後国日田郡にあった商人町。現・大分県日田市。豆田町とともに「日田両町」と呼ばれた
4-1-59 《訪廣瀨廉卿》 頼山陽
咿唔聲處認柴關。村塾新開松竹閒。斗折蛇行臨筑水。竹批馬耳見豐山。羨君白首此閒住。愧我靑鞋何日閑。且喜一樽共醒醉。細論詩律手頻刪。
《広瀬廉卿を訪ふ》
咿唔の声する処 柴関を認む。村塾 新たに開く 松竹の間。斗折 蛇行 筑水に臨み。竹批の馬耳 豊山を見る。羨む 君が白首 此間に住するを。愧づ 我が青鞋 何れの日にか閑なる。且つ喜ぶ 一樽 醒酔を共にし。細かに詩律を論じて 手 頻りに刪するを。
※●廣瀨廉卿:廣瀬淡窓 ●斗折蛇行:柳宗元《小石潭記》に「斗折蛇行、明滅可見」とあり ●筑水:筑後川 ●竹批馬耳:杜甫《驄馬行》に「竹批両耳峻。風入回蹄軽」とあり。竹を削ったように尖った馬の耳をいう。ここは峰が尖って聳えるさまをたとえる
4-1-60 《下筑後河過菊池正觀公戰處感而有作》 頼山陽
文政之元十一月。吾下筑水僦舟筏。水流如箭萬雷吼。過之使人竪毛髮。居民何記正平際。行客長思己亥歲。當時國賊擅鴟張。七道望風助豺狼。勤王諸將前後沒。西陲僅存臣武光。遺詔哀痛猶在耳。擁護龍種同生死。大擧來犯彼何人。誓剪滅之報天子。河亂軍聲代銜枚。刀戟相摩八千師。馬傷冑破氣益奮。斬敵取冑奪馬騎。被箭如蝟目眥裂。六萬賊軍終挫折。歸來河水笑洗刀。血迸奔湍噴紅雪。四世全節誰儔侶。九國逡巡征西府。棣萼未肯向北風。殉國劍傳自乃父。嘗卻明使壯本朝。豈與恭獻同日語。丈夫要貴知順逆。少貳大友何狗鼠。河流滔滔去不還。遙望肥嶺嚮南雲。千載姦黨骨亦朽。獨有苦節傳芳芬。聊弔鬼雄歌長句。獨覺河聲激餘怒。
《筑後河を下りて菊池正観公の戦処を過ぎ 感じて作 有り》
文政の元 十一月。吾 筑水を下りて 舟筏を僦ふ。水流 箭の如く 万雷 吼ゆ。之を過ぐれば 人をして毛髪を豎たしむ。居民 何ぞ記せん 正平の際。行客 長く思ふ 己亥の歳。当時 国賊 鴟張を擅ままにし。七道 風を望んで 豺狼を助く。勤王の諸将 前後して没し。西陲 僅かに存す 臣 武光。遺詔 哀痛にして 猶ほ耳に在り。竜種を擁護して生死を同にす。大挙 来たり犯す 彼 何人ぞ。誓って之を剪滅して天子に報ぜん。河 軍声を乱して 銜枚に代へ。刀戟 相ひ摩す 八千の師。馬 傷つき 冑 破れて 気 益〻 奮ふ。敵を斬り 冑を取り 馬を奪ひて騎る。箭を被ること蝟の如く 目眥 裂け。六万の賊軍 終に挫折す。帰来 河水に笑って刀を洗へば。血 奔湍に迸り 紅雪を噴く。四世 節を全うすること誰か儔侶たらん。九国 逡巡す 征西府。棣萼 未だ肯へて北風に向かはず。殉国の剣は乃父より伝ふ。嘗て明使を却(シリゾ)けて本朝を壮んにす。豈に恭献と同日に語らんや。丈夫 順逆を知るを貴ぶを要す。少弐 大友 何の狗鼠ぞ。河流 滔滔として 去って還らず。遥かに望む 肥嶺の南雲に嚮ふを。千載 姦党は骨も亦た朽ち。独り苦節の芳芬を伝ふる有り。聊か鬼雄を弔して長句を歌へば。猶ほ覚ゆ 河声の余怒を激するを。
※●菊池正觀公:菊池武光。山陽自注に「菊池武光世領肥後。父武時死元弘之王事、兄武重嗣、及於武光、以伝子武政、奉征西将軍懐良親王、数与足利氏党大友少弐二氏戦。正平十四年己亥歳、大戦筑後河側、克之。」とあり ●鴟張:悪者が勢い強くわがままであること ●卻明使:正平23年、明の太祖より「日本国王」に対して倭寇の鎮圧を命じる国書が大宰府を支配する懐良親王のもとにもたらされた。国書の内容が高圧的であったため、懐良親王は使節団17名のうち5名の首をはねた ●恭獻:足利義満。明から日本国王として冊封を受け、没後「恭献王」の諡号を与えられた
4-1-61 《別館萬里》 頼山陽
連牀不睡對殘檠。惜別溪村一夜情。何歲重來尋舊約。與君同聽此灘聲。
《館万里に別る》
連床 睡らず 残檠に対す。別れを惜しむ渓村 一夜の情。何れの歳にか重ねて来り 旧約を尋ね。君と同に聴かん 此の灘声。
※●館萬里:館林万里
4-1-62 《此遊得明盛茂燁山水及端溪古硏》 頼山陽
爲畫狂癡爲硏顚。探奇西海已周年。歸囊有物誇妻子。一片雲腴半幅煙。
《此の遊 明の盛茂燁の山水 及び 端渓の古研を得たり》
画の為めには狂痴 研の為めには顚。奇を西海に探りて 已に周年。帰囊 物の妻子に誇る有り。一片の雲腴 半幅の煙。
※●盛茂燁:明代の画家 ●端溪:硯の名産地 ●雲腴:通常は茶の異名。ここでは雲のような模様のある上等の硯をいう ●煙:盛茂燁の山水画を指す。杜甫《飲中八仙歌》に「揮毫落紙如雲煙」とあり
4-1-63 《入豐前過耶馬溪遂訪雲華師共再遊焉遇雨有記又得八絕句 其一》 頼山陽
峰容面面趁看殊。耶馬溪山天下無。安得彩毫如董巨。生縑一丈作橫圖。
《豊前に入り耶馬渓を過ぐ。遂に雲華師を訪ね 共に再遊す。雨に遇ひて記有り。又た八絶句を得たり 其の一》
峰容 面面 看を趁ひて殊なり。耶馬の渓山 天下に無し。安んぞ 彩毫の董巨の如きを得て。生縑一丈に横図を作さん。
※●耶馬溪:大分県中津市にある山国川の上・中流域及びその支流域を中心とした渓谷。日本三大奇勝のひとつ。耶馬渓の名は山陽の命名による ●雲華師:雲華院大含。浄土真宗大谷派の僧侶。豊前国永添村の正行寺住職。東本願寺講師もつとめた。山陽の友人 ●董巨:董源と巨然。北宋の山水画家 ●生縑:絹のキャンバス
4-1-64 《入豐前過耶馬溪遂訪雲華師共再遊焉遇雨有記又得八絕句 其二》 頼山陽
純石爲峰勢欲飛。峰頭更戴幾厜㕒。西州索畫無多穫。獲此天然黃大癡。
《豊前に入り耶馬渓を過ぐ。遂に雲華師を訪ね 共に再遊す。雨に遇ひて記有り。又た八絶句を得たり 其の二》
純石 峰を為して 勢ひ飛ばんと欲す。峰頭 更に戴く 幾厜㕒。西州 画を索めて多穫 無きも。此の天然の黄大痴を獲たり。
※●厜㕒:山頂のけわしいところ ●西州:西国九州 ●黃大癡:黄公望。大痴道人と称した。元末明初の画家
4-1-65 《入豐前過耶馬溪遂訪雲華師共再遊焉遇雨有記又得八絕句 其三》 頼山陽
羣仙顧盼各多姿。石作肌膚樹作衣。平昔評山如品色。唯憐淸瘦不憐肥。
《豊前に入り耶馬渓を過ぐ。遂に雲華師を訪ね 共に再遊す。雨に遇ひて記有り。又た八絶句を得たり 其の三》
群仙 顧盼して 各〻多姿。石 肌膚と作し 樹 衣と作す。平昔 山を評するは 色を品するが如し。唯だ 清痩を憐れみて 肥を憐れまず。
※●顧盼:振り返り、流し目する
4-1-66 《入豐前過耶馬溪遂訪雲華師共再遊焉遇雨有記又得八絕句 其四》 頼山陽
簇出奇巖勢接連。插天碧筍茁春煙。一峰別起形相類。山脈知如竹逬鞭。
《豊前に入り耶馬渓を過ぐ。遂に雲華師を訪ね 共に再遊す。雨に遇ひて記有り。又た八絶句を得たり 其の四》
簇出せる奇巌 勢ひ接連。天に挿む碧筍 春煙に茁たり。一峰 別に起こりて 形相 類す。山脈 竹の鞭を逬らすが如きを知る。
※●茁:芽生えるさま、成長するさま。にょきにょき ●竹逬鞭:竹が地下に根を張り巡らす
4-1-67 《入豐前過耶馬溪遂訪雲華師共再遊焉遇雨有記又得八絕句 其五》 頼山陽
一瞥孱顏未飽情。今遊眉目始分明。賞心不負平生屐。耶馬溪頭兩度行。
《豊前に入り耶馬渓を過ぐ。遂に雲華師を訪ね 共に再遊す。雨に遇ひて記有り。又た八絶句を得たり 其の五》
孱顔を一瞥して 未だ情に飽かず。今遊 眉目 始めて分明。賞心 負かず 平生の屐。耶馬渓頭 両度 行く。
※●孱顔:巉巌に同じ。けわしく聳える岩山
4-1-68 《入豐前過耶馬溪遂訪雲華師共再遊焉遇雨有記又得八絕句 其六》 頼山陽
山屐何辭泥路新。天將變套待遊人。羣峰得雨如龍鬭。隱躍雲閒見爪鱗。
《豊前に入り耶馬渓を過ぐ。遂に雲華師を訪ね 共に再遊す。雨に遇ひて記有り。又た八絶句を得たり 其の六》
山屐 何ぞ辞せん 泥路の新たなるを。天 変套を将って 遊人を待つ。群峰 雨を得て 竜の闘ふが如し。雲間に隠躍して 爪鱗を見す。
※●變套:旧套を変じる。従来と趣を変える ●爪鱗:雲間にわずかに見える山の姿をたとえる
4-1-69 《入豐前過耶馬溪遂訪雲華師共再遊焉遇雨有記又得八絕句 其七》 頼山陽
寫山不厭雨傾盆。植杖探囊筆屢援。卻倩同行扶掣紙。笠檐餘滴暈生痕。
《豊前に入り耶馬渓を過ぐ。遂に雲華師を訪ね 共に再遊す。雨に遇ひて記有り。又た八絶句を得たり 其の七》
山を写して 雨の盆を傾くるを厭はず。杖を植て 囊を探りて 筆 屡〻 援(ヒ)く。却って同行を倩(ヤト)ひて 扶けて紙を掣(オサ)へしめば。笠檐の余滴 暈して痕を生ず。
※●倩同行:同行の人に頼んで
4-1-70 《入豐前過耶馬溪遂訪雲華師共再遊焉遇雨有記又得八絕句 其八》 頼山陽
萬巖影碎碧潺湲。慣看行人渾等閑。從古喧傳羅漢寺。何知剩水與殘山。
《豊前に入り耶馬渓を過ぐ。遂に雲華師を訪ね 共に再遊す。雨に遇ひて記有り。又た八絶句を得たり 其の八》
万巌の影は砕く 碧潺湲。看るに慣れて 行人 渾て等閑。古より喧伝す 羅漢寺。何ぞ知らん 剰水と残山となるを。
※●羅漢寺:耶馬渓にある曹洞宗寺院。羅漢山の中腹に位置し、岩壁の洞窟に埋め込まれるように伽藍が建てられ、日本最古の五百羅漢を有する
4-1-71 《發古城》 頼山陽
踰海周年遊已闌。身如飛鳥倦知還。寒潮落日豐州路。始看周防數點山。
《古城を発す》
海を踰えて周年 遊 已に闌なり。身は飛鳥の倦んで還るを知るが如し。寒潮 落日 豊州の路。始めて看る 周防 数点の山。
※●古城:豊前国下毛郡永添村古屋敷。ともに耶馬渓をめぐった雲華師の正行寺がある地 ●飛鳥倦知還:陶淵明《帰去来辞》に「鳥倦飛而知還」とあり
4-1-72 《有懷世張世張從余至埼聞母病辭去》 頼山陽
瓊津分手未涼秋。孤旅無端已襲裘。薩館風燈豐路雪。每逢詩境輒回頭。
《世張を懐ふ有り。世張 余に従ひて埼に至り 母の病を聞きて辞去す》
瓊津 手を分かちしは 未だ涼秋ならず。孤旅 端無くも 已に裘を襲ぬ。薩館の風灯 豊路の雪。詩境に逢ふ毎に 輒ち頭を回らす。
※●世張:後藤松陰。山陽の門人。山陽の西遊の伴をしていたが、長崎で母の病の報を得て故郷へ帰った ●瓊津:長崎の美称
4-1-73 《至內裏驛》 頼山陽
踏盡肥豐萬疊山。路窮左右海波彎。眼明先作歸鄕想。粉壁煙檣是赤關。
《内裏駅に至る》
踏み尽くす 肥豊 万畳の山。路窮まりて 左右 海波 彎す。眼 明らかにして 先づ作す 帰郷の想ひ。粉壁 煙檣 是れ赤関。
※●內裏驛:大里(だいり)の宿場。現在の北九州市門司区南西部。都落ちした平家がここに安徳天皇の御所を置いたことから「内裏」の地名がついたが、江戸時代の享保年間に表記が「大里」に改められた。関門海峡九州側の主要上陸地点 ●赤関:赤間ヶ関。下関のこと
4-1-74 《題廣江氏梅月樓》 頼山陽
重寓如歸忘客情。全家迎笑面非生。三杯暮醉如條例。一被朝眠亦過程。食豈無魚荷汝意。天猶有雨滯吾行。具舟門外寧多日。連夜何妨執短檠。
《広江氏の梅月楼に題す》
重ねて寓するは帰るが如く 客情を忘る。全家 迎笑 面 生に非ず。三杯の暮酔 条例の如く。一被の朝眠 亦た過程。食 豈に魚無からんや 汝が意を荷す。天 猶ほ雨有り 吾が行を滞む。舟を門外に具ふること 寧ぞ多日ならんや。連夜 何ぞ妨げん 短檠を執るを。
※●廣江氏:父は殿峰(名は為盛、字は文竜)、子は秋水(名は鐘、字は大声)。下関の人で、頼山陽の門人。今回の山陽の西遊の旅では、往路でも広江氏宅に寓居した ●面非生:初対面ではない
4-1-75 《得家書》 頼山陽
獨展家書剔燈檠。縷縷如聞絮語聲。要識各天相憶處。半秋細報月陰晴。
《家書を得たり》
独り家書を展べて 灯檠を剔る。縷縷として聞くが如し 絮語の声。識らんことを要す 各天 相ひ憶ふ処。半秋 細やかに報ず 月の陰晴。
※●家書:京都の妻・梨影からの手紙 ●絮語:婦人の柔媚な語り口
4-1-76 《赤閒關守歲詞》 頼山陽
南船北船盡歌呼。繋纜買魚餞歲徂。客樓雪霰壓燈火。吾亦撥爐傾白墮。半生飄泊趁風檣。一醉何處非家鄕。自有縞綦關心緖。守歲舊寓輟機杼。靈犀一點海山遙。酒醒燈凍聞雁語。
《赤間関にて歳を守るの詞》
南船 北船 尽く歌呼す。纜を繋ぎ 魚を買ひて 歳の徂くを餞る。客楼の雪霰 灯火を圧し。吾も亦た 炉を撥して 白堕を傾く。半生の飄泊 風檣を趁ふ。一酔 何れの処か 家郷に非ざらん。自づから縞綦の心緒に関する有り。歳を守って 旧寓 機杼を輟めん。霊犀 一点 海山 遥かなり。酒 醒め 灯 凍りて 雁語を聞く。
※●赤閒關:下関 ●撥爐:炉の火をかきおこす ●白墮:晋の劉白堕は酒造りの名人であったことから、上等の酒をいう ●縞綦:自分の妻のこと。縞は白色、綦はよもぎ色の粗末な女服 ●靈犀一點:人の心がお互いに通じることをいう
4-1-77 《赤閒迎歲二首 其一》 頼山陽
潮搖嫩日海生煙。臥聽街聲動曉天。誰識半世行路老。赤閒關下又迎年。
《赤間にて歳を迎ふ二首 其の一》
潮は嫩日を揺らして 海 煙を生ず。臥して聴く 街声の暁天に動くを。誰か識らん 半世 行路に老い。赤間関下 又た年を迎へんとは。
※赤閒:赤間ヶ関(下関)
4-1-78 《赤閒迎歲二首 其二》 頼山陽
一劍飄飄四十年。頭顱嬾復問靑天。朅來消受看山福。探遍西州萬壑煙。
《赤間にて歳を迎ふ二首 其の二》
一剣 飄飄 四十年。頭顱 復た青天を問ふに嬾し。朅来 消受す 山を看るの福。探り遍し 西州 万壑の煙。
※●朅来:発語の辞。ここに。あるいは去来、往来に同じとも言う ●消受:享受する
4-1-79 《再寓赤閒二首 其一》 頼山陽
倦客歸心急似弦。何知北渡又留連。市依側岸無餘地。山護澄灣有別天。游跡回看豐嶺雪。家書新附攝津船。寄聲京友姑相待。聯騎猶能及禁煙。
《再び赤間に寓す二首 其の一》
倦客の帰心 急なること弦に似たり。何ぞ知らん 北渡して 又た留連せんとは。市は側岸に依りて 余地 無く。山は澄湾を護りて 別天 有り。游跡 回看す 豊嶺の雪。家書 新たに付す 摂津の船。声を寄す 京友 姑く相ひ待て。聯騎 猶ほ能く禁煙に及ばん。
※●北渡:九州から本州へ渡る ●豐嶺:豊前・豊後の山々 ●聯騎:馬を並べて遊ぶこと ●禁煙:寒食に同じ。清明節の直前、数日間、火を使用せず冷たい食事だけで過ごす年中行事
4-1-80 《再寓赤閒二首 其二》 頼山陽
赤閒風景舊相知。寓槖高樓重有期。對岸山遙知鳥倦。緣洲家缺見檣危。拔錨渚外晨邪許。迎妓煙中晚喔咿。京醞可賖魚價賤。天涯休怪客歸遲。
《再び赤間に寓す二首 其の二》
赤間の風景は 旧相知。槖を高楼に寓すること 重ねて期有り。岸に対する山は遥かにして 鳥の倦むを知り。洲に縁る家は欠けて 檣の危きを見る。錨を抜いて 渚外 晨に邪許。妓を迎へて 煙中 晩に喔咿。京醞 賖るべく 魚価 賤し。天涯 怪しむ莫れ 客の帰るの遅きを。
※●邪許:作業時の掛け声の擬音 ●喔咿:作り笑いをするさま ●京醞:都の酒。上方の酒
4-1-81 《發赤閒別廣江父子作歌》 頼山陽
雪消檣竿閃暾紅。短櫓去乘料峭風。沙際回看君佇立。影沒厓渚轉曲中。騎歲淹留情難割。離岸後期眞遼闊。相呼猶欲敍心緖。無奈櫓聲亂人語。
《赤間を発して広江父子に別れ 歌を作る》
雪 消えて 檣竿に 暾紅 閃く。短櫓 去って乗る 料峭の風。沙際 回看すれば 君 佇立す。影は没す 厓渚 転曲の中。騎歳の淹留 情 割き難し。岸を離るれば 後期 真に遼闊。相い呼びて猶ほ心緒を叙べんと欲するも。奈んともする無し 櫓声の人語を乱すを。
※●廣江父子:下関滞在中の山陽に住まいを提供した広江家の殿峰・秋水父子 ●騎歲:歳にまたがる。歳をまたいで。山陽は下関滞在中に年を越した
4-1-82 《舟中逢立春二首 其一》 頼山陽
風吹曉雨長寒潮。帆外豐山雪未消。船尾晨聞舟子語。始知春立是今朝。
《舟中 立春に逢ふ二首 其の一》
風は暁雨を吹いて 寒潮 長し。帆外の豊山 雪 未だ消えず。船尾 晨に聞く 舟子の語。始めて知る 春立つは是れ今朝と。
※●舟子:船頭
4-1-83 《舟中逢立春二首 其二》 頼山陽
擬與飛鴻爭後先。北歸萬里趁春煙。行帆背指豐山雪。歷歷游蹤已隔年。
《舟中 立春に逢ふ二首 其の二》
飛鴻と後先を争はんと擬し。北帰 万里 春煙を趁ふ。行帆 背指す 豊山の雪。歴歴たる游踪 已に年を隔つ。
※●已隔年:もう去年のことになった
4-1-84 《上田閨秀索題其女畫蘭走筆書此》 頼山陽
香祖春風葉葉斜。淸丰秀態自成家。綠窗可識栽培厚。一箭旁抽紫玉芽。
《上田閨秀 其の女の画蘭に題を索む。筆を走らせて此れを書す》
香祖の春風 葉葉 斜めなり。清丰 秀態 自づから家を成す。緑窓 識るべし 栽培の厚きを。一箭 傍らに抽んづ 紫玉の芽。
※●上田閨秀:周防国大道村で宿場で本陣を営む上田氏の妻女 ●香祖:蘭の異名
4-1-85 《畫鯉》 頼山陽
周海餘寒冰雪封。徒看生縑寫渠儂。歸程屈指春深日。澱水桃花見噞喁。
《画鯉》
周海の余寒 氷雪 封ず。徒らに看る 生縑に渠儂を写すを。帰程 指を屈すれば 春 深き日。澱水の桃花に 噞喁を見ん。
※●周海:周防国の海 ●生縑:絹のキャンバス ●澱水:淀川 ●噞喁:あぎとう。魚が水面に口をパクパクさせて呼吸する
4-1-86 《回望鎭西諸山有懷諸子》 頼山陽
雁欲落。帆皆飛。豐山筑山總斜暉。吾行日覺近鄕國。卻顧豐筑思依依。那中幾個新知友。吾今望汝汝知否。
《鎮西の諸山を回望し 諸子を懐ふ有り》
雁 落ちんと欲し。帆 皆な飛ぶ。豊山 筑山 総て斜暉。吾が行 日に覚ゆ 郷国に近づくを。却って豊筑を顧みれば 思ひ依依たり。那の中 幾箇の新知友。吾 今 汝を望むこと 汝 知るや否や。
※●豐山筑山:豊前・豊後の山、筑紫の山
4-1-87 《舟入廣島》 頼山陽
薄雲釀雨波影黑。家山在眼卻模糊。舟子背立搖雙櫓。伊鴉聲裏向鄕閭。二年嶺海今歸到。自慶安穩見枌楡。阿母待吾應開宴。前舟送酒已達無。
《舟 広島に入る》
薄雲 雨を醸して 波影 黒し。家山 眼に在るも 却って模糊。舟子 背立して 双櫓を揺かし。伊鴉声裏 郷閭に向かふ。二年の嶺海 今 帰り到り。自ら慶ぶ 安穏に枌楡を見るを。阿母 吾を待ちて 応に宴を開くべし。前舟 酒を送りしは 已に達せしや無(イナ)や。
※●背立:背中合わせに立つ ●伊鴉:櫂を動かすギイギイという音 ●枌楡:故郷のこと
4-1-88 《余到藝留數旬將歸京寓遂奉母偕行作侍輿歌》 頼山陽
輿行吾亦行。輿止吾亦止。輿中道上語不輟。歷指某山與某水。有時俯理韤結解。母呼兒前兒曰唯。山陽一路十往還。省鄕每計瞬息裏。二毛侍輿敢言勞。山驛水程皆鄕里。於兒熟路母生路。雙眸常嚮母所視。
《余 芸に到り 留まること数旬にして 将に京寓に帰らんとす。遂に母を奉じて偕に行く。侍輿の歌を作る》
輿 行けば 吾も亦た行き。輿 止まれば 吾も亦た止まる。輿中 道上 語り輟まず。歴指す 某山と某水と。時 有りて 俯して韤結の解くるを理むれば。母 児を呼んで前ましめ 児 曰く唯と。山陽の一路十たび往還す。省郷 毎に計る 瞬息の裏。二毛 輿に侍す 敢へて労を言わんや。山駅 水程 皆な郷里。児に於いては熟路 母には生路。双眸 常に母の視る所に嚮かふ。
※●藝:芸州。安芸国 ●京寓:京都の山陽の自宅 ●韤結解:足袋の結び目がほどける ●曰唯:「はい」と言う ●省郷:郷里に帰省する
4-1-89 《過廉塾》 頼山陽
奉母遊上國。路過父執廬。幽階脫布韤。隙地舍板輿。戒僕備衾枕。呼婢摘果蔬。孤兒與寡婦。猶謂故人餘。東軒秉杯酒。盍簪想當初。燭照屛閒字。時有阿爺書。
《廉塾に過る》
母を奉じて上国に遊ぶに。路に父執の廬に過る。幽階に布韤を脱ぎ。隙地に板輿を舎く。僕を戒めて衾枕を備へしめ。婢を呼びて果蔬を摘ましむ。孤児と寡婦と。猶ほ故人の余と謂ふ。東軒に杯酒を秉り。盍簪 当初を想ふ。燭は照らす 屛間の字。時に阿爺の書有り。
※●廉塾:菅茶山が営む備後神辺の塾 ●父執:父の友人 ●故人餘:友人の遺族 ●盍簪:会い集まること ●阿爺:お父さん。山陽の父・春水
4-1-90 《贈茶山翁》 頼山陽
肥山雲霧薩海風。回首游蹤總雪鴻。當時每思向君語。如今半墮恍惚中。剪盡春燭餘燄在。憶起阿蘇煙騰空。
《茶山翁に贈る》
肥山の雲霧 薩海の風。首を回らせば 游踪 総て雪鴻。当時 毎に思ふ 君に向かって語らんと。如今 半ば堕つ 恍惚の中。春燭を剪り尽くせば 余焰 在り。憶ひ起こす 阿蘇の煙の空に騰がりしを。
※●茶山翁:菅茶山 ●雪鴻:雪泥鴻爪の略。人の踪跡がはかなく消えて残らないこと
4-1-91 《到家》 頼山陽
窮巷蹂新泥。曉雨方絲絲。近家情卻怕。舊寓認還疑。山妻記足音。喜極反成悲。兩歲始歸到。塵埃面目黧。燂湯洗吾腳。薪濕火傳遲。薪濕且不妨。唯喜會有期。
《家に到る》
窮巷 新泥を蹂み。暁雨 方に糸糸たり。家に近づけば 情 却って怕れ。旧寓 認めて還た疑ふ。山妻 足音を記し。喜び極まって反って悲しみを成す。両歳にして始めて帰り到る。塵埃 面目 黧し。湯を燂(アタタ)めて吾が脚を洗はんとするも。薪 湿りて 火の伝はること遅し。薪 湿れるは且らく妨げず。唯だ喜ぶ 会ふに期有りしを。
※●家:京都二条高倉の山陽の自宅
4-1-92 《迎母》 頼山陽
移寓就爽塏。將欲迎阿孃。窗欞糊新紙。枕衾檢舊筐。十歲甘桂玉。不敢累故鄕。新婦多缺闕。百需大蒼黃。戒婦具酒食。勿問有與亡。母曰嗟吾子。差使人意强。
《母を迎ふ》
寓を移して爽塏に就き。将に阿嬢を迎へんと欲す。窓欞に新紙を糊し。枕衾 旧筐を検す。十歳 桂玉に甘んじ。敢へて故郷を累はさず。新婦 欠闕 多く。百需 大ひに蒼黄。婦を戒めて酒食を具せしめ。有ると亡きとを問ふ勿らしむ。母 曰く 嗟(アア) 吾が子。差(ヤヤ) 人意をして強からしむと。
※●移寓:二条高倉から木屋町二条下る柴屋長次郎方の川座敷を借りて引っ越した ●爽塏:高台で湿気の少ない土地 ●阿孃:母 ●桂玉:物価の高いこと ●差使人意强:やや人の気持ちを強くさせる。後漢の光武帝、武将の呉漢の戦況によらず自若たるを見て「呉公差強人意」と感心した
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