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『山陽詩鈔』巻1・巻2
巻1
1-1 寛政5年~文化7年
1-1-1《癸丑歲偶作》 頼山陽
十有三春秋。逝者已如水。天地無始終。人生有生死。安得類古人。千載列靑史。
《癸丑の歳 偶作》
十有三の春秋。逝く者は已に水の如し。天地 始終無く。人生 生死有り。安くんぞ古人に類して。千載 青史に列するを得ん。
※●癸丑:寛政5年
1-1-2 《甲寅首春作時懷家君在東邸》 頼山陽
黃鳥喈喈日載陽。辛盤遙拜向東方。霞關應侍春風座。曾否回頭憶故鄕。
《甲寅 首春の作 時に家君の東邸に在るを懐ふ》
黄鳥 喈喈として 日 載(ハジ)めて陽(アタタ)かなり。辛盤 遥かに拝して 東方に向かふ。霞関 応に侍すべし 春風の座。曽て 頭を回らして故郷を憶ふや否や。
※●甲寅:寛政6年 ●家君:父親。頼春水 ●東邸:江戸の藩邸 ●霞關:江戸の霞が関
1-1-3 《詠梅》 頼山陽
一株臨水靜龍蟠。疑養孤芳傲歲寒。自有松篁足相伴。休過牆去索人看。
《梅を詠ず》
一株 水に臨んで 静かに竜蟠す。孤芳を養ひ 歳寒に傲るかと疑ふ。自づから松篁の相ひ伴ふに足る有り。牆を過ぎ去って人の看るを索めるを休めよ。
※●過牆去:垣根を越えて枝を伸ばす
1-1-4 《石州路上》 頼山陽
雨過泉聲逾喧。木落山骨尤瘠。今朝杖底千岩。昨日天邊寸碧。
《石州路上》
雨 過ぎて 泉声 逾〻 喧しく。木 落ちて 山骨 尤も瘠せたり。今朝 杖底の千岩は。昨日 天辺の寸碧なり。
※●石州:石見国
1-1-5 《甑坂》 頼山陽
行覺溪雲腳下生。危巖夾水一橋橫。登登峽路天將黑。聞斷溪童搗紙聲。
《甑坂》
行くゆく覚ゆ 渓雲の脚下に生ずるを。危巌 水を夾んで 一橋 横たはる。登登たる峡路 天 将に黒からんとす。聞断す 渓童 紙を搗くの声。
※●甑坂:地名。石見国一の難所として知られた坂。現・島根県浜田市にあり
1-1-6 《夜坐》 頼山陽
一穗燈花落復生。火紅茶鼎似蟬鳴。窗邊知有芭蕉樹。夜久時聞墜露聲。
《夜坐》
一穂の灯花 落ち復た生ず。火 紅にして 茶鼎 蟬の鳴くに似たり。窓辺 知る 芭蕉の樹 有るを。夜 久しくして 時に聞く 墜露の声。
1-1-7 《丁巳東遊六首》 頼山陽
畿甸風光吾始過。東來地勢迥坡陀。淡洲蟠踞當郊樹。淀水蒼茫接海波。楠子孤墳長涕淚。豐家遺業尙山河。悠悠今古供搔首。欲說興亡奈獨何。
《丁巳東遊六首》
畿甸の風光 吾 始めて過ぐ。東来の地勢 迥かに坡陀たり。淡洲 蟠踞して 郊樹に当たり。淀水 蒼茫として 海波に接す。楠子の孤墳 長へに涕涙。豊家の遺業 尚ほ山河。悠悠たる今古 搔首に供す。興亡を説かんと欲するも 独りを奈何んせん。
※●丁巳:寛政9年 ●東遊:江戸詰めとなった叔父・杏坪に従って江戸に上った ●淡洲:淡路島 ●淀水:淀川 ●楠子孤墳:楠木正成の墓。摂津国湊川にあり
1-1-8 《丁巳東遊六首》 頼山陽
百揆簪纓尙駿奔。觀光足識帝王尊。雲餘五色紫宸殿。日上三竿朱雀門。寶器由來存郟鄏。土田不必問溫原。西方赤縣如傳舍。孰若天諶眷萬孫。
《丁巳東遊六首》
百揆 簪纓して 尚ほ駿奔す。観光 識るに足る 帝王の尊きを。雲は余す 五色の紫宸殿。日は上る 三竿の朱雀門。宝器 由来 郟鄏に存し。土田 必ずしも 温原を問はず。西方の赤県は伝舎の如し。孰れぞや 天 諶にして 万孫を眷(カヘリ)みるに。
※●郟鄏:王城 ●溫原:将軍の領地。左伝の僖公二十五年に、周の襄王が晋の文公に温・原などの地を賜った、とあることから ●西方赤縣:中国のこと ●傳舍:宿駅の旅館。人がしきりに去来することから、中国の王朝が次から次へと交替することをたとえる
1-1-9 《丁巳東遊六首》 頼山陽
五十三亭控海東。故關右折路岐通。湖南草樹春雲碧。畿內峰巒夕日紅。流峙依然此形勝。興亡已閱幾英雄。分明攻守千年勢。著論誰追賈誼風。
《丁巳東遊六首》
五十三亭 海東を控ふ。故関 右に折れて 路岐 通ず。湖南の草樹 春雲 碧にして。畿内の峰巒 夕日 紅なり。流峙 依然たり 此の形勝。興亡 已に閲す 幾英雄。分明なり 攻守 千年の勢ひ。論を著して 誰か追はん 賈誼の風。
※●五十三亭:東海道五十三次 ●故關:昔の関所。ここでは逢坂の関 ●路岐:岐路に同じ。分かれ道 ●流峙:河が流れることと、山が峙つこと ●賈誼:前漢の文人。辞賦にすぐれ、多くの論策を著した
1-1-10 《丁巳東遊六首》 頼山陽
思鄕何問大刀頭。書劍今來未倦遊。年少吾將事觀國。時平誰復索封侯。天邊層嶺連三越。雲裏重關入八州。堪識驩虞有基趾。居然十世舊金甌。
《丁巳東遊六首》
思郷 何ぞ問はん 大刀頭。書剣 今来 未だ遊に倦まず。年 少くして 吾 将に観国を事とせんとす。時 平らかにして 誰か復た 封侯を索めん。天辺の層嶺 三越に連なり。雲裏の重関 八州に入る。識るに堪へたり 驩虞に基趾有るを。居然たり 十世の旧金甌。
※●大刀頭:「還る」の隠語。大刀の頭には「環」があり、「環」と「還」は音が通ずることから ●三越:越前・越中・越後 ●八州:関八州
1-1-11 《丁巳東遊六首》 頼山陽
鐵馬當年撥戰塵。遙思天正壯圖新。虎符據險驅羣牧。蛛網經邦籠萬人。戈戟霜寒百蠻氣。節旄風暖八洲春。吾行亦知蒙恩澤。東海山陽如比鄰。
《丁巳東遊六首》
鉄馬 当年 戦塵を撥む。遥かに思ふ 天正 壮図の新たなるを。虎符 険に拠って 群牧を駆り。蛛網 邦を経して 万人を籠む。戈戟 霜は寒し 百蛮の気。節旄 風は暖かなり 八洲の春。吾が行も亦た知る 恩沢を蒙るを。東海 山陽 比隣の如し。
※●天正:戦国時代の元号(1573~1592)。天正18年に家康は秀吉の命により関東に入った ●虎符:将軍たるしるしの割符 ●羣牧:諸大名。「牧」は古代中国の州の長官 ●蛛網:蜘蛛の網のように悪事を逃さない支配 ●節旄:天子が使者に任命のしるしとして授ける旗竿。ここでは天皇が征夷大将軍に委任した大政の権限の象徴
1-1-12 《丁巳東遊六首》 頼山陽
霸氣泱泱負海開。雲虹簇起總樓臺。樹梢睥睨雙城聳。空際芙蓉八朵來。終古草茅迎白月。卽今闤闠起紅埃。肩摩轂擊家家給。管晏何過諸子才。
《丁巳東遊六首》
覇気 泱泱として 海を負ひて開く。雲虹 簇り起こるは 総て楼台。樹梢の睥睨 双城 聳え。空際の芙蓉 八朶 来たる。終古 草茅 白月を迎へ。即今 闤闠 紅埃 起こる。肩摩轂撃 家家 給す。管晏 何ぞ過ぎん 諸子の才。
※●管晏:管仲と晏平仲 ●諸子:江戸開府以来の幕閣たち
1-1-13 《過一谷懷平源興亡事作歌》 頼山陽
播之首攝之尾。吾視其地何雄偉。山勢北來迫海壖。松柏露根亂蘆葦。怒潮淘沙出白骨。啼小鬼兮哭大鬼。聞說平氏曾此簇赤斿。厜㕒爲城澎湃爲溝。左控王畿右甸服。舊業自期唾手收。何料東人有機略。要害早已被耽視。九郞一身渾是膽。伏旗仆鼓出不意。蜀道雖難不用氈。懸崖絕壁如平地。組練劃山訝懸瀑。蹄閒三尋眞是鹿。秦宮殿宇從一炬。晉人爭舟指可掬。桓伊弄笛終貽禽。劉琨嘯歌亦遭戮。勝敗有機少人知。繪畫徒傳娛童兒。一自貂蟬出介冑。上下文恬又武煕。豈知養虎自遺患。羽翼旣成猶守雌。敢忘越人殺其父。白旄一出誰能支。宛如翡翠遇飢鷹。不怪毛血紛離披。獨有武州能捐軀。婦人羣中見丈夫。吁乎諸君皆能學之子。不將寶劍附天吳。
《一谷を過ぎ 平源興亡の事を懐ひて歌を作る》
播の首 摂の尾。吾 其の地を視るに何ぞ雄偉なる。山勢 北より来たりて 海壖に迫り。松柏 根を露はして 芦葦に乱る。怒潮 沙を淘って 白骨を出だし。小鬼は啼き大鬼は哭す。聞くならく 平氏 曽て此に赤斿を簇らし。厜㕒を城と為し 澎湃を溝と為すと。左は王畿を控へ 右は甸服。旧業 自ら期す 手に唾して収めんと。何ぞ料らんや 東人 機略 有り。要害 早く已に 耽視せらる。九郎の一身 渾て是れ胆。旗を伏せ 鼓を仆して 不意に出づ。蜀道 難しと雖も 氈を用ゐず。懸崖 絶壁 平地の如し。組練 山を劃して 懸瀑かと訝り。蹄間 三尋 真に是れ鹿。秦宮の殿宇 一炬に従ひ。晋人 舟を争ひて 指 掬すべし。桓伊 笛を弄して 終に禽を貽り。劉琨 嘯歌して 亦た戮に遭ふ。勝敗 機 有り 人の知る少なし。絵画 徒らに伝へて 童児を娯しましむ。一たび貂蟬 介冑に出でしより。上下 文恬 又た武熙。豈に知らんや 虎を養ひて自ら患ひを遺せしを。羽翼 既に成りて 猶ほ雌を守る。敢へて忘れんや 越人の其の父を殺せしを。白旄 一たび出でて 誰か能く支へん。宛も 翡翠の飢鷹に遭ふが如し。怪しまず 毛血の紛として離披するを。独り武州の能く軀を捐つる有り。婦人群中 丈夫を見る。吁乎(アア) 諸君 皆な能く之の子を学ばば。宝剣を将って天呉に附せず。
1-1-14 《謁楠河州墳有作》 頼山陽
東海大魚奮鬣尾。蹴起黑波汙黼扆。隱島風雲重慘毒。六十餘州總鬼虺。誰將隻手排妖氛。身當百萬哮闞羣。揮戈擬回虞淵日。執臿同劚卽墨雲。關西自有男子在。東向寧爲降將軍。旋乾轉坤荅値遇。洒掃輦道迎鑾輅。論功睢陽最有力。謾稱李郭安天步。出將入相位未班。前狼後虎事復難。獻策帝閽不得達。決志軍務豈生還。且餘兒輩繼微志。全家血肉殲王事。非有南柯存舊根。偏安北闕向何地。攝山逶迱海水碧。吾來下馬兵庫驛。想見訣兒呼弟來戰此。刀折矢盡臣事畢。北向再拜天日陰。七生人閒滅此賊。碧血痕化五百歲。茫茫春蕪長大麥。君不見君臣相圖骨肉相吞。九葉十三世何所存。何如忠臣孝子萃一門。萬世之下一片石。留無數英雄之淚痕。
《楠河州の墳に謁して作有り》
東海の大魚 鬣尾を奮ひ。黒波を蹴起して 黼扆を汚す。隠島の風雲 重ねて惨毒。六十余州 総て鬼虺。誰か隻手を将って妖氛を排せん。身は当たる 百万哮闞の群。戈を揮って回さんと擬す 虞淵の日。臿を執って同に劚る 即墨の雲。関西 自づから男子の在る有り。東向して 寧ぞ降将軍と為らんや。乾を旋らし 坤を転じて 値遇に荅へ。輦道を洒掃して 鑾輅を迎ふ。功を論ずれば睢陽 最も有力。謾に称す 李郭 天歩を安んずと。出でては将 入りては相 位 未だ班せず。前狼 後虎 事 復た難し。策を帝閽に献ずるも 達するを得ず。志を軍務に決して 豈に生還せんや。且つ児輩を余して微志を継がしめ。全家の血肉 王事に殲く。南柯 旧根を存するに非ずんば。偏安の北闕 何れの地にか向かはん。摂山 逶迱して 海水 碧なり。吾 来たりて 馬を下る 兵庫の駅。想ひ見る 児に訣れ 弟を呼び来たりて 此に戦ふを。刀折れ 矢尽きて 臣事 畢る。北向して再拝すれば 天日 陰る。七たび人間に生まれて此の賊を滅ぼさん。碧血 痕は化す 五百歳。茫茫たる春蕪 大麦 長ず。君見ずや 君臣 相ひ図り 骨肉 相ひ吞むを。九葉十三世 何の存する所ぞ。何ぞ如かん 忠臣 孝子 一門に萃(アツ)まり。万世の下 一片の石。無数の英雄の涙痕を留むるに。
1-1-15 《丁卯二月先王父肜日侍家翁會諸知舊言志》 頼山陽
臘醅寒氣薄。春燭雨聲多。金蘭同几席。桑梓邈山河。祖風賴無墜。父執亦匪他。侍飮吾忘倦。其如宵短何。
《丁卯二月 先王父の肜日 家翁に侍り 諸知旧に会し 志を言ふ》
臘醅 寒気 薄く。春燭 雨声 多し。金蘭 几席を同じくし。桑梓 山河 邈かなり。祖風 頼ひに墜つる無く。父執も亦た他に匪ず。侍飲して 吾 倦むを忘る。其れ 宵の短きを如何んせん。
※●丁卯:文化4年
1-1-16 《丁卯書事》 頼山陽
淫雨連旬水潦漲。宣房誰識福將殃。玉關符節謝西域。紫塞版圖通朔方。已睹夷吾平糴價。還聞吉甫啓戎行。幾家閨婦遲邊報。唯願不迨薇蕨剛。
《丁卯 事を書す》
淫雨 連旬 水潦 漲る。宣房 誰か識らん 福の将に殃ならんとするを。玉関の符節 西域を謝し。紫塞の版図 朔方に通ず。已に睹る 夷吾の糴価を平らかにするを。還た聞く 吉甫の戎行を啓くを。幾家の閨婦 辺報を遅(マ)ち。唯だ願ふ 薇蕨の剛なるに迨ばざらんことを。
※●丁卯:文化4年 ●淫雨連旬:この年8月、江戸で大雨のため大洪水起こり、溺死者500人に及んだ ●謝西域:ロシアからの交易要求を拒否したことをたとえる ●通朔方:松前奉行を置いたことにより日本の版図が蝦夷地まで及んだことをいう ●夷吾:斉の管仲。桓公を補佐して覇者とならしめた。松平定信をたとえる ●吉甫:周の宣王に仕えた名臣。異民族征伐の際に先鋒をつとめた。択捉警備のため出兵した堀田正敦をたとえる
1-1-17 《詠史十二首 其一》 頼山陽
鞶爵悤悤酬武功。戰塵數到紫宸宮。一從棣萼衰周德。終使黍離入國風。江左衣冠誰仲父。河陽弓矢幾文公。姬姜迭起還陳迹。到底韓梁交競雄。
《詠史十二首 其の一》
鞶爵 怱怱として 武功に酬ひ。戦塵 数〻 到る 紫宸宮。一たび棣萼 周徳を衰へしめてより。終に黍離をして国風に入らしむ。江左の衣冠 誰か仲父。河陽の弓矢 幾文公。姫姜 迭ひに起りしも 還た陳迹。到底 韓梁 交〻 雄を競ふ。
※●鞶爵:革帯と酒杯。恩賞に差があること。保元の乱後の平清盛と源義朝 ●棣萼:兄弟。保元の乱を引き起こした崇徳上皇・後白河天皇 ●文公:晋の文公。周の襄王を河陽に招いて、王から弓矢を賜った。室町以降、天皇が足利義満や豊臣秀吉など武家の邸宅に行幸したことを指す ●姫姜:姫は晋の姓、姜は斉の姓。源平両氏を指す ●韓梁:梁は魏に同じ。韓・魏・趙は晋の家臣だったが、やがて晋を亡ぼして自立した。応仁の乱以後の下剋上を指す
1-1-18 《詠史十二首 其二》 頼山陽
復讐九世亦徒爲。業就磨崖未勒碑。衮職豈無周仲甫。簧言獨患晉驪姬。蠶叢半璧開天日。劍璽三朝離國時。不憾陳生謬順逆。紫蠅夙有彥威知。
《詠史十二首 其の二》
復讐 九世 亦た徒為。業 就りて 磨崖 未だ碑を勒せず。衮職 豈に周の仲甫 無からんや。簧言 独り晋の驪姫を患ふ。蚕叢 半璧 天を開くの日。剣璽 三朝 国を離るるの時。憾まず 陳生 順逆を謬るを。紫蠅 夙に彦威の知る有り。
※●復讐九世:建武の中興を指す ●驪姬:足利尊氏の意を受け、後醍醐天皇に讒言して護良親王を失脚させたとされる阿野廉子をたとえる ●陳生:『三国志』の編者・陳寿。魏を正統とした ●紫蠅:正しくは紫䵷。正統でない位のこと。漢書・王莽伝に「紫色䵷聲餘分閏位」とあり ●彥威:晋の習鑿歯。『漢晋春秋』を著し、蜀漢を正統とした。神皇正統記を著した北畠親房をたとえる
1-1-19 《詠史十二首 其三》 頼山陽
白旄披拂九重雲。初見武人爲大君。脩怨能除僧相國。貽謀豈料尼將軍。五蛇求穴艱虞定。三馬同槽威柄分。休道荀生扶二姓。削平誰得競元勳。
《詠史十二首 其の三》
白旄 披き払ふ 九重の雲。始めて見る 武人の大君と為るを。怨を脩めて 能く除く 僧相国。謀を貽(ノコ)して 豈に料らんや 尼将軍。五蛇 穴を求めて 艱虞 定まり。三馬 槽を同じうして 威柄 分かる。道ふを休めよ 荀生 二姓を扶くと。削平 誰か 元勲を競ふを得ん。
※●白旄:源氏の白旗 ●大君:征夷大将軍 ●僧相國:相国入道平清盛 ●五蛇:晋の文公の五人の家臣をいう。文公を竜に見立て、その臣を蛇と呼んだもの。ここでは頼朝に仕えた有力御家人(北条、比企、三浦、和田など)をたとえる ●三馬同槽:魏の曹操がある日、三頭の馬がひとつの飼葉桶で餌を食べている夢を見たが、これは司馬懿とその二人の子、昭・師が魏をのっとって晋を建てることの予知夢だった。ここでは頼朝の直系が絶え、北条氏が実権を握ったことをたとえる ●荀生:荀彧のこと。ここでは朝臣から転じて幕府に仕えた大江広元をたとえる
1-1-20 《詠史十二首 其四》 頼山陽
戢翼翻然飽且颺。分明後虎與前狼。曹袁跋扈終無漢。朱李爭衡豈爲唐。要路盡歸三管領。中原暫見兩天王。堪知繁實披枝幹。大樹何能棲鳳凰。
《詠史十二首 其の四》
翼を戢(オサ)めて 翻然 飽けば且つ颺がる。分明なり 後虎と前狼と。曹袁 跋扈して 終に漢 無く。朱李 争衡するは 豈に唐の為めならんや。要路 尽く帰す 三管領。中原 暫く見る 両天王。知るに堪へたり 繁実 枝幹を披くを。大樹 何ぞ能く 鳳凰を棲ましめんや。
※●三管領:室町幕府の管領職に就くことができた三家、斯波・細川・畠山 ●兩天王:応仁の乱の東軍大将・細川勝元と西軍大将・山名宗全 ●繁實披枝幹:実が多すぎて枝がさけてしまう。臣下が強くなりすぎて主家が衰えることをいう ●大樹:将軍のこと
1-1-21 《詠史十二首 其五》 頼山陽
左將忠貞天地知。曾沈寶劍感馮夷。軍中一范驚賊膽。河北二顏連義旗。誰道晉藩無亞子。人傳楚帳有虞姬。太原遺孽雖凋落。華冑遙遙久益滋。
《詠史十二首 其の五》
左将の忠貞 天地 知る。曽て宝剣を沈めて 馮夷を感ぜしむ。軍中の一范 賊胆を驚かし。河北の二顔 義旗を連ぬ。誰か道ふ 晋藩に亜子 無しと。人は伝ふ 楚帳に虞姫 有りと。太原の遺孽 凋落すと雖も。華冑 遥遥 久しくして益〻 滋る。
※●左將:新田義貞。左近衛中将 ●一范:宋の范仲淹 ●二顏:顔真卿と顔杲卿 ●亞子:李克用の子、李存勗。李克用のあとをつぎ、朱全忠を討った ●虞姬:項羽の寵姫・虞美人。義貞が寵愛した勾当内侍をたとえる ●華冑:名族の子孫。徳川氏は新田氏の末裔と称していた
1-1-22 《詠史十二首 其六》 頼山陽
霸庭綱弛四興戎。便見人豪起海東。地按故資撫背脊。書諳上略攬英雄。八州驍虓歸兵籍。五世呴濡繩祖功。末路猶知士心屬。孤城半歲費環攻。
《詠史十二首 其の六》
覇庭 綱 弛みて 四もに戎を起こす。便ち見る 人豪の海東に起るを。地は故資を按じて 背脊を撫し。書は上略を諳んじて 英雄を攬(ト)る。八州の驍虓 兵籍に帰し。五世の呴濡 祖功を縄(ツ)ぐ。末路 猶ほ知る 士心の属せしを。孤城 半歳 環攻を費やす。
※●覇庭:幕府 ●人豪:北条早雲のこと
1-1-23 《詠史十二首 其七》 頼山陽
兵機在握制常蛇。衞輒雄豪勝阿爺。弛備蔡城乘夜雪。壓軍楚陣辨晨霞。誰屠豚犬塗肝腦。共苦豺狼橫吻牙。蕭老一生甘殺戮。捨身卻怪著袈裟。
《詠史十二首 其の七》
兵機 握に在り 常蛇を制す。衛輒の雄豪 阿爺に勝る。備へを弛めし蔡城 夜雪に乗じ。軍を圧する楚陣 晨霞に弁ず。誰か豚犬を屠って肝脳に塗(マミ)れん。共に豺狼に苦しみて 吻牙に横たはる。蕭老 一生 殺戮に甘んず。捨身 却って怪しむ 袈裟を著くるを。
※●衞輒:衛の君主。かつて国を去った父が帰国しようとしたとき、これを拒否した。武田信玄が父・信虎を駿河に追放したことをたとえる ●乘夜雪:夜雪に乗じて海野口城を落としたこと ●晨霞:本来は朝焼けの雲のこと。ここでは川中島の戦いの朝霧を指すらしい ●蕭老:南朝・梁の武帝蕭衍。出家した信玄をたとえる
1-1-24 《詠史十二首 其八》 頼山陽
不怪兵鋒獨出羣。夙將韜略代羶葷。碧蹄蹂躪八州草。白羽指揮三越雲。橫槊繁霜秋滿陣。銜枚大霧曉藏軍。稜稜侠骨高千古。老賊齊名長惜君。
《詠史十二首 其の八》
怪しまず 兵鋒の独り群を出づるを。夙に韜略を将って羶葷に代ふ。碧蹄 蹂躪す 八州の草。白羽 指揮す 三越の雲。槊を横たへて 繁霜 秋 陣に満ち。枚を銜へて 大霧 暁 軍を蔵す。稜稜たる侠骨 千古に高し。老賊 名を斉しくすること 長く君を惜しむ。
※●八州:関八州。永禄4年、上杉謙信は反北条の連合軍を率いて小田原を攻め、関東を席捲した ●白羽:白羽扇。蜀漢の諸葛孔明は白羽扇で軍を指揮したという。謙信の軍略を孔明にたとえたもの ●老賊:武田信玄
1-1-25 《詠史十二首 其九》 頼山陽
果識名門出俊英。十州豪傑避旗旌。憑雲樓櫓懸高鳥。破浪戈鋋斬老鯨。千里霸圖同大帝。二兒將略竝長城。可憐孫皓不量力。欲向中原謀抗衡。
《詠史十二首 其の九》
果たして識る 名門の俊英を出だすを。十州の豪傑 旗旌を避く。雲に憑る楼櫓 高鳥を懸け。波を破る戈鋋 老鯨を斬る。千里の覇図 大帝と同じく。二児の将略 並びに長城。憐れむべし 孫皓 力を量らず。中原に向かって抗衡を謀らんと欲するを。
※●名門:毛利氏は大江広元の末裔を称していた ●十州:中国地方十か国 ●憑雲の句:出雲の月山富田城に拠る尼子氏を亡ぼしたことを指す ●破波の句:厳島の戦いで陶晴賢を亡ぼしたことを指す ●大帝:呉の孫権。大帝と諡された。元就をたとえる ●二兒:元就の二人の実子、吉川元春と小早川隆景 ●孫皓:呉の最後の皇帝。孫権の孫。関ケ原の戦いで西軍総大将に祭り上げられ、周防・長門二ヶ国に減封された毛利輝元をたとえる
1-1-26 《詠史十二首 其十》 頼山陽
蚌鷸竟歸漁父收。屠牛順理識才優。久聞帶甲滿天地。始見衣冠拜冕旒。齊國規模開後霸。陳王將帥盡諸侯。不終志業知誰罪。遺恨君無忘射鉤。
《詠史十二首 其の十》
蚌鷸 竟に漁父の収に帰す。屠牛 理に順って 才の優れるを識る。久しく聞く 帯甲 天地に満つるを。始めて見る 衣冠 冕旒を拝するを。斉国の規模 後覇を開き。陳王の将帥 尽く諸侯。志業を終へざるは知んぬ誰の罪ぞ。遺恨なり 君が射鉤を忘るること無きは。
※●蚌鷸の句:武田・上杉が信濃をめぐって争っている間に織田信長が漁夫の利を得て上洛したという意味 ●齊國の句:斉の桓公は覇者のさきがけとなり、その後に晋の文公らが続いた(春秋五覇)。信長の覇業が、秀吉・家康の天下統一のさきがけとなったことをたとえる ●陳王の句:秦に対する反乱を起こして王となった陳勝のもとで武将だった張耳や陳余らは自立して諸侯となった。信長に仕えた武将たちがみな大名となっていったことをたとえる ●忘射鉤:斉の桓公は、かつて敵陣営だった管仲に帯鉤を射られたことを水に流して彼を登用して覇業を成した。対して信長にはこの度量がなかった、という意味
1-1-27 《詠史十二首 其十一》 頼山陽
蜻州在手打爲丸。黃鉞東西試錯蟠。漢將猶存奴僕面。楚人誰道沐猴冠。亂窮草莽英雄起。志大夷蠻肝膽寒。二世休嗤秦業短。混同六國太艱難。
《詠史十二首 其の十一》
蜻州 手に在り 打って丸と為す。黄鉞 東西に錯蟠に試む。漢将 猶ほ存す 奴僕の面。楚人 誰か道ふ 沐猴にして冠すと。乱 窮まりて 草莽 英雄 起こり。志 大にして 夷蛮 肝胆 寒し。二世 嗤ふを休めよ 秦業 短しと。六国を混同するは 太だ艱難。
※●蜻州:日本 ●漢將の句:前漢の大将軍・衛青は奴婢の出身だった。百姓出身の秀吉をたとえる ●楚人の句:項羽を批判する者が「楚人は沐猴にして冠す」と罵った。容貌が猿に似ていたとされる秀吉をたとえる
1-1-28 《詠史十二首 其十二》 頼山陽
羣雄逐鹿漫爭先。誰識驅除開大賢。晉國霸圖由一戰。漢家號令出三嬗。建櫜基跡尋常地。拜胙違顏咫尺天。奕葉驩虞寧有限。金城春暖鬱祥煙。
《詠史十二首 其の十二》
群雄 鹿を逐ひて 漫りに先を争ふ。誰か識らん 駆除 大賢を開くを。晋国の覇図は一戦に由り。漢家の号令は三嬗に出づ。建櫜 跡を基ゐす 尋常の地。胙を拝して 顔を違(サ)く 咫尺の天。奕葉の驩虞 寧ぞ限らん。金城 春 暖かにして 祥煙 鬱たり。
※●晉國の句:晋の文公、城濮の一戦に楚を破って覇者となった。関ケ原の一戦に勝って天下人となった家康をたとえる ●漢家の句:漢は陳勝・項羽のあとを受けて天下を取った。家康が信長・秀吉のあとを継いで天下を取ったことをたとえる。嬗は禅(天子の位を譲る)に同じ
1-1-29 《始寓廉塾 其一》 頼山陽
誰道功名與志違。蕭然行李入黃薇。好爵難靡蒲柳質。閑身學製薜蘿衣。南郡靑衿新麗澤。西山白雪舊恩輝。獨有庭闈最關意。夕陽凝望斷雲飛。
《始めて廉塾に寓す 其の一》
“誰か道ふ 功名 志と違ふと。蕭然たる行李 黄薇に入る。好爵も靡かせ難し 蒲柳の質。閑身 製するを学ぶ 薜蘿の衣。南郡の青衿 新たに麗沢。西山の白雪 旧恩 輝く。独り 庭闈の 最も意に関わる有り。夕陽 凝望すれば 断雲 飛ぶ。”
※●廉塾:備後国神辺(現・広島県福山市神辺町)に菅茶山が開いた塾。蟄居を解かれた頼山陽は、文化6年末に廉塾に都講(塾頭)として赴任した ●黃薇:「きび」と読めることから「吉備」のこと ●南郡靑衿:廉塾の学生たち。後漢の馬融が南郡の太守だったとき、従い学ぶ者が多かったことから、菅茶山を馬融にたとえる
1-1-30 《始寓廉塾 其二》 頼山陽
萬里江湖宿志存。身如病寉脫籠樊。回頭故國白雲下。寄跡夕陽黃葉村。絃誦幾時從父執。煙霞到處總君恩。廿年無事酬溫飽。深愧相知嗤犬豚。
《始て廉塾に寓す 其の二》
万里の江湖 宿志 存す。身は病寉の籠樊を脱するが如し。頭を回らせば 故国は白雲の下。跡を寄す 夕陽黄葉村。絃誦 幾時か 父執に従ふ。煙霞 到る処 総て君恩。廿年 事の温飽に酬ゆる無く。深く愧づ 相知の犬豚を嗤ふを。
※●夕陽黃葉村:黄葉夕陽村舎すなわち廉塾のこと ●父執:父の親友。菅茶山のこと
1-1-31 《畫龜》 頼山陽
旣無神異智。豈近廟廊尊。曳尾吾生足。深泥亦國恩。
《画亀》
既に 神異の智 無し。豈に 廟廊の尊に近づかんや。尾を曳きて 吾が生 足れり。深泥も亦た国恩。
1-1-32 《畫鶴》 頼山陽
解籠知君意。乘軒非我榮。雖隨野雲往。猶和在陰聲。
《画鶴》
籠を解かれて 君の意を知る。軒に乗るは 我の栄に非ず。野雲に随ひて往くと雖も。猶ほ 陰に在るの声に和す。
※●乘軒:衛の懿公は鶴を好み、軒(大夫の乗る車)に乗せた(左伝・閔公二年) ●和在陰聲:易経の中孚卦の爻辞に「鳴鶴在陰、其子和之」とあり
1-1-33 《畫蘭》 頼山陽
頑石足吾朋。深林得吾所。怕附君子腰。周旋觸尊俎。
《画蘭》
頑石 吾が朋たるに足る。深林 吾が所を得たり。怕る 君子の腰に附して。周旋 尊俎に触れんことを。
※●尊俎:樽俎に同じ。酒樽と肉を載せる台
1-1-34 《讀鄭延平傳》 頼山陽
九土茫茫誰丈夫。何圖萬火出東隅。公卿爭下穹廬拜。節義翻歸鱗介徒。孤島魚鹽新版籍。一家冠帶舊唐虞。英魂千載游桑梓。可問楠公父子無。
《鄭延平の伝を読む》
九土 茫茫 誰か丈夫。何ぞ図らん 万火 東隅に出でんとは。公卿 争ひ下る 穹廬の拝。節義 翻って帰す 鱗介の徒。孤島の魚塩 新版籍。一家の冠帯 旧唐虞。英魂 千載 桑梓に游ばば。楠公父子を問ふべきや無(イナ)や。
※●鄭延平:鄭成功 ●萬火出東隅:鄭成功は日本の肥前国平戸島で生まれた。生まれたとき万火ひとしく島を照らしたという ●下穹廬拜:夷狄に下ること ●鱗介徒:日本人のこと。王士禛が日本人を指して言うと山陽自注にあり ●桑梓:郷里。すなわち生地である日本
1-1-35 《龍谷五百年周忌》(僧意戒爲索題詠至余。以二十字塞責。) 頼山陽
鎌倉付麋鹿。室府委灰塵。一姓優婆塞。還傳五百春。
《竜谷五百年周忌》(僧 意戒、為めに題詠を索めて余に至る。二十字を以て責を塞ぐ。)
鎌倉は麋鹿に付し、室府は灰塵に委せり。一姓の優婆塞、還って伝ふ 五百春。
※●龍谷五百年周忌:親鸞聖人五百年忌 ●意戒:僧侶の名。讃岐の人 ●室府:室町幕府 ●優婆塞:在俗の人で仏門に入った者のこと。ここでは親鸞を指す。親鸞は肉食妻帯していたため
1-1-36 《題社日圖》 頼山陽
社鼓聲喧戰鼓收。枌楡不復佩耕牛。幾家子弟齊扶醉。若箇當年曲逆侯。
《社日の図に題す》
社鼓の音は喧しく 戦鼓は収まる。枌楡 復たとは耕牛を佩びず。幾家の子弟 斉しく酔ひを扶く。若箇か 当年の曲逆侯。
※●枌楡:漢の高祖の郷里の社。高祖は即位すると、この社を都に移し、父の望郷の念を慰めた ●佩耕牛:漢の龔遂、渤海太守となり、勧農に力を入れ、刀を佩びる者があれば刀を売って牛を買わせ、「何為れぞ牛を帯び犢を佩びて、春夏 田畝に趨らざるを得ざらんや」と言った ●曲逆侯;漢の高祖に仕えた陳平。若いころ社日の祭りで肉の分配が公平だったので父老に賞賛された
1-1-37 《林逋圖》 頼山陽
澶淵萬馬鬧塵埃。埃點何曾到我梅。愛個落梅香滿地。也勝燭淚積成堆。
《林逋図》
澶淵の万馬 塵埃 鬧がしきも。埃点 何ぞ曽て 我が梅に到らん。愛す 個の落梅の香 地に満つるを。也た勝る 燭涙の積んで堆を成すに。
※●澶淵:宋の真宗が親征して遼(契丹)の軍を防ぎ、講和の盟約(澶淵の盟)を結んだ場所 ●燭淚積成堆:真宗に親征を進言した寇準は若いころから豪奢で、夜の厠にも燭をともし、その蝋涙がうず高く積もっていたという
1-1-38 《題李白醉圖》 頼山陽
廬嶽雲松未可攀。桃花何處問仙寰。長安市上一杯裏。別有天地非人閒。
《李白酔図に題す》
廬岳の雲松 未だ攀づ可からず。桃花 何れの処にか 仙寰を問はん。長安市上 一杯の裏。別に 天地の人間に非ざる有り。
※●雲松:李白《登廬山五老峰》に「吾將此地巢雲松」とあり
1-1-39 《廉塾雜詩》 頼山陽
紙上功名添足蛇。漫追老圃學桑麻。野橋分徑斜通市。村塾臨流別作家。讀授兒童遇生字。行沿籬落見狂花。笑吾故態終無已。時復談兵畫白沙。
《廉塾雑詩》
紙上の功名は足蛇を添ふ。漫に老圃を追ひて桑麻を学ぶ。野橋 径を分かちて 斜めに市に通じ、村塾 流れに臨んで 別に家を作す。読んで児童に授けて 生字に遇ひ、行きて籬落に沿ひて 狂花を見る。笑ふ 吾が故態の終に已む無く。時に復た兵を談じて白沙に画くを。
※●生字:なじみのない字。知らない字
1-2 辛未(文化8年)
1-2-1 《書懷》 頼山陽
靑雲夙識路程通。萬里翻思破浪風。非是胡驄待銜勒。誰敎野鶴苦樊籠。辱知難副孔融薦。去國聊期王蠋忠。絕粒鳴珂兩未遂。人閒無地吐長虹。
《書懐》
青雲 夙に識る 路程の通ずるを。万里 翻って思ふ 破浪の風。是れ胡驄の銜勒を待つに非ず。誰か 野鶴をして樊籠に苦しましめん。知を辱くして副ひ難し 孔融の薦。国を去って 聊か期す 王蠋の忠。絶粒 鳴珂 両つながら未だ遂げず。人間 地の長虹を吐く無し。
※●路程通:出世を望むならコネはあるということ ●孔融薦:後漢の孔融、禰衡を曹操に推薦したが、禰衡は拒んだ ●王蠋:戦国時代、斉の王蠋は諫言が容れられず官を辞して野に下った。のち、斉に侵攻した隣国の燕から破格の待遇で仕官を持ちかけられたが、「忠臣は二君に仕えず」と言って断り自害した
1-2-2 《集唐句送木村生入京時余亦將追遊》 頼山陽
每依北斗望京華。要自狂夫不憶家。它日期君何處是。宮前楊柳寺前花。
《唐句を集し 木村生の京に入るを送る。時に余も亦た将に追遊せんとす》
毎に北斗に依って 京華を望む。要(カナラ)ず自づから 狂夫は家を憶はず。它日 君に期すは 何れの処か是れなる。宮前の楊柳 寺前の花。
※●木村生:木村楓窓。名は雅寿、字は寉卿。備後府中の人。廉塾塾生 ●起句:杜甫《秋興八首》の句 ●承句:劉禹錫《浪淘沙》の句 ●転句:盧仝の《逢鄭三》の句 ●結句:王建《華清宮》の句
1-2-3 《播州》 頼山陽
自寓三薇歲已周。飄蓬又作五畿遊。行行自覺鄕關遠。背指無山不播州。
《播州》
三薇に寓してより 歳 既に周れり。飄蓬 又た作す 五畿の遊。行く行く 自づから覚ゆ 郷関の遠きを。背指すれば 山として播州ならざるは無し。
※●三薇:薇は黄薇、すなわち吉備。吉備国が三分された備前・備中・備後のこと
1-2-4 《播州》 頼山陽
歌神祠外起朝煙。舞妓灣頭酒若泉。借問行人有何急。欲乘兵庫一番船。
《播州》
歌神祠外 朝煙 起り。舞妓湾頭 酒 泉の若し。借問す 行人 何の急 有って。乗らんと欲す 兵庫 一番の船。
※●歌神祠:歌聖・柿本人麻呂を祭った柿本神社。古くは人丸神社ともいった。兵庫県明石市にあり ●舞妓湾:舞子の浜。神戸市垂水区の名勝
1-2-5 《遊嵐山 其一》 頼山陽
靑溪一曲水迢迢。夾水櫻花影亦嬌。桂楫誰家貴公子。落紅深處坐吹簫。
《嵐山に遊ぶ 其一》
青渓 一曲 水 迢迢。水を夾む桜花 影も亦た嬌なり。桂楫 誰が家の貴公子ぞ。落紅 深き処 坐して簫を吹く。
1-2-6 《遊嵐山 其二》 頼山陽
春風吹雨過西溪。溪上遊人路欲迷。女伴相呼聯袂去。紅裙半濕落花泥。
《嵐山に遊ぶ 其の二》
春風 雨を吹いて 西渓を過ぐ。渓上の遊人 路 迷はんと欲す。女伴 相ひ呼びて 袂を聯ね去り。紅裙 半ば湿ふ 落花の泥。
1-2-7 《遊南禪寺》 頼山陽
第二橋東雨後泥。村園門巷路東西。遇人休問南禪寺。一帶靑松路不迷。
《南禅寺に遊ぶ》
第二橋東 雨後の泥。村園 門巷 路 東西。人に遇ひて問ふを休めよ 南禅寺。一帯の青松 路 迷はず。
※●第二橋:二条橋
1-2-8 《題畫牡丹》 頼山陽
京洛春風常掩關。不從姚魏醉彫欄。秋燈半壁蕭齋夜。翻向霜縑看牡丹。
《画牡丹に題す》
京洛の春風 常に関を掩ふ。姚魏に従って彫欄に酔はず。秋灯 半壁 蕭斎の夜。翻って 霜縑に向かって 牡丹を看る。
※●姚魏:姚家と魏家。牡丹で知られた富豪の家。西京雑記に「姚家有黄牡丹、魏家有紫牡丹」とある
1-2-9 《書懷》 頼山陽
病夫誰爲作吳吟。陋巷秋風蓬藋深。孤燈依約思鄕夢。一劍蒼茫報國心。漫道鵬程休六月。詎論馬骨直千金。聊取文章當結草。效身未必在華簪。
《書懐》
病夫 誰が為にか 呉吟を作さん。陋巷の秋風 蓬藋 深し。孤灯 依約たり 思郷の夢。一剣 蒼茫たり 報国の心。漫りに道ふ 鵬程 六月 休むと。詎ぞ論ぜん 馬骨 千金に直するを。聊か文章を取って 結草に当てん。身を効(いた)すこと 未だ必ずしも 華簪に在らず。
※●吳吟:旧主故国を思って吟ずること ●鵬程休六月:荘子・逍遥遊篇に、大鵬が南冥に移るに際し、「去以六月息者也」とあり ●結草:死後に恩に報いること
1-2-10 《歲暮》 頼山陽
一出鄕園歲再除。慈親消息定何如。京城風雪無人伴。獨剔寒燈夜讀書。
《歳暮》
一たび郷園を出でて 歳 再たび除す。慈親の消息 定めて何如。京城の風雪 人の伴ふ無し。独り寒灯を剔って 夜 書を読む。
1-3 壬申(文化9年)
1-3-1 《元日》 頼山陽
九街鷄唱瑞氛新。簪笏朝正簇紫宸。誰識席門高臥士。木綿衾裏亦生春。
《元日》
九街の鶏唱 瑞氛 新たなり。簪笏 正に朝して 紫宸に簇る。誰か識らん 席門 高臥の士の。木綿衾裏も亦た春を生ずるを。
※●朝正:年賀に参朝する ●席門:席は蓆に同じ。むしろで作った門。漢書陳平伝に「以蓆為門」とあり
1-3-2 《畫鷹》 頼山陽
秋空那處不雄飛。食有霜禽棲有枝。何事侯門謀一飽。託身三尺碧絛絲。
《画鷹》
秋空 那れの処か 雄飛せざらん。食ふに霜禽有り 棲むに枝有り。何事ぞ 侯門に一飽を謀りて、身を託す 三尺の碧絛糸。
※●碧絛絲:青い真田紐
1-3-3 《題墨水冶春圖》 頼山陽
梅兒塚外綺羅多。細雨輕塵半是花。別有紅妝圍翠幰。金堤擁出一團霞。
《墨水冶春の図に題す》
梅児塚外 綺羅 多し。細雨 軽塵 半ば是れ花。別に 紅粧の翠幰を囲む有りて、金堤 擁出す 一団の霞。
※●墨水:隅田川 ●梅兒塚:謡曲で有名な梅若塚 ●翠幰:幰は車上のたれぎぬ。貴人の乗る車を意味する
1-3-4 《伏見桃山》 頼山陽
萬樹桃花映碧流。豐家誰認舊金甌。春風曾返東征旆。遺恨無人敎放牛。
《伏見桃山》
万樹の桃花 碧流に映ず。豊家 誰か認めん 旧金甌。春風 曽て返す 東征の旆。遺恨なり 人の牛を放たしむる無からんとは。
※●東征:天正18年、小田原征伐により天下統一を果たしたことをいう ●放牛:武を用いるをやめ太平を開くこと。尚書武成篇また礼記楽記篇に「帰馬於華山陽、放牛於桃林野」とあり
1-3-5 《題自畫枯木竹石時三月下旬也》 頼山陽
羅綺輕塵漲九衢。嬌紅媚綠待嬉娛。先生閉戶閑磨墨。卻畫寒林枯木圖。
《自画の枯木竹石に題す 時に三月下旬なり》
羅綺 軽塵 九衢に漲り。嬌紅 媚緑 嬉娯に待す。先生 戸を閉ぢて 閑かに墨を磨し。却って画く 寒林枯木の図。
1-3-6 《梅雨憶鄕》 頼山陽
滿巷深泥雨乍晴。輪蹄絡繹過門行。故園昔日西窗底。臥數黃梅墜地聲。
《梅雨 郷を憶ふ》
満巷の深泥 雨 乍ち晴る。輪蹄 絡繹として 門を過ぎ行く。故園 昔日 西窓の底。臥して数ふ 黄梅 地に墜つるの声。
1-3-7 《陶淵明圖》 頼山陽
羣馬蕭條跡欲無。寄奴鞭策捲荆吳。荒園掌大容松菊。猶是前朝舊版圖。
《陶淵明図》
群馬 蕭条として 跡 無からんと欲す。寄奴の鞭策 荊呉を捲く。荒園 掌大 松菊を容る。猶ほ是れ 前朝の旧版図。
※●羣馬:晋の帝室である司馬氏 ●寄奴:晋から禅譲を受けて宋を建国した劉裕の幼字 ●荒園:陶淵明の園。帰去来辞に「三径就荒、松菊猶存」とあり
1-3-8 《播州卽目》 頼山陽
亂松相映白沙明。隔水靑山對晚晴。鷗背無風細波靜。遠帆如坐近帆行。
《播州即目》
乱松 相ひ映じて 白沙 明らかなり。水に隔つる青山 晩晴に対す。鷗背 風 無く 細波 静かに。遠帆は坐するが如く 近帆は行く。
1-3-9 《野馬圖》 頼山陽
鐵蹄曾擬躪居延。野性終難任絡纏。今日寧思槽豆味。春陂水暖草如煙。
《野馬図》
鉄蹄 曽て居延を躪(フ)まんと擬す。野性 終に絡纏に任(タ)へ難し。今日 寧ぞ思はん 槽豆の味。春陂 水 暖かにして 草 煙の如し。
※●居延:西域の都市の名 ●槽豆:飼葉桶の豆。人から与えられる餌
1-3-10 《題不識菴擊機山圖》 頼山陽
鞭聲肅肅夜過河。曉見千兵擁大牙。遺恨十年磨一劍。流星光底逸長蛇。
《不識菴 機山を撃つの図に題す》
鞭声 粛粛として 夜 河を過る。暁に見る 千兵の大牙を擁するを。遺恨なり 十年 一剣を磨くに、流星光底 長蛇を逸せんとは。
※●不識菴:上杉謙信 ●機山:武田信玄
1-4 癸酉(文化10年)
1-4-1 《元日》 頼山陽
曉來誰喚我。今日是鷄晨。應有賀客來。衣帶出屈伸。先生不遽起。坐食且擁衾。所貴於隱者。臥起縱其身。手足與眼耳。用當由己心。姑看膝上書。好謝門前賓。過門聞喝道。不知何官人。
《元日》
暁来 誰か我を喚ぶ。今日 是れ鶏晨。応に賀客の来たる有るべし。衣帯 出でて屈伸せよ。先生 遽かには起たず、坐して食らひ 且つ 衾を擁す。隠者に於いて貴ぶ所。臥起 其の身を縦にす。手足と眼耳と。用ゐるは当に己の心に由るべし。姑く膝上の書を看て。好んで門前の賓を謝す。門を過ぐる喝道を聞くも。知らず 何れの官人なるかを。
※●喝道:行列の先払い。道行く人を叱って控えさせる声。
1-4-2 《家君吿暇東遊拉兒協來娛侍旬餘送至西宮別後賦此志之》 頼山陽
父執遣吾東。京城住五年。西悲闕定省。空望白雲懸。養痾雖有辭。負恩終靦然。何料父東遊。孫隨未及肩。豫得父執報。上國謀團圓。驚喜迎遡水。安頓借一廛。桂玉猶甘旨。徒弟足周旋。探勝每負劍。隨跟扶仆顚。買輿趨菟道。僦舟下𣾇川。暫侍衾枕側。送到兜鍪山。兒泣結吾韤。父呵勿留連。泣呵情無二。回頭海山煙。
《家君 暇を告げて 東遊し 児の協を拉し来たる。娯しみ侍すること旬余。送りて西宮に至る。別後 此れを賦して之に志(シル)す》
父執 吾をして東せしめ。京城に住むこと五年。西悲す 定省を闕くを。空しく白雲の懸かるを望む。養痾 辞 有りと雖も。恩に負きて終に靦然。何ぞ料らん 父 東遊せんとは。孫 随ひて 未だ肩に及ばず。予め父執の報を得たり。上国にて団円を謀れと。驚喜 迎へて水を遡り。安頓 一廛を借る。桂玉 猶ほ甘旨。徒弟 周旋に足る。勝を探りて毎に剣を負ひ。跟に随ひて仆顚を扶く。輿を買ひて菟道に趨り。舟を僦ひて𣾇川を下る。暫く衾枕の側に侍し。送りて兜鍪山に到る。児は泣いて吾が韤を結び。父は呵す 留連すること勿れと。泣呵の情に二無し。頭を回らせば 海山 煙る。
※●協:頼山陽の長男 ●桂玉:物価の高いこと。戦国策・楚策に「楚国之食貴於玉、薪貴於桂」とあり ●兜鍪山:西宮にある甲山 ●𣾇川:淀川
1-4-3 《奉別家君後上難波橋》 頼山陽
歡娛回首已茫然。獨倚長橋望海天。日落山低歸鳥沒。阿爺今夕宿何邊。
《家君に別れ奉りて後 難波橋に上る》
歓娯 首を回らせば 已に茫然。独り長橋に倚りて 海天を望む。日 落ち 山 低くして 帰鳥 没す。阿爺 今夕 何れの辺にか宿らん。
※●難波橋:大阪の大川(旧淀川)にかかる橋。江戸時代は天神橋、天満橋とともに浪華三大橋と呼ばれた。反りのあった橋の上からの眺望に優れ、遠くの山々まで見渡せた
1-4-4 《題鎭西八郞圖》 頼山陽
一箭曾期定八洲。豈圖失路老荒陬。剩將當日穿楊技。弋獲琉球葉大州。
《鎮西八郎の図に題す》
一箭 曽て期す 八洲を定めんことを。豈に図らんや 失路 荒陬に老いんとは。当日の穿楊の技を剰し将って。弋獲す 琉球 葉大の州。
※●鎭西八郞:源為朝 ●八洲:大八洲。日本 ●穿楊技:楚の養由基は楊の葉を百歩の距離から射て百発百中であった(戦国策・西周策)
1-4-5 《壬申遊播癸酉遊濃皆以秋月戲賦》 頼山陽
去歲黃花照別卮。今年黃葉映征衣。閑身自笑似孤鶴。每見秋風輒愛飛。
《壬申播に遊び 癸酉濃に遊ぶ 皆な秋月を以てす 戯れに賦す》
去歳の黄花 別卮を照らし。今年の黄葉 征衣に映ず。閑身 自ら笑ふ 孤鶴に似たるを。秋風を見る毎に 輒ち飛ぶを愛す。
※●壬申:文化9年 ●癸酉:文化10年
1-4-6 《赤坂觀東照公營》 頼山陽
原田每每繞高岡。想見觀師備韅鞅。行覺芒鞋無著處。滿山草棘總甘棠。
《赤坂にて東照公の営を観る》
原田 毎毎 高岡を繞る。想ひ見る 観師の韅鞅を備へしを。行くゆく覚ゆ 芒鞋 著くる処 無きを。満山の草棘 総て甘棠。
※●赤坂:関ケ原の東北の地名 ●觀師:観は「しめす」。軍の威容を示す ●甘棠:周代、召公の仁政を慕って、かつて召公がその下に宿った甘棠の樹を民たちが大事にし、詩に賦したことから、為政者の仁徳を象徴する
1-4-7 《遊北濃》 頼山陽
奚囊尋勝百峰閒。落日回頭不破關。不識北行深幾里。林端忽得賀州山。
《北濃に遊ぶ》
奚囊 勝を尋ぬ 百峰の間。落日 頭を回らす 不破の関。知らず 北行 深きこと幾里ぞ。林端 忽ち得たり 賀州の山。
※●奚囊:詩嚢。「奚」は童に同じ。唐の李賀が童に嚢を背負わせて同行させ、詩句を得ると、この嚢に入れたことによる ●不破關:不破の関。美濃西部の東山道の関所。現在の岐阜県不破郡関ケ原町 ●賀州:加賀
1-4-8 《善應寺訪禪智師》 頼山陽
端硏呵水試玉質。程家寶墨不滯筆。探槖寫詩與君看。燈明方丈夜促膝。出京三旬無此娛。半夕仙境夢蘧蘧。明朝上舟前灘去。回首霜林聞粥魚。
《善応寺に禅智師を訪ぬ》
端研 水を呵して 玉質を試む、程家の宝墨 筆を滞らさず。槖を探り 詩を写して 君と看る。灯 明らかにして 方丈 夜 膝を促(スス)む。京を出でて三旬 此の娯しみ無し。半夕の仙境 夢 蘧蘧たり。明朝 舟に上り 前灘に去る。首を回らせば 霜林 粥魚を聞かん。
※●善應寺:美濃の大垣にあり ●禪智師:僧侶。晦巌と称す ●端硏:端渓の硯 ●程家寶墨:程君房製造の高価な墨 ●粥魚:木魚
1-4-9 《淸洲早川氏庭有藤花一架因號藤陰其家自天正年閒世爲鄕長索我詩》 頼山陽
七道縱橫逞霸心。遺墟徒見棘蓁深。輸他十世甘耕耨。長占藤花半畝陰。
《清洲早川氏の庭に藤花一架有り。因りて藤陰と号す。其の家 天正年間より 世〻郷長為り。我が詩を索む》
七道 縦横 覇心を逞しくするも。遺墟 徒だ見る 棘蓁の深きを。輸す 他の十世 耕耨に甘んじて、長く 藤花 半畝の陰を占むるに。
※●淸洲:尾張国清洲。現・愛知県清須市。織田信長が本拠を置いた ●七道:東海・東山・北陸・山陽・山陰・西海・南海の七道。日本全国
1-4-10 《舟發大垣赴桑名》 頼山陽
蘇水遙遙入海流。櫓聲雁語帶鄕愁。獨在天涯年欲暮。一篷風雪下濃州。
《舟 大垣を発し 桑名に赴く》
蘇水 遥遥として 海に入りて流る。櫓声 雁語 郷愁を帯ぶ。独り天涯に在りて 年 暮れんと欲す。一篷の風雪 濃州を下る。
※●蘇水:木曽川。木曽を唐風に「岐蘇」と書くことから ●濃州:美濃国
1-4-11 《倦繡詞 倣東坡四時詞體》 頼山陽
繡歇雙娥重於山。停針聞盡漏聲殘。殘絨唾窗窗漸暗。羅衣春瘦怯晚寒。脈脈柔情向誰語。下簾怕見初月吐。不分東鄰小貍奴。瑞香花底來呼侶。
《倦繡詞 東坡の四時詞の体に倣ふ》
繡し歇みて 双娥 山よりも重し。針を停めて聞き尽くす 漏声の残するを。残絨 窓に唾すれば 窓 漸く暗く。羅衣 春 痩せて 晩寒を怯る。脈脈たる柔情 誰に向かって語らん。簾を下ろして初月の吐くを見るを怕る。不分なり 東隣の小狸奴。瑞香花底 来たりて侶を呼ぶ。
※●殘絨唾窗:布の切れ端を口に入れて丸め、窓外へ吐き出す ●狸奴:猫 ●瑞香:沈丁花の異名
1-4-12 《睡起詞 倣東坡四時詞體》 頼山陽
臙脂半褪鬢鬖沙。枕痕橫頰斂雙娥。瞢騰不獨春宵短。曩歡總自夢裏過。蘭煤影盡衾如水。一聲曉鶯綺窗紫。衣篝欲添海南沈。貪睡丫鬟呼不起。
《睡起詞 東坡の四時詞の体に倣ふ》
臙脂 半ば褪せて 鬢 鬖沙。枕痕 頬に横たはりて 双娥を斂む。瞢騰たるは 独り春宵 短ければのみならず。曩歓 総て自づから 夢裏に過ぐ。蘭煤 影 尽きて 衾 水の如く。一声の暁鶯 綺窓 紫なり。衣篝 海南の沈を添へんと欲すれど。睡りを貪る丫鬟 呼べども起きず。
※●曩歡:前夜の逢瀬の歓楽 ●衣篝:衣に香を焚きしめるのに使う籠 ●海南沈:南国で産する沈香 ●丫鬟:あげまきに結んだ髪、転じて幼い少女。ここでは女郎の身の回りの世話をするかむろのこと
1-4-13 《東山春興 其一》 頼山陽
煙襯軟塵紅欲浮。受風蝶翅弄輕柔。依山多有有花寺。沿水總無無酒樓。幾度能聞天上曲。一橋長隔世閒愁。唯敎行樂如吾意。何說鳧川不倒流。
《東山春興 其の一》
煙は軟塵に襯して 紅 浮かばんと欲す。風を受くる蝶翅 軽柔を弄す。山に依りて多く有り 花 有るの寺、水に沿ひて総て無し 酒 無しの楼。幾度か能く聞かん 天上の曲、一橋 長く隔つ 世間の愁ひ。唯だ行楽をして吾が意の如くならしめば、何ぞ説かん 鳧川の倒流せざるを。
※●東山:京都の東山 ●鳧川不倒流:鳧川は鴨川(賀茂川)。李白《江上吟》に「功名富貴若長在。漢水亦応西北流」とあり。また白河法皇は天下三不如意のひとつに賀茂川の水を挙げた。
1-4-14 《東山春興 其二》 頼山陽
鶯語丁寧雜管絃。綺羅叢裏酒如泉。香脂瀉出一川水。翠黛凝成千樹煙。巴竹未逢劉禹錫。江花常見李龜年。長安今豈登科地。走馬東風唯自顚。
《東山春興 其の二》
鶯語 丁寧にして 管絃に雑る。綺羅叢裏 酒 泉のごとし。香脂 瀉ぎ出だす 一川の水。翠黛 凝って成る 千樹の煙。巴竹 未だ逢はず 劉禹錫。江花 常に見る 李亀年。長安 今 豈に 登科の地ならんや。馬を東風に走らせて 唯だ自ら顚す。
※●巴竹:巴地方の竹。巴渝の竹枝の意味も兼ねる。巴渝は民間歌謡の竹枝の発祥地であり、劉禹錫はそれに影響を受けて《竹枝詞》を詠み、これが竹枝という詩のスタイルとして広まった ●李龜年:杜甫に《逢李亀年》詩に「正是江南好風景。落花時節又逢君」とあり
巻2
2-1 甲戌(文化11年)
2-1-1 《同武景文細香遊嵐山宿旗亭》 頼山陽
山色稍暝花尙明。綺羅分路各歸城。詩人故擬落人後。呼燭溪亭聽水聲。
《武景文・細香と同に嵐山に遊び 旗亭に宿る》
山色 稍 暝くして 花 尚ほ明らかなり。綺羅 路を分かちて 各〻城に帰る。詩人 故らに人後に落ちんと擬し。燭を呼びて渓亭に水声を聞く。
※●武景文:武元景文。名は質。登登菴と号した。備前の人。著書に『古詩韻範』 ●細香:江馬細香。山陽の門人
2-1-2 《題雲龍圖贈咼蘭譯官末永生生嘗遭遇事變被擢今職》 頼山陽
曾遇雷驚電擊時。嶄然頭角忽雄飛。還從雲表閑回顧。幾個同儕點額歸。
《雲竜図に題し 咼蘭訳官の末永生に贈る。生 嘗て事変に遭遇し 今の職に擢せらる》
曽て遇ふ 雷 驚き 電 撃するの時。嶄然たる頭角 忽ち雄飛す。還って雲表より閑かに回顧すれば。幾個の同儕 点額して帰る。
※●咼蘭譯官:オランダ通訳官 ●點額:竜門を上った鯉は竜となる(登竜門)が、上るのに失敗した鯉が額に傷をつけることを点額という
2-1-3 《通天橋》 頼山陽
橋底停車酒半醺。仰看霜樹亂紛紛。豪來卻上玉龍背。踏過一溪紅錦雲。
《通天橋》
橋底 車を停めて 酒 半ば醺ず。仰ぎ看れば 霜樹 乱れて紛紛たり。豪来 却って上る 玉竜の背。踏み過ぐ 一渓 紅錦の雲。
※●通天橋:京都伏見の東福寺にあり。渓流の上にかかり、紅葉の名所として知られる
2-1-4 《糾林》 頼山陽
貪涼不問夜如何。人散溪聲漸覺多。知是林端月已上。樹陰缺處碎金波。
《糾林》
涼を貪りて 問はず 夜の如何を。人 散じて 渓声 漸く多きを覚ゆ。知る 是れ 林端 月 已に上れるを。樹陰 欠くる処 金波 砕く。
※●糾林:京都下鴨神社境内にある「糺の森」
2-1-5 《歸省至尾路志喜》 頼山陽
籠輿衝暗夜過嶺。不知身入故國境。忽聞人語操鄕音。萬瓦蹙海浮月影。熟路敲得故人門。鮮鱗上盤酒漲尊。滿岸夜潮搖柔櫓。明朝應當到竹原。頻推船窗眠不得。夾舟江山皆舊識。
《帰省して尾路に至り喜びを志(シル)す》
籠輿 暗を衝いて 夜 嶺を過ぐ。知らず 身の故国の境に入るを。忽ち聞く 人語の郷音を操るを。万瓦 海に蹙(セマ)りて 月影に浮かぶ。熟路 敲き得たり 故人の門。鮮鱗 盤に上りて 酒 尊に漲る。満岸の夜潮 柔櫓を揺かせば。明朝 応に当に竹原に到るべし。頻りに船窓を推して 眠り得ず。舟を夾む江山 皆な旧識。
※●尾路:備後国尾道(現・広島県尾道市) ●竹原:頼家墳墓の地。当時は叔父の春風が在住
2-1-6 《踰松子山》 頼山陽
路入鄕州奈險何。長亭短堠萬坡陀。怪來客裏宵宵夢。如此窮山容易過。
《松子山を踰ゆ》
路 郷州に入りて 険を奈何んせん。長亭 短堠 万坡陀たり。怪来す 客裏 宵宵の夢。此くの如き窮山 容易に過ぎしを。
※●松子山:竹原の西、現・広島県東広島市にある山。標高524m ●短堠:一里塚
2-1-7 《到家》 頼山陽
飄飄蹤跡隔雲岑。倦鳥時知還故林。孤枕曾勞千里夢。一燈初話五年心。筠籠朋贈魚鰕美。園圃親誇松菊深。復欲東轅理行李。團欒能不惜分陰。
《家に到る》
飄飄たる踪跡 雲岑を隔つ。倦鳥 時に知る 故林に還るを。孤枕 曽て労す 千里の夢。一灯 初めて話す 五年の心。筠籠 朋は贈る 魚鰕の美。園圃 親は誇る 松菊の深きを。復た 東轅 行李を理めんと欲す。団欒 能く分陰を惜しまざらんや。
※●東轅:轅を東に向ける。京都に戻ること ●分陰:寸陰よりさらに短い時間。晋の陶侃は「大禹聖人乃惜寸陰、至衆人当惜分陰」と言った
2-1-8 《發廣島奉別家君》 頼山陽
悤悤盡杯酒。遲遲出門閭。回首語諸弟。侍養煩代予。舟進洲移城漸遠。遙見送者自厓返。一株如蓋立薄暮。猶認爺家對門樹。
《広島を発して家君に奉別す》
怱怱として杯酒を尽くし。遅遅として門閭を出づ。首を回らして諸弟に語る。侍養 予に代はるを煩はすと。舟 進み 洲 移りて 城 漸く遠く。遥かに見る 送者の厓より返るを。一株 蓋の如く薄暮に立ち。猶ほ認む 爺が家 門に対するの樹。
2-1-9 《舟宿暗門憶曾隨家君泊此今十一年矣》 頼山陽
篷窗月暗樹如煙。拍岸波聲驚客眠。默數浮沈十年事。平公塔下兩維船。
《舟 暗門に宿る。憶ふ 嘗て家君に従いて此に泊せしを。今 十一年なり》
篷窓 月 暗くして 樹 煙の如し。岸を拍つ波声 客眠を驚かす。黙して数ふ 浮沈 十年の事、平公塔下 両たび船を維ぐ。
※●暗門:音戸の瀬戸。広島県呉市と倉橋島の間にある、幅約80~90メートル、長さ約1キロメートルの海峡。平清盛が切り開いたという伝説が残る ●平公塔:平清盛の功徳をたたえるため、清盛没後、音戸に建立された清盛塚
2-1-10 《江戶西野老人歸自長崎余遇之廉塾賦贈》 頼山陽
集中欠載海西山。天遣吟翁一出關。堪想奚囊太彭張。貯將幾樣紫嵐還。
《江戸の西野老人 長崎より帰る。余 之に廉塾に遇ひ 賦して贈る》
集中 載するを欠く 海西の山、天 吟翁をして 一たび関を出でしむ。想ふに堪へたり 奚囊の太だ彭張せるを。幾様の紫嵐をか貯へ将って還る。
※●西野老人:市河寛斎 ●集中:寛斎の詩集の中 ●奚囊:詩句を入れる袋。李賀の故事による
2-1-11 《發鞆菅徵卿諸人送至仙醉山而別》 頼山陽
大舟載我去。小舟送我來。合纜繋孤島。與君傾別杯。兩舟終分背。擧手互相呼。共入水煙裏。櫓聲半有無。
《鞆を発す。菅徴卿 諸人 送りて仙酔山に至りて別る》
大舟 我を載せて去り。小舟 我を送りて来たる。纜を合せて孤島に繋ぎ。君と別杯を傾く。両舟 終に分背し。手を挙げて 互ひに相ひ呼ぶ。共に入る 水煙の裏。櫓声 半ば有無。
※●鞆:備後の鞆の津。鞆の浦。広島県福山市 ●菅徵卿:通称は良平、字は汝献。茶山の親戚で、鞆に住み、医業をなりわいとした。山陽の父・春水の門弟でもある ●仙醉山:鞆の浦の冲に浮かぶ仙酔島。景勝地として知られる
2-1-12 《舟中寄懷笠岡小寺帶刀》 頼山陽
幾簇海灣魚稻鄕。蘸潮粉壁閃殘陽。故人家在何邊岸。頻喚舵師問笠岡。
《舟中にて懐ひを笠岡の小寺帯刀に寄す》
幾簇の海湾 魚稲の郷。潮に蘸(ひた)す粉壁 残陽に閃く。故人の家は何れの辺の岸にか在る。頻りに舵師を喚びて 笠岡を問ふ。
※●笠岡:備中国笠岡。現・岡山県笠岡市 ●小寺帶刀:名は廉之、字は子和。稲荷神社の神職
2-1-13 《八幡公》 頼山陽
結髮從軍弓箭雄。八州草木識威風。白旗不動兵營靜。立馬邊城看亂鴻。
《八幡公》
結髪 軍に従って 弓箭 雄なり、八州の草木 威風を識る。白旗 動かず 兵営 静かに。馬を辺城に立てて 乱鴻を看る。
※●八幡公:源八幡太郎義家 ●結髮:元服すること ●看亂鴻:義家が後三年の役で、雁の列が乱れるのを見て伏兵がいることに気付いたという逸話
2-1-14 《源廷尉》 頼山陽
寶刀跨海斬鯨鯢。貝錦歸鄕忽斐萋。阿兄不識肥家策。枉煮同根養牝鷄。
《源廷尉》
宝刀 海を跨いで 鯨鯢を斬る。貝錦 郷に帰って 忽ち斐萋。阿兄は識らず 肥家の策。枉げて同根を煮て 牝鶏を養ふ。
※●源廷尉:源義経。廷尉は検非違使 ●貝錦・斐萋:斐萋は萋斐に同じ。他人の小さな過ちを集めて粉飾し讒言することを「萋斐貝錦」という ●煮同根:曹植の七歩詩に「煮豆燃豆箕。豆在釜中泣。本是生同根。相煎何太急。」という
2-1-15 《楠公別子圖》 頼山陽
海甸陰風草木腥。史編特筆姓名馨。一腔熱血存餘瀝。分與兒曹灑賊庭。
《楠公 子に別るるの図》
海甸の陰風 草木 腥し。史編 特筆して 姓名 馨し。一腔の熱血 余瀝を存し。児曹に分与して 賊庭に灑がしむ。
※●楠公:楠木正成
2-1-16 《漂母飯韓信圖》 頼山陽
龍虎撐腸久失靈。此閒不復博藜羹。誰投一飯王孫腹。幾粒蒸爲百萬兵。
《漂母 韓信に飯するの図》
竜虎 腸を撐へて 久しく霊を失ふ。此の間 復た藜羹を博せず。誰か一飯を投ず 王孫の腹。幾粒 蒸して為る 百万の兵。
※●龍虎:兵法。『六韜』の中に「竜韜」「虎韜」の篇がある
2-1-17 《韓世忠》 頼山陽
曾被卿卿認虎鼾。功成歸臥夢俱安。笑佗老范摟西子。何似君家結髮歡。
《韓世忠》
曽て卿卿に虎鼾を認められ。功 成りて 帰臥すれば 夢 俱に安らかなり。笑ふ 佗の老范の西子を摟するを。何ぞ君が家の結髪の歓に似ん。
※●韓世忠:南宋の政治家。金との和平を主張する秦檜と対立して失脚し、西湖で悠悠自適の晩年を送った ●卿卿:夫への愛情深い妻 ●虎鼾:韓世忠は虎のような大鼾がきっかけとなって、その妻と結ばれることとなった ●老范:范蠡 ●西子:西施
2-1-18 《岳飛》 頼山陽
唾手燕雲志已空。兩河百郡虜塵重。西湖贏得墳三尺。留與遊人認宋封。
《岳飛》
唾手燕雲の志 已に空しく。両河百郡 虜塵 重なる。西湖 贏し得たり 墳三尺、遊人に留与して 宋封を認めしむ。
※●岳飛:南宋の軍人・政治家。金への徹底抗戦を主張して秦檜と対立し、無実の罪で獄に下されて殺された ●燕雲:燕雲十六州。後晋が契丹(遼)に割譲して以来、漢民族居住地でありながら北方異民族の支配を受けることとなった ●兩河:河北と河南。黄河南北の地。すなわち中原。北宋滅亡後、金に支配され、後にはさらに金を滅ぼした蒙古(元)の支配を受けた ●墳三尺:西湖のほとりにある岳飛の墓
2-1-19 《東山春遊圖》 頼山陽
酒光漲幄鬱紅霞。醉餞徂春日已斜。絕愛雪兒知我意。故開歌扇受飛花。
《東山春遊の図》
酒光 幄に漲りて 紅霞 鬱たり。酔ひて徂春を餞れば 日 已に斜めなり。絶だ愛す 雪児の我が意を知り。故らに歌扇を開いて飛花を受くるを。
※●雪兒:唐の李密の愛妓の名。転じて芸妓のこと
2-1-20 《美人獨坐圖》 頼山陽
獨倚銀屛釵影橫。酒醒燈冷此時情。芳心一點向誰語。付與鄰樓絃索聲。
《美人独坐図》
独り銀屛に倚れば 釵影 横たはる。酒 醒め 灯 冷やかなり 此の時の情。芳心 一点 誰に向かってか語らん。付与す 隣楼 絃索の声に。
2-1-21 《四條橋圖》 頼山陽
笑靨顰眉幾送迎。一橋個處太多情。軟沙細石春流駛。裙影悤悤碎復生。
《四条橋の図》
笑靨 顰眉 幾送迎。一橋 個の処 太だ多情。軟沙 細石 春流 駛(ハヤ)し。裙影 怱怱として 砕けて復た生ず。
※●四條橋:京都の四条大橋 ●笑靨:えくぼ
2-1-22 《放龜圖》 頼山陽
春塘泥暖水芹香。曳尾應歸舊樂鄕。叱叱此閒休左顧。平生無夢到金章。
《亀を放つの図》
春塘 泥 暖かにして 水芹 香し。尾を曳きて 応に帰るべし 旧楽郷。叱叱 此の間 左顧するを休めよ。平生 夢の金章に到ること無し。
※●左顧:晋の孔愉が亀を助けて放してやった時、亀がしきりに左に振り向いた。のち、孔愉が餘不亭侯に封ぜられて侯の印璽を鋳造したところ、何度鋳なおしても印亀(亀形のつまみ)が左に向いてしまったという
2-1-23 《卓文君》 頼山陽
兩頰芙蓉凝露香。當壚醉殺幾高陽。借來夫壻彫蟲筆。畫得雙娥似個長。
《卓文君》
両頰の芙蓉 露香を凝らし。壚に当たりて 酔殺す 幾高陽。夫婿 彫虫の筆を借り来たりて。双娥を画き得て 個くの似(ゴト)く長し。
※●當壚:酒場で客の相手をする ●高陽:酒飲み。漢の酈食其が「高陽の酒徒」と称して高祖にまみえたことによる ●夫壻:卓文君の夫、司馬相如
2-1-24 《東坡笠屐圖》 頼山陽
幾帙殘編掃白魚。還衝泥濘過村墟。憶麼蓮燭送歸院。坐讀玉堂森寶書。
《東坡笠屐の図》
幾帙の残編 白魚を掃ふ。還た泥濘を衝いて 村墟を過ぐ。憶ふや麼や 蓮燭もて送られて院に帰り。坐して 玉堂に宝書 森たるを読みしを。
※●東坡:蘇東坡 ●笠屐:笠をかぶり下駄を履く。蘇東坡、謫せられて広東にあり、読む本もなかった。ある人の家に柳宗元の文が数冊あると聞いて、訪ねていって借りて読んでいたが、ある日雨に会い、笠と下駄を借りて帰ったという ●白魚:紙魚
2-1-25 《郭汾陽聚兒孫圖》 頼山陽
令公孫子似螽斯。何獨膝前羣綵嬉。曾逐虎狼全海宇。生靈誰不郭家兒。
《郭汾陽聚児孫図》
令公の孫子は螽斯に似たり。何ぞ独り 膝前の群綵嬉のみならんや。曽て 虎狼を逐ひて海宇を全うす。生霊 誰か郭家の児ならざらん。
※●郭汾陽:郭子儀。安史の乱平定に大功あり、汾陽王に封ざられた ●令公:郭子儀のこと。24年間中書令をつとめた ●螽斯:イナゴ。非常に多くの子を産む。郭子儀は、八子七婿、孫は数十人に及んだ ●生靈:人民
2-1-26 《岡山訪姬井翁》 頼山陽
懷刺問父執。深巷路屈盤。開門問誰歟。聞名迎且歡。草卒吹爐火。俄頃羅杯盤。呼兒訂舊誼。又見儒衣冠。風俗日頹敝。耆宿歲凋殘。後輩何所望。願君强加餐。
《岡山に姫井翁を訪ぬ》
刺を懐にして 父執を問ふ。深巷 路 屈盤す。門を開いて誰かと問ひ。名を聞いて迎へ且つ歓ぶ。草卒 炉火を吹き。俄頃 杯盤を羅(ツラ)ぬ。児を呼んで旧誼を訂し。又た儒の衣冠を見る。風俗 日に頽敝し。耆宿 歳に凋残す。後輩 何の望む所ぞ。願はくは 君 強いて餐を加へよ。
※●姬井翁:名は元喆、字は仲明、号は桃源。岡山藩儒
2-1-27 《紫石硯歌 謝小野櫟翁》 頼山陽
君不見文士有硯猶英雄有劍。終始相伴成功名。獲一畢生意屬饜。不學富兒務收羅。馬肝鳳咮競華豔。嗟我廿年筆爲食。未得一石能發墨。紫端蒼歙多贋造。塗澤誤人認玉色。君亭無記徵於吾。文思窮竭筆欲枯。潤以一片紫雲腴。古錦爲囊鐵櫪蓋。啓縢黝光流玉膚。側視黃紋簇且散。時有細眼點綠珠。神龍跳出墨池裏。洪波蕩潏溢四隅。得此摩挲不釋手。卻顧蕪辭覐顏厚。何異懦夫佩莫耶。一揮難酬脫贈友。從今磨礪伴堅節。會向文陣試蹀血。驅濤湧雲隨顧眄。縱橫百戰無缺折。誓志欲追維翰鐵。
《紫石硯の歌 小野櫟翁に謝す》
君見ずや 文士の硯有るは 猶ほ 英雄の剣有るがごとく。終始 相ひ伴ひて功名を成すを。一を獲れば生を畢るまで 意 属饜す。学ばず 富児の収羅に務め。馬肝 鳳咮 華艶を競ふを。嗟(ああ) 我 廿年 筆もて食を為し。未だ一石の能く墨を発するを得ず。紫端 蒼歙 贋造 多く。塗沢 人を誤って玉色を認めしむ。君が亭 記 無く 吾に徴す。文思 窮まり竭きて 筆 枯れんと欲し。潤すに 一片の紫雲の腴を以てす。古錦 囊と為し 鉄櫪 蓋とす。縢を啓けば 黝光 玉膚に流る。側視すれば 黄紋 簇がり且つ散ず。時に細眼の緑珠を点ずる有り。神竜 跳び出だす 墨池の裏。洪波 蕩潏して 四隅に溢る。此を得て 摩挲 手より釈(ハナ)さず、却って蕪辞を顧みて顔厚を覐(オボ)ゆ。何ぞ異ならん 懦夫の莫耶を佩ぶるに。一揮 脱贈の友に酬い難し。今より磨礪 堅節を伴ひ。会らず 文陣に向かって蹀血を試みん。涛を駆り 雲を湧かして 顧眄に随ふ。縦横 百戦 欠折 無し。志に誓ひて 追はんと欲す 維翰の鉄。
※●紫石硯:端渓の硯。良質の硯として有名。紫色を帯びる ●小野櫟翁:備中長尾の人。丹波亀山藩の御用達 ●馬肝・鳳咮:名硯の名 ●蒼歙:龍尾渓の硯 ●莫耶:古の名剣 ●維翰鐵:五代後晋の桑維翰は、若いころ鉄の硯を作り、この硯がダメにならない限り学問をやめないと誓い、ついに進士に及第した
2-2 乙亥(文化12年)
2-2-1 《登登菴誘看梅於梅宮嵯峨》 頼山陽
曉窗眠起鳥聲多。嫩日暉暉透碧紗。便有吟朋折簡喚。喚吾西郭看梅花。
《登登菴 誘ひて 梅を梅宮 嵯峨に看る》
暁窓 眠りより起くれば 鳥声 多し。嫩日 暉暉として 碧紗に透く。便ち 吟朋の折簡して喚ぶ有り。吾を喚んで 西郭に梅花を看んと。
※●登登菴:武元景文 ●梅宮・嵯峨:ともに洛西にあり ●折簡:二つ折りにした短い手紙。また短い手紙を送ること
2-2-2 《絕句》 頼山陽
閑移殘燭照甁花。愛看嬌影在窗紗。忽記東山觀舞日。銀屛光射寶釵斜。
《絶句》
閑かに残燭を移して 瓶花を照らし。愛し看る 嬌影の窓紗に在るを。忽ち記す 東山に舞を観たる日。銀屛 光射して 宝釵 斜めなりしを。
2-2-3 《聞家君病歸省舟中作》 頼山陽
播山過盡備山靑。十幅征帆二日程。歸思猶嫌風力軟。篷窗穿眼廣洲城。
《家君の病むを聞きて帰省する舟中の作》
播山 過ぎ尽くして 備山 青し。十幅の征帆 二日の程。帰思 猶ほ嫌ふ 風力の軟らかなるを。篷窓 眼を穿つ 広洲城。
※●播山:播磨の山 ●備山:吉備の山 ●廣洲:広島
2-2-4 《聞家君病歸省舟中作》 頼山陽
滿船齁䶎雜波聲。獨有愁人眠不成。强胠行囊覓書讀。舟燈一盞剔還明。
《家君の病むを聞きて帰省する舟中の作》
満船の齁䶎 波声に雑り。独り 愁人の眠り成らざる有り。強ひて行囊を胠(ひら)きて書を覓めて読む。舟灯 一盞 剔れば還た明らかなり。
※●齁䶎:いびきの声
2-2-5 《自鞆上陸》 頼山陽
麥浪埋人礙遠山。籃輿穿過綠漫漫。風吹時見峰尖露。猶似船窗昨日看。
《鞆より陸に上る》
麦浪 人を埋めて 遠山を礙(サマタ)ぐ。籃輿 穿ち過ぐれば 緑 漫漫たり。風 吹きて 時に見る 峰尖の露はるるを。猶ほ似たり 船窓 昨日の看に。
※●鞆:備後国鞆の津
2-2-6 《自鞆上陸》 頼山陽
麥氣薰人黃菜稀。天鷚相和帶聲飛。旅裝難定暄涼節。午著單衣晚袷衣。
《鞆より陸に上る》
麦気 人を薫じ 黄菜 稀なり。天鷚 相ひ和して 声を帯びて飛ぶ。旅装 定め難し 暄涼の節。午には単衣を著し 晩には袷衣。
※●天鷚:ヒバリ ●袷衣:あわせ。裏地のついた着物
2-2-7 《侍家君同賦依菅劉二翁唱和之韻》 頼山陽
麥寒猶未脫錦裘。柳外時聞黃栗留。遊子寸心尤愛日。老親短鬢又添秋。新賖書卷堆支架。舊記花梢高過樓。多謝阿孃諳食性。手烹園筍斸貓頭。
《家君に侍し同に賦す。菅・劉二翁の唱和の韻に依る。》
麦寒 猶ほ未だ 錦裘を脱せず。柳外 時に聞く 黄栗留。遊子の寸心 尤も日を愛しみ。老親の短鬢 又た秋を添ふ。新賖の書巻 堆(うずたか)く架を支へ。旧記の花梢 高く楼を過ぐ。多謝す 阿嬢 食性を諳んじ。手づから園筍を烹て 猫頭を斸るを。
※●菅劉:菅茶山と古賀精里 ●黃栗留:ウグイス ●阿嬢:母 ●貓頭:竹の子の異名
2-2-8 《哭弟新甫》 頼山陽
曉原顧影太伶俜。千里孤飛啼鶺鴒。往事不堪春夢短。池塘依舊草靑靑。
《弟 新甫を哭す》
暁原 影を顧みれば 太だ伶俜。千里 孤飛して 鶺鴒 啼く。往事 堪へず 春夢の短きに。池塘 旧に依りて 草 青青。
※●新甫:山陽の従弟。春風の子。名は元鼎、字は新甫、号は景譲。山陽が廃嫡されたことにより、春水の養嗣子となったが、26歳で病没した ●鶺鴒:詩経の小雅常棣に「鶺鴒在原。兄弟急難」とあり
2-2-9 《東上與佐藤虞臣同舟至尾路》 頼山陽
孤島維舟治午餐。鮮鱗撥剌割登盤。岸頭花發無名草。折插船窗帶醉看。
《東上して佐藤虞臣と与に舟を同じくし 尾路に至る》
孤島 舟を維ぎて 午餐を治む。鮮鱗 撥剌として 割きて盤に登らす。岸頭 花 発く 無名の草。折りて船窓に挿し 酔ひを帯びて看る。
※●尾路:尾道
2-2-10 《題新羅三郞吹笙足柄山圖》 頼山陽
鶺鴒原遠月孤明。欲出關門且駐行。應惜平生廣陵散。鐵衣風露夜吹笙。
《新羅三郎 笙を足柄山に吹くの図に題す》
鶺鴒原 遠くして 月 孤り明らかなり。関門を出でんと欲して 且つ行を駐む。応に平生の広陵散を惜しむべし。鉄衣 風露 夜 笙を吹く。
※●新羅三郞:源義光。八幡太郎義家の弟。後三年の役の際、兄を助けようと奥州に向かったが、途中の足柄山で笙の師匠である豊原時元の遺子・時秋に秘曲を授けた ●廣陵散:晋の嵆康が隠者から学んだという秘曲
2-2-11 《雜詩》 頼山陽
新尹東來舊尹還。過門車馬日喧闐。諸公鞅掌勤王事。成就吾儕企足眠。
《雑詩》
新尹は東より来たり 旧尹は還る。門を過ぐる車馬 日〻喧闐たり。諸公 鞅掌して王事に勤め。成就す 吾が儕の企足して眠るを。
※●新尹:新任の京都所司代。小田原藩主・大久保忠真。 ●舊尹:前任の京都所司代。小浜藩主・酒井忠進。老中に任じられて江戸へ戻った
2-2-12 《春日田園》 頼山陽
午餉溫香恰療飢。田頭曝背日遲遲。童孫不肯從翁睡。野菜花邊捉蝶兒。
《春日田園》
午餉 温香 恰も飢を療す。田頭 背を曝せば 日 遅遅たり。童孫 肯へて翁に従って睡らず。野菜花辺に 蝶児を捉ふ。
※●野菜:野辺に生じているあおもの
2-2-13 《秋日田園》 頼山陽
茅檐斷續夕陽中。打稻聲聲亂晚風。隨分農家還好事。縛籬護得雁來紅。
《秋日田園》
茅檐 断続す 夕陽の中。打稲 声声 晩風に乱る。分に随って 農家 還た事を好み。籬を縛りて護り得たり 雁来紅。
※●雁來紅:葉鶏頭
2-2-14 《除夕》 頼山陽
爲客京城五餞年。雪聲燈影兩依然。爺孃白髮應添白。說著吾儂共不眠。
《除夕》
客と為って京城に五たび年を餞る。雪声 灯影 両つながら依然たり。爺嬢の白髪 応に白を添ふべし。吾儂を説著して共に眠らざらん。
2-3 丙子(文化13年)
2-3-1 《客恨》 頼山陽
客恨逢春不解消。平蕪斷靄路迢迢。銅駝橋外千絲柳。五見東風上舊條。
《客恨》
客恨 春に逢ふも 解消せず。平蕪 断靄 路 迢迢たり。銅駝橋外 千糸の柳。五たび見る 東風の旧条に上るを。
※●銅駝橋:京都二条橋
2-3-2 《題夏山驟雨圖》 頼山陽
晴虹一帶界孱顏。夕照斜明蒼翠閒。雲意猶留餘興在。載將殘雨過佗山。
《夏山の驟雨図に題す》
晴虹 一帯 孱顔を界し。夕照 斜めに明らかなり 蒼翠の間。雲意 猶ほ余興を留めて在り。残雨を載せ将って佗山を過ぐ。
2-3-3 《春草》 頼山陽
燒痕煙暖日侵尋。綠映裙腰遠益深。一緉弓鞋無著處。可怜寸寸總春心。
《春草》
焼痕 煙 暖かくして 日に侵尋。緑は裙腰に映じて 遠くして益〻深し。一緉の弓鞋 著る処無し。怜れむべし 寸寸 総て春心なるを。
※●燒痕:野焼きのあと ●一緉:一足。履物のひとそろい
2-3-4 《訪東郊僧菴看梅》 頼山陽
槿籬竹落一村村。人語稀疎鳥語喧。聞說君家個中住。有梅花處便敲門。
《東郊の僧菴を訪ねて梅を看る》
槿籬 竹落 一村村。人語 稀疎にして 鳥語 喧し。聞くならく 君が家 個の中に住すと。梅花 有る処 便ち門を敲く。
2-3-5 《訪東郊僧菴看梅》 頼山陽
禪榻參梅頓爽然。欲將茗盌換觥船。冰心可恨相知晚。紅紫叢中過十年。
《東郊の僧菴を訪ねて梅を看る》
禅榻 梅に参じて 頓に爽然たり。茗椀を将って觥船に換へんと欲す。氷心 恨むべし 相ひ知ること晩きを。紅紫叢中に十年を過ぐ。
※●觥船:大きな酒杯
2-3-6 《寄題家大人紙帳》 頼山陽
冰紋四壁想輕明。擁護老眠應有情。囑汝莫遮思子夢。放敎容易到京城。
《家大人の紙帳に寄題す》
氷紋 四壁 軽明を想ふ。老眠を擁護して 当に情有るべし。汝に嘱す 子を思ふの夢を遮ること莫く。放(ホシイママ)に 容易に京城に到らしめよ。
※●家大人:家君に同じ。父親 ●紙帳:紙製の蚊帳
2-3-7 《明妃夢歸漢倣李長吉體》 頼山陽
延壽妖血已爲碧。苔斑凝暈侵玉舃。魚鑰沈沈夜不鎖。三十六宮春月白。君王龍顏霜上髭。迎吾一咲歸何遲。塞塵吹老春風面。方似當初畫圖時。俯首不知寶釵嚲。棖觸銀燭高花墮。蘧然氈帳曉色明。帳外河冰裂有聲。
《明妃 夢に漢に帰る 李長吉の体に倣ふ》
延寿の妖血 已に碧と為り。苔斑 暈を凝らして 玉舃を侵す。魚鑰 沈沈として 夜 鎖さず。三十六宮 春月 白し。君王の竜顔 霜 髭に上る。吾を迎へて一咲す 帰ること何ぞ遅きと。塞塵 吹き老ゆ 春風の面。方に 当初 画図の時に似たり。首を俯して 知らず 宝釵の嚲(タ)れ。銀燭に棖触して 高花 堕つるを。蘧然 氈帳に暁色 明らかなり。帳外 河氷 裂けて声 有り。
※●明妃:王昭君 ●李長吉:李賀 ●延壽:毛延寿。宮中の画工。王昭君から賄賂がなかったのでその肖像を醜く描き、そのため王昭君が匈奴へ送られることになった。王昭君出立の際に事が明らかとなり、死罪となった
2-3-8 《梅菴小集詠竹主人愛楊誠齋詩因戲擬其體》 頼山陽
雨催新竹幾番生。養就翠光旋滿庭。到得千竿蔽空日。卻將雨點一齊靑。
《梅菴小集にて竹を詠ず。主人は楊誠斎の詩を愛す。因りて戯れに其の体に倣ふ》
雨は新竹を催して 幾番か生ず。翠光を養ひ就して 旋ち庭に満つ。千竿 空を蔽ふの日に到り得なば。却って雨点を将って 一斉に青からん。
※●梅菴:小林万次郎。梅菴は号だが、室号なので万次郎の自宅を指す名でもある ●楊誠齋:楊万里。南宋四大家のひとり
2-3-9 《梅菴小集詠竹主人愛楊誠齋詩因戲擬其體》 頼山陽
傍窗栽竹幾竿橫。夜靜時爲槭槭鳴。不問是風將是雨。愛渠常和煮茶聲。
《梅菴小集にて竹を詠ず。主人は楊誠斎の詩を愛す。因りて戯れに其の体に倣ふ》
窓に傍ひ竹を栽ゑて 幾竿か横たはる。夜 静かにして 時に為す 槭槭の鳴。問はず 是れ風か 将た是れ雨かを。愛す 渠が常に煮茶の声に和するを。
※●梅菴:小林万次郎。梅菴は号だが、室号なので万次郎の自宅を指す名でもある ●楊誠齋:楊万里。南宋四大家のひとり
2-3-10 《詠櫻花二首 其一》 頼山陽
層層霞綺襯仙綃。每怕春風相動搖。豐豔尤宜銀燭照。輕狂時向錦茵飄。冰肌新浴粉猶膩。玉頰微醺紅欲潮。獨立東方長擅美。懶從桃李競芳標。
《桜花を詠ず二首 其の一》
層層たる霞綺 仙綃に襯す。毎に怕る 春風の相ひ動揺するを。豊艶 尤も銀燭の照らすに宜しく。軽狂 時に錦茵に向かって飄る。氷肌 新たに浴して 粉 猶ほ膩らかに。玉頰 微かに醺じて 紅 潮せんと欲す。東方に独立して 長く美を擅にす。桃李に従って芳標を競ふに懶し。
2-3-11 《詠櫻花二首 其二》 頼山陽
豐肌弱骨好容光。管領春風長擅場。蜀樹心甘來作婢。洛花顏厚卻稱王。帳圍嬌影春雲暖。燭照殘妝晴雪香。一朵如敎放翁見。碧鷄當悔枉顚狂。
《桜花を詠ず二首 其の二》
豊肌 弱骨 好容光。春風を管領して 長く場を擅にす。蜀樹 心に甘んず 来たりて婢と作るに。洛花 顔 厚くして 却って王と称す。帳は嬌影を囲んで 春雲 暖かく。燭は残粧を照らして 晴雪 香し。一朶 如し 放翁をして見せしめば。碧鶏 当に悔ゆべし 枉げて顚狂せしを。
※●蜀樹:海棠のこと。蜀に多かったことから ●洛花:牡丹。洛陽でさかんで栽培された ●放翁・碧鷄:放翁は陸游の号。陸游の《花時遍遊諸家園》詩に「走馬碧鷄坊裏去 。市人喚作海棠顚。」とある”
2-3-12 《詠牽牛花》 頼山陽
幾朵瑠璃露欲流。曉風微動弄輕柔。黃花應約爲兄弟。讓與東籬末上秋。
《牽牛花を詠ず》
幾朶の瑠璃 露 流れんと欲し。暁風 微かに動いて 軽柔を弄す。黄花 応に約すべし 兄弟と為るを。譲与す 東籬末上の秋。
※●黃花:菊のこと ●東籬:陶淵明「採菊東籬下」より、東籬といえば菊を植えた籬を指す
2-3-13 《詠牽牛花》 頼山陽
偸得天孫碧玉卮。銀灣宴罷曉初回。知它宿醉困無力。爲借筇枝扶起來。
《牽牛花を詠ず》
偸み得たり 天孫 碧玉の卮。銀湾 宴 罷みて 暁に初めて回る。知る 它の宿酔 困して力無きを。為めに筇枝を借りて 扶け起こし来たる。
※●銀灣:銀河の湾
2-3-14 《題石山旗亭》 頼山陽
湖樓坐看雨如絲。獵獵風蒲拂釣磯。認得跳珠千點裏。高跳幾點是魚飛。
《石山の旗亭に題す》
湖楼 坐ろに看る 雨 糸の如きを。猟猟たる風蒲 釣磯を払ふ。認め得たり 跳珠 千点の裏。高く跳る幾点かは 是れ魚の飛ぶなるを。
※●石山:近江国石山。現・滋賀県大津市
2-3-15 《墨竹》 頼山陽
吾家窗竹玉參差。愛護寧容俗眼窺。何物畫工偸樣去。鵝溪絹上著橫枝。
《墨竹》
吾が家の窓竹 玉 参差。愛護 寧ぞ容さんや 俗眼の窺ふを。何物の画工か 様を偸み去り。鵝渓絹上に横枝を著く。
※●鵝溪絹:鵝渓は四川の地名。その地で産する上等の絹。絵絹(キャンバス)として重んじられた
2-3-16 《盆荷》 頼山陽
風搖翠蓋雨跳珠。幾點嫣紅膩玉膚。剪取天機雲錦片。瓦盆數尺小西湖。
《盆荷》
風は翠蓋を揺らし 雨は珠を跳らす。幾点の嫣紅 玉膚に膩す。剪取す 天機 雲錦の片。瓦盆 数尺 小西湖。
2-3-17 《欲遊北山雨不果小酌齋中題或所托畫山水》 頼山陽
檐聲簌簌意踟蹰。欲出還嫌泥路迂。𢬵向西窗賖小醉。臥看一幅雨山圖。
《北山に遊ばんと欲するも 雨ふりて果さず。斎中に小酌し 或るひと托する所の画山水に題す》
檐声 簌簌として 意 踟蹰す。出でんと欲するも 還た嫌ふ 泥路の迂なるを。𢬵(ス)てて 西窓に向かって小酔を賖り。臥して看る 一幅の雨山の図。
※●簌簌:涙や雨のはらはらと落ちるさま
2-3-18 《題畫山水爲小石國手》 頼山陽
紅塵堆裏得閑難。且寄幽心圖畫閒。香燼茶殘客初散。小窗明處看春山。
《画山水に題して小石国手の為めにす》
紅塵堆裏 閑を得ること難し。且らく幽心を寄す 図画の間。香 燼し 茶 残して 客 初めて散ず。小窓 明るき処 春山を看る。
※●小石國手:小石檉園。国手は医師のこと
2-3-19 《漁歌子二闋 其一》 頼山陽
釣罷秋風鳴岸蘆。蓼花影外夕陽餘。兒暖酒。婦烹魚。繋舟是處是吾廬。
《漁歌子二闋 其の一》
釣り罷みて 秋風 岸芦に鳴り。蓼花影外 夕陽 余る。児は酒を暖め。婦は魚を烹る。舟を繋げば是(イタ)る処 是れ吾が廬。
※●漁歌子:詞(詩餘)の曲名 ●二闋:闋は歌のひとまとり ●是處:ここでの「是」は「すべて」の義。蘇軾の《予以事繋御史台獄云々》詩にも「是處靑山可埋骨(是る処の青山 骨を埋むべし)」とある
2-3-20 《漁歌子二闋 其二》 頼山陽
買酒歸來路欲迷。秋潮帶雨已平堤。魚槴沒。蟹簾低。釣舟移繋荻洲西。
《漁歌子二闋 其の二》
酒を買ひて帰り来れば 路 迷はんと欲す。秋潮 雨を帯びて 已に堤に平らかなり。魚槴は没し。蟹簾は低る。釣舟 移し繋ぐ 荻洲の西。
※●漁歌子:詞(詩餘)の曲名 ●二闋:闋は歌のひとまとり ●魚槴:魚を捕らえる道具 ●蟹簾:簾で流れをさえぎって蟹を捕らえる道具
2-3-21 《題畫》 頼山陽
山窗雨過歇蟬聲。瓦鼎猶爲蚯蚓鳴。林日已斜棊伴散。一簾樹影到楸枰。
《題画》
山窓 雨 過ぎて 蟬声 歇み。瓦鼎 猶ほ為す 蚯蚓の鳴。林日 已に斜めにして 棋伴 散じ。一簾の樹影 楸枰に到る。
※●蚯蚓鳴:湯が静かに沸騰する音をミミズの鳴き声にたとえる ●楸枰:碁盤
2-3-22 《題介石居士畫山》 頼山陽
石翁皴染貌孱顏。品在倪迂范緩閒。南海由來多秀絕。不知粉本是何山。
《介石居士の画山に題す》
石翁の皴染 孱顔を貌(カタド)る。品は 倪迂 范緩の間に在り。南海 由来 秀絶 多し。知らず 粉本は是れ何れの山ぞ。
※●介石居士:野呂介石、名は隆。和歌山の人。山水画に巧み ●倪迂:元の倪瓚。あまりに潔癖だったため世人から倪迂と呼ばれた。無錫の人。山水画に巧みで詩もよくした ●范緩:宋の范寛。性温厚で世人から范緩と呼ばれた。 ●粉本:絵の下書き。また手本
2-3-23 《題畫》 頼山陽
溪聲作意和咿唔。檐樹禽棲日落初。欲趁餘明了閑課。倚軒擎起讀殘書。
《題画》
渓声 意を作して 咿唔に和す。檐樹 禽 棲む 日 落つるの初め。余明を趁ひて 閑課を了へんと欲し。軒に倚りて 擎げ起こす 読残の書。
※●咿唔:読書の声 ●餘明:沈みゆく夕陽の残んの明かり
2-3-24 《秋蝶》 頼山陽
漆園夢覺已秋霜。雙翅誰憐褪粉光。一尺黃花飛不到。曾追春色過鄰牆。
《秋蝶》
漆園 夢 覚むれば 已に秋霜。双翅 誰か憐れまん 粉光の褪せしを。一尺の黄花 飛び到れず。曽ては春色を追ひて隣牆を過ぎしに。
※●漆園:「胡蝶の夢」で有名な荘子が吏をつとめた地
2-3-25 《題自畫山水》 頼山陽
分明昨夜夢靑山。幾朵峰容束髻鬟。晨起呼童急磨墨。寫來半墮渺茫閒。
《自画山水に題す》
分明に 昨夜 青山を夢む。幾朶の峰容 髻鬟を束ぬ。晨起 童を呼びて急ぎ墨を磨り。写し来たれば 半ば堕す 渺茫の間。
2-3-26 《題自畫山水》 頼山陽
客窗作字墨頻乾。自咲閑身終未閑。晚際硏坳餘瀋在。又將渴筆寫秋山。
《自画山水に題す》
客窓 字を作れば 墨 頻りに乾く。自ら咲ふ 閑身の終に未だ閑ならざるを。晩際 研坳に余瀋 在り。又た渇筆を将って秋山を写す。
※●研坳:硯のくぼみ。墨汁をためるところ ●餘瀋:余った汁(ここでは墨汁)
2-4 丁丑(文化14年)
2-4-1 《余愛東山秀色每日行飯上銅駝橋望之一日忽得東山如熟友數見不相厭句歸家足之成十六韻》 頼山陽
東山如熟友。數見不相厭。晨氣喜淸澄。暮姿愛紫豔。端莊含溫和。綠玉無微玷。誰比偃臥頹。吾視前後襜。晴日其快暢。如醉酒味釅。雨時是恙疾。似睹眉宇斂。晴雨俱理筇。幘岸又巾墊。疎闊生鄙吝。對晤當緘砭。唯恨居城市。離隔每相念。有時屋宇閒。瞥然見半面。雲雨手翻覆。久要獨可験。於我丈人行。俯就眞愧忝。相逢便一咲。欲別又相眷。吾行山亦行。有如負且劍。吾來餐秀色。七歲未屬饜。作詩薄相貽。淺語君莫歉。
《余 東山の秀色を愛し 毎日 行飯して 銅駝橋に上り 之を望む。一日 忽ち「東山 熟友の如し。数〻見るも 相ひ厭はず」の句を得たり。家に帰り 之に足して十六韻を成す》
東山 熟友の如し。数〻見るも相ひ厭はず。晨気 清澄を喜び。暮姿 紫艶を愛す。端荘 温和を含み。緑玉 微玷 無し。誰か比せん 偃臥の頽。吾は視る 前後の襜。晴日は 其の快暢。酒味の釅に酔ふが如し。雨時は 是れ恙疾。眉宇の斂まるを睹るに似たり。晴雨 俱に筇を理め。幘岸 又た巾墊。疎闊 鄙吝を生じ。対晤 緘砭に当つ。唯だ恨む 城市に居し。離隔 毎に相ひ念ふを。時 有りて 屋宇の間。瞥然として半面を見る。雲雨 手を翻覆す。久要 独り験すべし。我に於いては丈人行。俯就 真に愧忝。相ひ逢へば便ち一咲し。別れんと欲すれば又た相ひ眷(かえり)みる。吾 行けば 山も亦た行く。負ひ且つ剣するが如き有り。吾 来たりて 秀色を餐し。七歳 未だ属饜せず。詩を作って薄(イササ)か相ひ貽る。浅語 君 歉する莫かれ。
※●東山:京都の東山 ●銅駝橋:二条橋
2-4-2 《蠶婦詞倣王建體》 頼山陽
綿繭黃。絲繭白。小姑揀繭大姑煮。繭厚絲長眞可懌。繰車軋軋疾於風。小姑大姑頭如蓬。笑他稚女總無幹。貪看破繭蛾雌雄。
《蚕婦詞 王建の体に倣ふ》
綿繭は黄なり。糸繭は白し。小姑は繭を揀び 大姑は煮る。繭 厚く 糸 長くして 真に懌(ヨロコ)ぶべし。繰車 軋軋として 風よりも疾し。小姑 大姑 頭は蓬の如し。笑ふ 他(カ)の稚女の総て幹する無きを。貪り看る 繭を破る蛾の雌雄。
※●蠶婦:養蚕業に従事する婦人 ●王建:中唐の詩人
2-4-3 《齋中書事》 頼山陽
窗納晨光簾影斜。汲泉洗硯試塗鴉。朝來喜事無人識。曾養盆蘭抽一花。
《斎中書事》
窓は晨光を納れて 簾影 斜めなり。泉を汲みて 硯を洗ひ 塗鴉を試む。朝来の喜事 人の識る無し。曽て養ふ盆蘭 一花 抽んづ。
※●塗鴉:カラスを描いたような下手な文字。また自分の書いた字の謙遜
2-4-4 《中秋同武紀二子觀月銅駝橋余與二子前後入京閱歲略同》 頼山陽
豆莢秋肥芋魁柔。借牀河亭酒如油。樓臺何處不絲竹。吾曹亦爲觀月遊。同寓京城今幾許。六年無此好中秋。話舊不識夜已午。月滿灘心石可數。
《中秋 武紀二子と同に 月を銅駝橋に観る。余 二子と前後して京に入り 歳を閲すること略ぼ同じなり》
豆莢 秋 肥えて 芋魁 柔らかなり。床を借る河亭 酒 油の如し。楼台 何れの処か 糸竹ならざらん。吾が曹も亦た為す 観月の遊。同に京城に寓して 今 幾許ぞ。六年 此の好中秋 無し。旧を話して識らず 夜 已に午なるを。月は灘心に満ちて 石 数ふべし。
※●武紀二子:武元登登菴と浦上(紀氏)春琴 ●銅駝橋:二条橋
2-4-5 《看月歌》 頼山陽
日已沒。月未生。霞光褪盡煙氣橫。煙沈山黑月漸吐。稍上數尺便發明。看月有訣誰能契。妙處全在初出際。團團玉鏡高逾磨。南樓北樓盡絃歌。
《看月歌》
日 已に没し。月 未だ生ぜず。霞光 褪せ尽くして 煙気 横たはる。煙 沈み 山 黒く 月 漸く吐く。稍 上ること数尺 便ち明を発す。月を看るに訣有り 誰か能く契せん。妙処 全く初めて出づるの際に在り。団団たる玉鏡 高くして逾〻 磨かれ。南楼 北楼 尽く絃歌。
※●有訣:秘訣がある
2-4-6 《夜歸》 頼山陽
會散三更歸到家。月搖窗竹影橫斜。欲眠旋復披衣起。呼醒山妻對煮茶。
《夜帰》
会 散じて 三更 帰りて家に到れば。月は揺らす 窓竹の影 横斜なるを。眠らんと欲して 旋ち復た 衣を披きて起ち。山妻を呼び醒まして 対して茶を煮る。
2-4-7 《題射獵圖》 頼山陽
弓挽强。箭用長。狐裘蝟鬚馬龍驤。箭纔離箙獸已僵。馬足蹂躪北漠草。兔死鳥盡弓未藏。弓未藏。又逐鹿。中原無人爭利鏃。獲鹿寢皮食其肉。
《射猟図に題す》
弓は強きを挽き。箭は長きを用ふ。狐裘 蝟鬚 馬は竜驤。箭 纔かに箙を離れて 獣 已に僵る。馬足は蹂躪す 北漠の草。兎 死し 鳥 尽きて 弓 未だ蔵めず。弓 未だ蔵めず。又た鹿を逐ふ。中原 人の利鏃を争ふ無く。鹿を獲て 皮に寝て 其の肉を食らふ。
※●龍驤:竜のように躍りのぼる。勢いのさかんな形容
2-4-8 《竊書所感》 頼山陽
棣萼爭開孰後先。龍飛或躍忽天淵。官家不識修何德。坐享升平四十年。
《窃かに感ずる所を書す》
棣萼 争ひ開きて 孰れか後先。竜 飛び 或ひは躍って 忽ち天淵。官家 識らず 何の徳を修めしかを。坐して升平を享く 四十年。
※●棣萼:兄弟。ここでは桃園天皇(弟)と後桜町天皇(姉)の姉弟を指す。桃園天皇が22歳で崩御し、皇子の若宮(英仁親王)が幼少だったため、姉の後桜町天皇が即位した ●龍飛或躍忽天淵:易経・乾卦の爻辞に「九五。飛竜在天」「九四。或躍在淵」という。帝位に登ることをいう ●四十年:英仁親王の成長を待って、後桜町天皇からの譲位がなされた(後桃園天皇)が、男子のないまま崩御したため、中御門天皇からの男系は断絶し、皇統は閑院宮家へ移り、光格天皇が即位した。以来、在位三十七年に及んだ
2-4-9 《題朱考亭先生像》 頼山陽
韓岳驅馳虎嘯風。四書獨費畢生功。一張萬古科場彀。無數英雄墮此中。
《朱考亭先生の像に題す》
韓岳 駆馳して 虎 風に嘯く。四書 独り費す 畢生の功。一たび張る 万古 科場の彀。無数の英雄 此の中に堕つ。
※●韓岳:韓世忠と岳飛 ●科場:科挙の試験会場 ●彀:矢ごろ。まと ●墮此中:山陽の自注に「唐太宗観進士榜曰、天下英雄堕吾彀中」とあり。「堕彀中」は術中に陥る、思う壺、の意
2-4-10 《詠拒霜座有女弟子細香》 頼山陽
亭亭獨立拒霜威。不怨東風誤嫁期。自有芳姿抛不得。聊和朝露染胭脂。
《拒霜を詠ず。座に女弟子 細香 有り》
亭亭 独り立って 霜威を拒ぐ。怨まず 東風に嫁期を誤りしを。自づから芳姿の抛ち得ざる有り。聊か朝露に和して 胭脂を染む。
※●拒霜:木芙蓉の異名。秋冬に花をつけることから ●細香:江馬細香。山陽の門弟 ●誤嫁期:春風の季節に大きく遅れて花咲くさまを、細香が婚期を逸していることに重ねている
2-4-11 《以舊藏紫石硏贈世張付以此詩》 頼山陽
吾硯淡紫類封泥。一道赤綠橫其臍。恍訝煙凝暮山西。中有螮蝀截雨低。吾曾著文坐臥攜。思渴動思飮澗溪。不如與汝比范綈。出入視之與吾齊。要見汝吐氣如萬丈彩霓。化向筆底瀉玻瓈。
《旧蔵の紫石研を以て世張に贈る。付するに此詩を以てす》
吾が硯 淡紫にして 封泥に類す。一道の赤緑 其の臍に横たはる。恍として訝る 煙の暮山の西に凝り。中に螮蝀の雨を截りて低るる有るかと。吾 曽て 文を著し 坐臥に携ふ。思ひ渇して 動もすれば 澗渓に飲むを思ふ。如かず 汝に与えて范綈に比するに。出入 之を視ること 吾と斉しくせよ。見んことを要す 汝の気を吐くこと万丈の彩霓の如く。化して筆底に向かひ玻瓈を瀉ぐを。
※紫石硏:端渓の硯。かつて小野櫟翁から贈られた硯 ●世張:山陽の門人、後藤松陰。名は機、字は世張 ●范綈:粗末ながら心のこもった贈り物。戦国時代、魏の須賈が范雎の寒苦をあわれんでどてらを贈ったことから
2-4-12 《謝人送梅花》 頼山陽
病怯寒威不出門。一枝忽見返春魂。夜甁淺插伴衾枕。夢繞暗香疎影村。
《人の梅花を送らるるを謝す》
病みて 寒威に怯へ 門を出でず。一枝 忽ちに見る 春魂を返すを。夜瓶 浅く挿して 衾枕に伴へば。夢は繞る 暗香 疎影の村。
※●暗香疎影:林逋《山園小梅》「疎影横斜水清浅。暗香浮動月黄昏。」をふまえる
2-4-13 《余購得端硏一枚。賦此與硯賈文作》 頼山陽
玉含芒角紫煙生。養我詞鋒縱又橫。誰道墨池如許狹。個中俟視掣長鯨。
《余 端研一枚を購ひ得て 此れを賦し 硯賈 文作に与ふ》
玉 芒角を含んで 紫煙 生ず。我が詞鋒を養ひて 縦 又た横。誰か道ふ 墨池 許くの如く狭しと。個の中 視るを俟(マ)て 長鯨を掣するを。
※●端硏:端渓の硯 ●硯賈文作:硯商の芸香堂錦屋文作
2-4-14 《題自畫山水六首 其一》 頼山陽
董巨倪黃眼未看。唯存磊磈自巑岏。胸中粉本依吾樣。休道人閒無許山。
《自画山水に題す六首 其の一》
董 巨 倪 黄 眼に未だ看ず。唯だ 磊磈たるを存すれば 自づから巑岏。胸中の粉本 吾が様に依る。道ふを休めよ 人間 許くの如き山 無しと。
※●董巨倪黃:宋の董源・巨然、元の倪瓚・黄公望。山水画の名手 ●磊磈:高大なさま ●巑岏:高く鋭くそばだつさま ●粉本:下書き
2-4-15 《題自畫山水六首 其二》 頼山陽
山依北苑學披麻。樹倣南宮作落茄。筆筆自知難入格。眼高其奈手低何。
《自画山水に題す六首 其の二》
山は北苑に依りて 披麻を学ぶ。樹は南宮に倣ひて 落茄を作す。筆筆 自ら知る 格に入り難きを。眼 高くして 其れ手の低きを奈何んせん。
※●北苑:宋の董源。字は北苑。山水画の名手 ●披麻:画法のひとつ。麻の葉が開いたように岩の皴を描く ●南宮:宋の米芾の号 ●落茄:画法のひとつ。寝かせた筆で横点を打って山などを描く
2-4-16 《題自畫山水六首 其三》 頼山陽
硏餘焦墨手方閒。試學倪家側筆山。始信雲林眞面目。本來不在點皴閒。
《自画山水に題す六首 其の三》
研は焦墨を余して 手 方に間なり。試みに学ぶ 倪家の側筆の山。始めて信ず 雲林の真面目は。本来 点皴の間に在らざるを。
※●焦墨:枯れた墨。水分が非常に少ない墨 ●倪家:倪瓚 ●側筆:筆を傾けて描く画法 ●雲林:倪瓚の号
2-4-17 《題自畫山水六首 其四》 頼山陽
墨瀋潑成王洽暈。毫尖掃取董源皴。漫將古法供遊戲。非是舐毫和墨人。
《自画山水に題す六首 其の四》
墨瀋 潑し成す 王洽の暈。毫尖 掃取す 董源の皴。漫に古法を将って 遊戯に供せり。是れ 毫を舐めて墨を和するの人に非ず。
※●王洽:唐代の画家。別名に王黙、王墨など。墨をはね散らして筆を用いずに描く潑墨法を創始した ●董源:宋代の画家
2-4-18 《題自畫山水六首 其五》 頼山陽
用墨疎疎用筆鬆。畫成皴染淡如空。貌山匹似美人面。眉暈頰渦髣髴中。
《自画山水に題す六首 其の五》
墨を用ゐること疎疎として 筆を用ゐること鬆なり。画 成るも 皴染 淡きこと空の如し。山を貌(カタド)ること 匹似す 美人の面に。眉暈 頰渦 髣髴の中。
2-4-19 《題自畫山水六首 其六》 頼山陽
日射書窗墨半焦。風吹醉面酒差消。滿懷逸氣無舒處。漫倚枯毫學鶴樵。
《自画山水に題す六首 其の六》
日は書窓を射て 墨 半ば焦す。風は酔面を吹きて 酒 差(ヤヤ) 消す。満懐の逸気 舒ぶる処無く。漫に枯毫に倚りて 鶴樵を学ぶ。
※●鶴樵:元末明初の画家、王蒙。黄鶴山樵と号す。元末四大家のひとり
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